わかるように書く
③わかるように書く
何を当然のことを、と思われるかもしれないが、文章というものが他者に対して自分の言葉を伝えるためのツールである以上は『わかるように書く』、これは必須なのである。
アザとーが見る限り、どんなに素晴らしい知識と語彙力で書かれた物語であっても読みにくいものはあるし、逆に小学生が書いたのかと見紛うほど拙い文章でも読みやすいものはあるのだ。
例えを出そう。
スーパーの季節イベントなどで見かける『お願い事を短冊に書いて吊るしてね♡』を思い浮かべて欲しい。
まだはげ初めし我が父の頭上に毛の、生い茂らんとて
おとおさんの頭がはげてませんくなりますよおに
同じお願い事が書かれているはずなのに、願いの強さが違って見えないだろうか。
ちなみにこの子のお父さんが書いた短冊を見てみよう。
毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛 毛
この上なく強い意志を感じる……
これがいわゆる「行間」と呼ばれるものの正体である。
もしも文章を書くときに、伝えたい言葉を強く見せようと思えば、それを柱に据えた文章が自然と形成される。
華美な装飾語や、尊大な語彙、様々なテクニックは、その柱を飾るための演出でしかない。
その演出も正しくなされなければ、本来はいちばん見せるべきものであるはずの柱を埋もれさせて文意を迷子にしてしまうだろう。
男の毛根はすでに死滅していた。再び芽吹くことのない黒々しき億万の若芽たちへ鎮魂の唄を捧げ頭皮へのマッサージを欠かさぬ男の元へ、彼は漆黒の希望を求めてその降臨を待っているのだった。
んむ、文意迷子文。
笑い事ではなく、一度ご自分の文章で確認してみることをお勧めする。一つくらいは迷子文が混ざっているはず。
偉そうなことを言ってはいても、アザとーも実はこういった迷子文が多い作家なのです。というか、筆の勢いに任せて書いている最中にはよく発生するミスである。
これをチェックし、防ぐために必要なのが『他者の目線』である。
冒頭にも書いた通り、文章が何のためのツールであるか、他者に自分の気持ちを伝えるためのものである。
ラブレターなら『好き』と書いて出す。これに「私も」が返されるか、「嫌い」が返されるかは相手次第ではないか。
だが、そもそもそれがラブレターだとわかってもらえなかったなら、相手は好きも嫌いも返してくれるはずがない。
文章も同じこと。
きちんと作者の気持ちが伝わった時、それに対して作品の好き嫌いを言われるのは当たり前。
そもそもが作品であることさえわかってもらえなかったなら、好きも嫌いも返してはもらえないのだ。
だからまず、相手に伝えたい気持ちを用意しよう。
コメディなら『楽しんでもらいたい』、ホラーなら『怖がらせてやろう』……そのくらいシンプルでいい。シンプルな気持ちの方が伝わりやすいに決まっている。
そして、まるでラブレターを書くように心を込めて……
こんなかんたんなことが、実は文章上達の早道なのである。
そして、書きあがったラブレターは投函しなければ相手に届かない。
一通で心が届かないなら、二通、三通……何通でも出せばいい。
つまり、恐れることなく、丁寧に、心を込めて書き続けること、それを恐れることなく公開すること、そういった文章の作法以前の心構えをこそ大事にしてほしい。
あなたが書いた作品は、見知らぬ読者へのラブレターなのだから……
ここまでのお付き合い、ありがとうございました♡
ここからはアザとーがめっちゃ苦手な、ややマジメなお話になるので、割り込み投稿で進行するです。
それでもいいよー、という方はお付き合いください