(61)
「先生、来てくれたんですね」
古舘はスタンドの柳本先生に向かって、帽子を取って挨拶をした。
柳本先生は古舘には気が付かない様で、グラウンドを見つめていた。
5回裏、荒谷高校の攻撃。
「大貫、ちょっと」
古舘が7番の大貫を呼びつけた。
「なんだよ、古舘?」
「お前にいい作戦を教えてやる」
「作戦?」
そう言うと、古舘は大貫に耳打ちをした。
「なんだ?アイツら耳打ちしてるぞ?」
小宮が荒谷高校のベンチを指さした。
「なんか、いやらしい話でもしてんのかな?」
「んなわけないだろ、お前じゃあるまいし」
藤田がそう言うと、
「ちょっ、お前、考えてねぇよ!」
と小宮が否定した。
「でも、お前顔真っ赤だぞ」
沢田がニヤニヤしながら言った。
「違うわ!いい加減にしろよ!」
小宮がムキになって否定していると、
「プレイ!」
と掛け声が響いた。
それまで小宮をからかっていた藤田や沢田は一斉に自分のポジションに戻っていく。
「そ、そこはあっさりしているのね…」
小宮は苦笑いしながら、自分のポジションについた。
楢崎はゆっくり息を吐き、第1球を投げた。
すると、大貫はバントの構えを見せた。
「バ、バントだと?」
楢崎は一瞬まごついた。
大貫はさっとバットを引いた。
「ストライク!」
審判の声が響き渡る。
あいつは、何を話したんだ…?
楢崎は戸惑いながら、第2球を投げた。
今度はボールが少し上に反れてしまった。大貫はバットを引く。
「ボール!」
第3球目。大貫はまたもバントの構えをしている。
おい、チャージをかけろ。
楢崎は目で内野手に合図した。
楢崎がボールを投げるのと同時に、藤田や明が前に飛び出した。
「ボール!」
大貫はまたもバットを引いた。
「おい、なんか楢崎、制球乱れてないか?」
小宮がそう言うと、
「あぁ、お前みたいにな」
と北野が茶化した。
「おい!まだ言ってんのかよ!」
北野がまた必死で否定していると、
「ボール、スリー!」
と審判の声が聞こえてきた。
どういうことだ?
楢崎もおかしいと思い始めていた。
大貫はまたバントの構えをとっている。
そんなに転がしたきゃ、転がしてみろ。
楢崎が投げる。と同時に、明たちが前に出る。
次の瞬間、大貫はバットを持ち替え、スイングした。
バスター…!
完全に不意をつかれた。
ボールはセンターへストンと落ちた。
「…やられた」
明は思わず呟いた。
古舘が言ったのはこれだったのか。
8番の田中が打席に立つ。
大貫がリードをとる。楢崎が牽制する。
「セーフ!」
大貫はすぐ塁に戻る。
すると、大貫は前よりもっと大きくリードをとった。
あいつ、何を考えているんだ…?
楢崎がまた牽制する。
「セーフ!」
すると、大貫はまた大きくリードをとった。
あんなんじゃあ刺されるぞ。
楢崎は大貫のことが気になって仕方ない。
なんだ、あのランナー。あんなに出て大丈夫なのか?
明たち内野手も明らかに大貫のことが気になっていた。
楢崎は第1球を投げた。
「ストライク!」
大貫は走り出さない。
こいつ、何がしたいんだよ。
楢崎は次第にイライラしてきた。
大貫はまた大きくリードをとる。
「くそ!」
楢崎はまた牽制球を投げた。
「楢崎さん!」
明が叫んだ。
楢崎が1塁の方を見ると、ボールは明らかに藤田の方から反れていた。
やって…しまった…。
楢崎は頭が真っ白になった。




