ツカミという名のラビリンス~焼智探偵とビキニアーマー~
KO林少年は今現在、激しく当惑している。
なぜなら呼び鈴の音に応えて開いた玄関先には、例の『先生』がニコニコ顔で立っていたからだ。
彼は黒塗りのエロ際どいビキニアーマーを両手で抱え、どこか得意そうな笑みを浮かべていた。
「KO林くん、これ、どう思うかね」
「はあ、ファンタジー世界の小道具としてはありがちですねえ」
「今日はこれを、君に着てもらおうと思って持って着たのだよ」
「あははは、間に合っています、おかえりください」
KO林少年は無情にドアを閉めようとするが、そこへさっと差し込まれたる焼智の片足!
「痛い! 痛いよう、ドアを開けてくれたまえ」
「うっわ、ベタなことしますね、契約取ろうとしている営業マンですか」
「いいから、開けてくれたまえ、まず、話はそこからだ!」
「仕方ないですねえ」
緩んだドアの圧力を押しのけて、焼智は三和土の上へと滑り込む。
「ふふふふ、ツカミはオーケーだね」
「なんのツカミですか」
「もちろん、このビキニアーマーを君に着てもらうための、交渉のツカミだよ!」
「だったら失敗じゃないですか? ツカミって、つまりは物語でいえばプロローグですよね? だったらインパクトがなくちゃ」
「本当にそう思うのかね?」
「え?」
「ならば問おう、君の思うインパクトとは何かね!」
「えーと、例えば戦闘シーンやアクションシーン?」
「ダメだ、ダメ、まーったくわかっていない」
「なにがわかっていないっていうんですか」
「ならば、玄関の呼び鈴を鳴らすところから、実演してみせよう」
そう言いおいて、焼智は玄関の外へと出て行った。
"俺はビキニアーマーを抱え、走っていた。
アスファルトは真夏の日差しに焼かれて熱く、その白茶けた路面に汗を滴らせながら走っている俺は、すでに体力の限界を迎えようとしている。
「ええい、ままよ!」
目にとまった民家の軒先に飛び込み、呼び鈴を強く押す。
「はあい」
間抜けた声とともにドアを開けた少年の手の中に、俺はビキニアーマーを押し込ん……
「いりませんよ」
「なぜだ、KO林くん! ここは受け取ったビキニアーマーの秘密が気になって、つい着用してしまうタイミングではないのかね!」
「いや、ぜんぜん」
「くう……もっとも、これは良くない例なのだ、致し方なし!」
「え、良くないんですか? スピード感があって、アクションシーンで、ここからどんな壮大なドラマが始まるんだろうと思わせる感じはあったじゃないですか」
「むろん、そういうオープニングとしての要素は十分だ。しかしね、KO林くん、私の今回の目的は君にビキニアーマーの謎を解き明かす壮大な旅に出てもらうことではなく、ただちょっと、このビキニアーマーを着てキュルリン☆なポーズをとってもらうことなのだよ!」
「ああ、確かにこのオープニングだと、トラブルが次々と舞い込んでくる予感しかしませんよね」
「これでわかっただろう、KO林くん!」
「何がですか?」
「プロローグに求められるインパクトとは、必ずしも動的なものであるとは限らないのだよ! ツカミとはインパクトにあらず!」
「ちょっと良く分かんないっすね」
「ふむ、ならば説明しよう!」
『ツカミ』とはお笑いのセオリーなどでよく聞く言葉ですが、実はそれのみにあらず、すべての会話作法、作文作法に於いて相手に対するファーストアプローチとして最も重要視されているものなのです。
時として『第一印象・最初の一言・話の入り口』などと呼称を変えていたりもしますが、およそ理論を読めばすべてはツカミ――つまりは会話の本筋に入る前に相手の心を『掴む』ことが一番大事だと、その一語に尽きるのです。
「ならばツカミとはなにか! これはセールスに例えればよくわかるだろうか、作品の本文を読んでもらうというのは、物語のテーマにつながる商品説明を聞いてもらうのに似ているからね。まずはファーストアプローチで失敗して、『うちは結構です』とドアを閉められてしまっては、いくら素晴らしい商品を持っていようと無意味だろう?」
「たしかに、そうですね」
「インパクトは確かに大切だが……君はドアを開けたとたん『わっ!』と脅しの声をあげるセールスマンの話を聞きたいと思うかね?」
「思いません。まず通報しますね」
