(41)
「俺が、交代やと?」
速水は今、信じられない事実を告げた田口の顔をまじまじと見つめた。
「あぁ、勝つためにはしょうがないだろ」
田口は速水の顔を見つめ返して言った。
「だ、大丈夫や。満塁やけどあと1人やし、必ず抑えるわ」
「だが、今のお前の調子を見ているとだんだん崩れていっているぞ。あんまり無理はしない方が…」
「大丈夫や!俺は必ず抑える!任してくれや!」
田口の言葉を遮って、速水は声を張った。
田口はしばらく速水を見つめていたが、
「わかった。でもあまり無理はするなよ」
そう言って、戻っていった。
「よっしゃ!沢田!いけぇ!」
「打ったら北野がジュース奢ってやるぞ!」
「俺は何本奢るんだよ!」
北野が大声でつっこんだ。
俺は負けない。
こんな所で負けるわけにはいかないんや。
速水は第1球を投げる。
しかし、コースは完全にめちゃくちゃになっていた。
「フォアボール!」
ついに押し出し。1点追加。
「よっしゃ!1点追加ぁ!」
「イケるぞぉ!」
明北ベンチは一気に沸いた。
そんな…俺が…。
速水は愕然とした。
続く小宮にもフォアボールを与えてしまい、押し出し。
5-6。とうとう1点差になった。
次のバッターは明。
こんな所で回ってくるなんて。
明の心臓はドラムにみたいに鼓動が早くなっていた。
「タイム!」
その時田口がタイムを取り、野手がマウンドに駆け寄った。
なんだよ。せっかくドラマチックな雰囲気に浸っていたのに。
明は愕然とした。
「もう限界だろ。交代しよう!」
田口が速水に促す。
「いや、まだや。あと1人で抑えられるんや。絶対抑えてみせるわ」
速水はまだ強がりを見せた。
「俺はわかってる。お前が手に力が入らないことを。あんまり無理をするな」
田口が説得する。
「イヤや!俺は1人で投げきってみせる!」
「このままじゃ逆転負けされちまうぞ!」
「大丈夫や!次のバッターはあの1年ボウズや!いくらなんでも年下には負けへん!」
速水と田口はお互いに譲らない。それを「1年ボウズ」こと明は遠くで見守っていた。
「俺は…、お前と一緒にトップになるんや…。お前がいればイイんや…」
速水がそう言うと、田口は、
「そんなことはない!」
と叫んだ。
速水はハッとして田口の顔を見る。
「お前と俺だけじゃ野球はできない。ここにいるチームメイトみんながお前の力になりたいと毎日練習しているんだ」
田口は淡々と速水にしゃべる。
速水は突然の告白に目を丸くすることしかできなかった。すると、
「速水さん、僕達は少しでも速水さんの力になりたいと思って練習してきたんです」
と塚田がしゃべり出した。
「僕達は速水さんに怒られてばかりですけど、それでも速水さんを尊敬しているから、だから速水さんの力になりたいと毎日頑張ってきたんです」
塚田がそう言うと、グラウンドから、
「僕も、そうです!」
「速水さん、諦めないで下さい!」
「まだイケますよ!」
と様々な声が飛び交った。
「お、お前ら…」
速水はまだ目を丸くしている。
「やれやれ、お前はいつの間にこんなに後輩から慕われていたんだな」
田口が言った。
仲間…。
速水の方を向いた田口はハッとした。
速水は泣いていた。
速水の泣く姿など見たことがない田口達は、驚きを隠せない様子だった。
「は、速水、どうして泣いているんだ?」
田口がまだ動揺を隠しきれていない声で尋ねる。
「嬉しいんや…。俺にも…、信頼できる仲間がいるんやな…って…」
速水は涙まじりの声で言った。
「じゃあ、その仲間のためにも勝たないとな」
田口がそう言うと、速水が小さく頷いた。
田口はゆっくりと戻っていく。
明はそれをじっと見つめていた。
「プレイ!」
審判がコールした。
こんな気持ち…初めてや。
速水はギュッとボールを握りしめた。
「速水さん、あと1人です!気を抜かないで!」
「僕達どんな球でも絶対捕りますから!」
「絶対に勝ちましょう!」
グラウンドから声援が飛ぶ。
ありがとう。俺は絶対勝つわ。
速水は深呼吸をし、バッターボックスの明を見つめた。
明はバッターボックスで緊張していた。
俺に打てるのかな?
速水の方をチラチラと見ている。明らかに緊張していた。




