(62)
やってしまった…。
楢崎は目の前が真っ白になった。
1塁に投げた牽制球は、藤田のグローブをはるかにそれる大暴投だった。
「大貫、走れ!」
古舘がベンチから叫ぶ。
大貫は勢いよく2塁に走る。その時、
「ま、待て大貫!ストップ!」
と古舘の声が聞こえてきた。
大貫は慌てて立ち止まり、後ろを振り返った。
そこには、ボールを持った藤田が立っていた。
「はい、ご苦労さん」
藤田はグローブで大貫にタッチした。
「アウト!」
大貫は呆然とした。
大貫がベンチに戻ってくると、古舘が、
「大貫!お前ホントに気が付かなかったのか?」
と叫んだ。
「ワ、ワリィ…。てっきり後ろに反らしたと思ってたからよ…。」
大貫もうなだれる。
「いやぁ、さすがウチのファーストだな!」
小宮が藤田の肩を叩く。
「ホントですよ。あそこでボールを落としていたら大変でしたよ」
明も同調する。
「いやぁ、俺も正直焦ったよ。楢崎がとんでもねえ所に投げるんだもんな」
藤田が笑いながら言う。
「ワリィ、ちょっとイライラしちゃって…」
楢崎が苦笑いをする。
実は楢崎が大暴投をした時に、藤田はジャンプをして奇跡的にキャッチしていたのだ。
それに気がつかない大貫は、スタートを切ってしまったのだ。
「いやぁ、藤田のおかけで助かったよ。ありがとな」
楢崎がそう言って藤田の肩を叩くと、藤田が照れ臭そうに頷いた。
こうなったら、作戦どうのこうの言ってられないな…。
古舘は空を見つめた。
「おい大西」
「あ、はい」
名前を呼ばれた大西は古舘の方を見た。
「お前は次の回から交代だ」
「え?なんでですか?僕、まだ投げられますよ!」
「勝つためなんだ。わかってくれよ」
「いや、でも…」
すると、古舘は大西の方を向き、
「大西、お前俺に1万円借りてるよな」
と言った。
「あ、あの、それは…」
「お前が新しいグローブを買いたいから貸したのに、5か月たっても返ってきてないよな」
「あ、いやすぐには…」
古舘は立ち上がって大西の前に立つ。
「今すぐ1万円返してくれたら、まだ投げてもいいよ。どうする?」
「あ、いや…」
大西は目が完全に泳いでいる。
「どうする?」
「も、も、ももも、もう少し待って下さーーーい!」
大西は膝を落とした。
「わかった。交代だね。瀬川、ブルペンで肩を作っといて」
古舘は笑いながらベンチに戻った。
その様子を見ていた大貫は、
「敵に回したくねぇな…」
と呟いた。
「ストライク!バッターアウト!チェンジ!」
「よっしゃ、なんとか乗り切ったな!」
楢崎に小宮が声をかける。
「あぁ、なんとかな」
楢崎が小さく頷いた。
「それにしてもあのピッチャー、なんか元気なかったな」
「あぁ、なんか魂を吸い取られたような感じだったよな」
北野と藤田が話していると、
「荒谷高校のピッチャー交代をお知らせします」
とアナウンスが流れた。
「なんだ、交代するのか」
北野が言った。
「ピッチャー大西君に変わりまして、瀬川君」
アナウンスが流れると、
「せ、瀬川ぁ!?」
と楢崎たちが大声を出した。
「そんなに大きな声出さないで下さい。寿命縮まりますよ」
明は胸を抑えて言った。
「ワリィ…。つい…」
楢崎が誤った。
「それにしても、あの瀬川って人、知り合いなんですか?」
明が聞いた。
「いや、知り合いっていうか…」
楢崎が深呼吸をして、
「昔、ウチの部にいたんだ」
と言った。
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
今度は明が大きな声を出した。
「お前も大きな声を出してんじゃねぇか…」
北野が呆れた様子で言った。




