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まいったな。
ここに来てまだ打つとは。
古舘はマスクを取り、一塁を見る。
ーーー俺は負けられないんだ。
古舘はマスクを被り直し、グラウンドに戻った。
グラウンドでは、明北高校のベンチが湧き上がっていた。
「明、でかした!」
「いい男ー!」
明はその声援に応えるかのように右手をあげた。
井川が打席に立つ。
瀬川は一息つくと、いつもと変わらないモーションで投げた。
「ストライク!」
やっぱり速いな。
井川はマウンドの瀬川を見る。
お前は昔からそうだったな。
どんなに疲れていても、球のキレだけは衰えなかったな。
お前の球を打てるかは、正直言って自信がねぇ。
でもよ…。
そうも言ってられないんだ。
井川は外角の球をセンターに運んだ。
「よっしゃ、ランナー1、2塁!」
明北ベンチがさらに活気づく。
何やってんだ。
古舘は徐々に苛立ちを募らせる。
北野が打席に立つ。
瀬川は外角に球を投げる。
北野はバットを振り抜く。
ボールはレフト前に落ちた。
「満塁!」
明北ベンチがさらに活気づく。
「タイム!」
古舘はタイムを取ると、マウンドに向かう。
これはチャンスだ。
明はかつてないチャンスにドキドキしていた。
と、
「何やってんだ、お前は!」
マウンドから大きな声が聞こえた。
マウンドを見ると、古舘が大きな声で瀬川を怒鳴りつけていた。
「この回を抑えれば、俺達は勝てるんだぞ!それを相手が打ちやすいコースにばっかり投げやがって!」
「す、すいません…。」
瀬川が謝る。遠目から見ても萎縮しているのが伝わってくる。
「次に点をやったら、交代させるからな!」
古舘はそう言い残すと、グラウンドに戻っていく。
瀬川はその姿を見ながら、帽子を脱いで一礼した。
ーーーなんだ、感じ悪いな。
明は視線をバッターボックスに移した。
バッターは楢崎。
瀬川はいつものモーションで球を投げた。
しかし、プレッシャーからなのか少しぎこちない感じがした。
第2球。
内角に伸びる球を、楢崎のバットが捕らえる。
「ファール!」
打球はバックネットに突き刺さり、ギュルギュルと音を立ててグラウンドに落ちた。
打てる。
楢崎は確信した。
瀬川は汗をぬぐい、ロージンバッグをマウンドに置いた。
そして、渾身の球を投げた。
楢崎は全力でバットを振った。
球はバットとぶつかり、勢いよくライト方向に飛んで行った。
ーーーま、まさか。
古舘はマスクを取り、ライトスタンドを見つめる。
打球は観客席のはるか後方に落ちていった。
明北ベンチは異様な完成に包まれた。
楢崎の逆転満塁ホームランだった。
ベンチに帰ってきた明達をベンチは興奮冷めやらぬと言った感じで祝福した。
「そ、そんな…。」
瀬川はマウンドでうなだれた。
コースは完璧なはず。
なのに…。
「顔を上げろ」
声がした。
瀬川は顔をあげる。
そこには古舘が無表情で立っていた。
「約束だ。交代だ」