「だったら、まずは自分の身上を述べればよいのだろうか、確かに家庭の門戸を叩くセールスマンの最初の一言は自分がどの会社に所属する何者であり、そして当日は何用を持って訪ねたのかを述べることが多いが、これは物語のオープニングとしては悪手だ。なぜなら、一目で話の内容が見渡せてしまうため、最初の一手で相手に要不要の判断を可能としてしまうのだからね」
「それの何がいけないんですか、誠実でいいことじゃないんですか?」
「そう、誠実で大変によろしい。しかしこれは実際の商取引の発生するセールスにおいての話だ。誰だって信用できぬ相手に投資をしようなどとは思わないからね。しかし、私たちが売りつけようとしている物語という商品は、何としても次の一ページをめくり商品説明を聞かせなくてはならない、そのためならどんなテクニックを使っても許される、そうした類のものなのだよ」
「それって、詐欺の手口じゃあ……」
「あ~、うん、実生活で使えばそうなるね。なにしろ話を聞いてもらうためならば居座りやだましを入れてもいいのだからね。なんなら、足を入れてドアを無理やりこじ開けたってかまわない」
「それ、さっき先生がやっていましたね」
「効果的だっただろう? 現にこうして君は私の話を聞いているのだし」
「通報していいですか」
「まて、待ちたまえ! 今しているのは物語の作法上の話だ! そもそもが物語とはすべからく虚偽であり、作者とはその虚偽をいかに真実であるかのように語れるかが腕の差となる、まさに詐欺師として公認された存在であるのだよ! つまり読者は好んで詐欺師の話を聞きに来たという大前提があり、だまされることを楽しむ心構えができている、すべてが虚偽だと知っての詐欺であるのだから、実被害は何もないのだよ」
「つまり、読者を詐欺れと?」
「その通りさ。しかし、読者から何かを巻き上げるために詐欺を行えというのではない。我々作家とは、物語を通して読者に何かを与える、そのために少しばかりの詐欺テクニックを使えと言っているのだよ」
「いい話風にまとめてますけど、要するには読者を騙せってことですか?」
「ノンノンノン、だますのではなく、話を聞いてもらうためのテクニックを駆使する、これがツカミさ」
ならばツカミとは何か、実は定型など存在してはいません。
ただし「読者の心をつかみ、そして離さないもの」という大前提のみが存在するだけです。
つまりはどんな卑怯な手を使ってでも読者の心をわしづかみにすれば勝ち、という知策ゲームでもあります。
ここに何の工夫もなく見せ場付近にある戦闘シーンを持ってくるパターンを多く見受けますが、これは世に出回っている指導書がおよそこういった形を勧めているからであり、もちろん原理原則をもってこれを用いれば素晴らしいオープニングなど簡単に作れるはずなのです。
現にこうした形式は『張り手形』という一つのパターンとして確立されており、このテクニックを使った名作も多く見受けられます。最もこれは、ツカミとしての効果を十分に計算しつくしたうえで最も良いオープニングが戦闘シーンであると判断されてのこと、やみくもに戦闘シーンを冒頭に持ってくるのは良くありません。
何よりもツカミの機能を念頭に置いて冒頭を作りましょう。
「オープニングというのは本文ありき、セールスで例えるならば本文という商品があり、それを売り込むために呼び鈴を押した、その瞬間から始まる本文を手に取らせるための戦略である。こういったテクニックに関しては小説作法よりもビジネス書に学ぶところが多いのだが……例えばKO林くん、先ほど、普通のセールスマンは誠実である話をしたね?」
「先に自分の所属会社や名前を名乗ってしまうってやつですね」
「あれを小説のオープニング風にまとめるならこうだ!」
“ここにひとそろえのビキニアーマーがある。男の娘の華奢で未発達な体を飾るべくデザインされた妖しげなビキニアーマーが……
私はこれを、美しい美少年の肌に載せねばならぬと、強く感じていた“
「ということで、着たまえ」
「ちょ、待ってくださいよ、先に解説を」
「え~」
「解説を!」
「はいはい」
こうした物語の流れに沿って起点となる事象を述べる方式を『なで肩』という。
一見すると戦闘のような動的なものは一切なく、むしろ静かな語り口調を思わせるものであるが……お気づきだろうか
「このオープニングは誠実でありながらすべてを語ってはいない。つまり、『私が美少年にビキニアーマーを着せるための物語』であるという商品の概要を伝えてはいても、その語り手である『私』が何者なのか、そしてビキニアーマーにこだわる理由さえ書いてはいないのだよ」
「まったく、なんでビキニアーマーなんですか、そこが謎すぎます」
「それだよ! 読者はこの一文を見て、『本文にこの謎に対する回答が用意されているはずだ』と期待するだろう? つまり、謎を解きたいのならばページを開かねばならない」
「なるほど、あえて謎を残すことによって読者の興味を引き付ける……」
「そう、それがツカミだ」
「例えばですよ、さっきの先生みたいに足でドアを無理やりこじ開けるような、ああいうテクニックはオープニングに流用できるんですか?」
「あれは、文章に使うには応用の上をいく、名人のテクニックだよ。人間の心理というのは自分に何かを強要する相手を無意識のうちに拒絶するようにできている。まして、見知らぬ相手に『ともかく話を聞いてくれ』と言われて聞く気になれるかね?」
「あー、まずは警戒しますね」
「だろう? しかし、相手が警戒しつつも手を伸ばさずにはいられないような情報、これを聞かせてしまえば勝機はある。一般的にそれは、問いかけの形をとることが多い」
“ここに一体のビキニアーマーがある。これを、あなたならどうするだろうか”
「なるほど、読者の気持ちを物語に強制参加させてしまうんですね。つまり、読者は自分が物語の参加者であるからこそ、これからの物語がどう進むのかを警戒しなくてはならない」
「そのと~り!」
「先生がさっきから敵視している『張り手形』、あれは全然一つもツカミにならないっていうことですか?」
「人聞きの悪いことを言うねえ、別に冒頭に戦闘シーンを持ってくることを否定しているわけじゃない、それがツカミとしての機能を果たしていればもちろん良手であると認めるさ。でもね、『読者にインパクトを与えるために』だけではツカミの機能を果たしえないと、そういうことだよ」
「ああ、セールスマンがいきなり『わっ!』っていうようなものだからですか」
「そう。ここに脅しの言葉をあげた理由がおぼろにでも浮かんでいれば、十分なツカミとなるはずだよ。ところが、インパクト重視で脅しの理由が十分に書き込まれていない場合が多すぎるんだ」
「例えていうなら、さっきのビキニアーマーを抱えて走っていたオープニングですね」
「そう、あれはその気になれば『俺』がビキニアーマーを抱えて走る羽目になった理由へと巻き戻すことのできるオープニングだ。ところが、物語のメインは君にビキニアーマーを着せてキャッキャウフフすることなのだから、ビキニアーマーをめぐる争いは末節でしかない、切り取るべき場面が間違っているのさ」
「ならば、正解は何です?」
「例えば君がビキニアーマーを着て私に撮影されて、内心は嫌なのに笑顔を強要されている場面、これならば読者が『なぜこんな状況に』という謎を心に抱えるだろう?」
「先生、妄想が漏れ始めていますが?」
「もしくは君が嫌そうな顔をして私を足蹴にしているシーン、読者は嫌々ながらも私にゴホウビをくれる君の姿に強い興味を抱くことだろう、はぁはぁ」
「先生、通報してもいいっすか?」
「まって、まじめにやる。つまりだね、張り手形というのは『戦闘ありき、ここから話を膨らませる』ではなく、大きく組んだ物語の中で読者の興味を引き付ける場面が戦闘シーンであるがゆえに先頭に出す、と、これが正しい組み方なのだよ」
「それって駄洒落ですか?」
「うん、まあ、そこは置いておいて……実は戦闘そのものよりも戦闘前夜や戦闘後を冒頭に持ってくる方が物語的に締まる場合が多いんだ」
“先ほどから鳴り始めた雷鳴が耳障りだ。雨音は闇色のガラスを叩いて流れ、思考を妨げようとする。
しかし私は、デスクの上に置かれたビキニアーマーを眺めて明日の決戦のことばかりを考えていた。
明日……きっと大量の(鼻)血は流れ、私の足元は弔意を示す白いバラ(に似たティッシュ)に埋もれることだろう“
「先生……」
「みなまで言うな、KO林くん! これはあくまでも一例に過ぎない! つまりインパクトのみを重視して冒頭とするのではなく、商品である本文のアピールするべき魅力的な部分が戦闘シーンであったと、そういう組み方が理想的なのだよ」
「それって、あらかじめ物語全体がみえていないとできないことでは?」
「その通りだよ! だからこそ、初心者はインパクトのみを狙って冒頭をしくじる。冒頭以降の構成が完成していないならば中盤以降の戦いなど冒頭に持っては来ず、冒頭の戦いを起点とする物語を展開するべきなのだよ」
「なるほど、つまりツカミというのは……」
「インパクトを絶対必須として『わっ』と脅かすようなことをするのではなく、本文を読ませるためにまずは読者に心のドアを開かせる、そうした知策だね」
「だから、ドアを開けさせる詐欺師になれと、そういうことですか」
「しかり。だがね、なんでも物事には順番がある。どんなに自分を嫌っている相手のドアをも開かせる稀代の詐欺師にいきなりなれるものかね?」
「あ~、最初は悪徳セールスマンくらいから始めるべきですね」
「そう、何件もの家を回り、何度も門前払いを喰らい、それでもあきらめずにドアを開けさせる方法を研究する、それこそがオープニング上手につながる一番の近道なのさ」
「でも、そうしたオープニングの作り方ばかりを詳しく述べた専門書って、ちょっと見当たりませんよね」
「だから『ツカミ』という思考方法が大切になるんだよ。この思考法があれば、世に出回っているあまたの創作物を自分のための手本書とすることができる。例えばだよ、君が映画を観に行ったとしよう、友人に勧められて話題のために観に行っただけの、自分の嗜好にそぐわない映画だ」
「ああ、僕、恋愛映画とか苦手なんですよね」
「ところが、その苦手であるはずの恋愛映画につい引き込まれてしまったり、泣かされてしまったりすることはないかね? もしもそういった良作に出会えたならば、何が自分の心をわしづかみにしたのかを分析するといい。そこに必ず隠れているもの、これがツカミだ」
「それって、冒頭だけではないですよね、題材だとか、ヒロインの容姿なんかに心とらわれることもありますもの」
「それでもだよ、きちんと組まれた物語であれば冒頭に必ずツカミとなる要素が組み込まれている、それが文作のための教育に組み込まれた必修科目であるのだからね。世の少し書ける人たちは冒頭が大事だの、オープニングでインパクトだのいうだろう? あれは文章を書いていれば本能的に必要だと感じるものである、が、誰もその原理を明かすことはないのだから、ここで明かしてみたのだよ」
「つまり、ツカミとは冒頭でいきなり目につくものではない可能性も微レ存……」
「微粒子どころか大いに存だよ。なぜなら全編を通してしめやかな物語というものも世間には多くある。それでいながら冒頭に読者の心つかむ仕掛けをこっそりと入れておかなくては、名作とはなりえないのだからね」
「そういう時はどんなテクニックを使えばいいんですか!」
「おっと、それは内緒さKO林くん、私も人をたばかる作家という詐欺師の端くれ、魔術師がマジックのタネをばらさないのと同じように、ここを明かすを良しとはしないのさ」
「え~、ケチですね」
「一つだけヒントを出すとするならば、だましのテクニックを一通りぐるりと試した末に、私は誠実であるが一番の良策であると選んだ、かな」
「誠実な人が僕にビキニアーマーを着せようとするんですか」
「それはそれ、これはこれ。さあ、KO林くん、目くるめく快楽の世界へと行こうではないか!」
「そのまえに、僕もオープニングに挑戦してみますね」
“いきなりビキニアーマーを携えて現れた男に、僕は当惑していた。
この男は僕の探偵の師匠であり、その頭脳は一般の思考を越えての推理を導き出すことから『七色の頭脳』の異名を持つ人物でもある。
そして、この男の持つもう一つの異名は――アブノーマルな性癖を持つ男“
「素晴らしい! 目の前にビキニアーマーを手にした変態がいるのだとを端的に述べたものだね! しかもこの男、アブノーマルな性癖とは対照的に頭のいい男であると書くことによって情報の対比が成立し、『頭がいいのにアブノーマルとは?』と読者の興味を引くね!」
「そして先生、僕はこれをきちんと後ろに続く物語のための説明だと心得て作っています。この後にどんな物語が続くか、お分かりですか?」
「まて、その電話はなんだ! まさか……まさか、いつものパターンなのか!」
「そう、『お約束』ですよ」
ビキニアーマーなど投げ出し、ドアを蹴破らんばかりの勢いで往来へと飛び出してゆく焼智!
はたして彼は今回も逃げ切ることができるのか!
走れ焼智、ビキニアーマーがダメならメイド服があるさ!
次回『男の娘大作戦☆』、お楽しみに!