旅立ち
「ユーシス。今日の礼拝はそれくらいにして、お茶にしましょう。」
シスターのケイトが笑顔と共にやってきた。私は礼拝を終えケイトの方を見ると、彼女はお茶とパンケーキを二人分をテーブルの上に並べていた。
「ユーシス。貴女がこの教会で拾われて16年になりますね?今では貴女も立派なシスターです。でもね?ユーシス。貴女には私は普通の幸せを選んでもらいたいの。」
ケイトは笑顔ではあるが、少しだけ寂しそうな笑顔でかたりかけてくる。
私は16年前に教会の庭に置き去りにされていた所をシスターケイトに拾われ育てて貰った。ケイトは私を本当の娘のように育ててくれ、私は沢山の愛情を彼女から貰った。シスターとしての光の魔法だけは、今でも苦手ではあるけど、少しずつ・・・私は幸せと共に育っていった。そんなケイトの最近の望みは私が誰かに嫁ぐことらしい。シスターは職業上、誰かに嫁ぐことができない。何故だかは知らないけど、この世界を創った誰かが決めたことらしい。
でもケイトは私にシスターとしての道を行かせたくない。女としての幸せを選んでほしいが、最近の口癖になっていた。
「シスター!ユーシスいますかぁ?」
元気な掛け声と共に、幼馴染みのシオンが教会の扉をあけた。
「あ、シオン!!」
私がケイトの方を見ると、彼女は笑顔で頷く。行ってきなさいのしぐさ。
この村の外れには丘があり、そこには大きな木が立っている。私達はいつも木の下で腰を降ろし、お話ししたりして遊んだ。でも今日の彼はいつもと何処か違う。何と言うか、そう・・・誇らしげにしていた。
「今日家にさ、城の兵士が来たんだぜ!鎧やら着ててよ、すげーかっこよかったんだ!」
彼は昔から兵士に憧れていた。彼の父親が城の兵士長をしているので、シオンも必然的に兵士に憧れをもっていた。
「なんでもよ?この村に勇者の末裔がいるらしいぜ?」
――勇者シルヴィアの伝説――
昔、女勇者シルヴィアが魔王を討った昔話し。魔王を討った彼女はどこへともなく去ってゆき、その後彼女が何処へ行ったか誰も知らないという、よくあるような今昔物語り。しかし、各地に残る魔物との戦の跡や文献等が、その戦いが事実であることを教えてくれる。
魔王が敗れてより数百年。息を潜めていた魔物達は近年では再び侵略を始め、人々の生活圏は確実に狭めていっていると、シスターケイトは教えてくれた。
「勇者の末裔?」
私が聞くと、シオンは目を輝かせていた。お父様が城の兵士長なぐらいだから、たぶん期待しているのだろう。でも私は彼が勇者であってほしくない。彼がもし勇者なら旅に出なければならない。私は彼との一時に心を癒す女・・・
彼への淡い恋心を彼は知らない。
「ねぇ、もしシオンが勇者だったならどうするの?やっぱり魔王を倒すための旅に出るの?」
私は彼の袖をそっとつかみ、上目づかいに尋ねると、彼は遥か遠くを見つめ頷いた。
やはり彼は私を置いて行ってしまう。大いなる父よ。どうか彼が勇者の末裔ではありませんように。
しかし、私の願いは届かなかった。
何時ものように礼拝を済ませ、二人で何気ない会話に花を咲かせながら、シオンの家に遊びに行った時だった。大神官様の結界魔法により安全なはずの村に、沢山の魔物達が押し寄せた。
先程まで笑い声の絶えない小さな村は、村人達の悲鳴につつまれる。初夏の香り漂う村は、次々と炎に包まれた家屋の焼ける臭いにかわる。
私とシオンは教会を目指して走った。本当は彼も自分の家に向かい、お母様の様子が見たいはずなのに・・・
そんな時でも彼は私を優先する。
教会は既に青白い炎に包まれていた。悲鳴をあげ倒れてゆくシスター達が・・・炎の中で人形にみえた・・・
私は力をなくし膝から崩れ落ちると彼は、
「ユーシス!!しっかりするんだ!まだケイトを探さなきゃだろ!?」
彼の、そんな力強い言葉が私に勇気を与えてくれる。
こんな状況において、自分のお母様のことも分からない、それでも折れない心で勇気を与えてくれる者。
きっと勇者とは彼のような人だと私は思った。
私が絶望の中で見付けた小さな光は、追い討ちをかけるかのように、更なる絶望で塗り潰され消た。
「あぁユーシス・・・貴女を待っていたわよ!」
ケイトの声をした、ケイトの顔をした魔物がいた。
背中から大きく真っ黒な翼を生やし、瞳を深紅に染め、爬虫類のような目で私達を嫌な笑い顔で見つめるケイトだった。
「ケイト・・・なんで・・・」
私の言葉にならない悲痛の叫びを、ケイトは幸悦な表情でみている。
「ユーシス!!あれはお前の知るケイトじゃない!俺達を惑わす魔物だ!」
シオンは、どこで拾ったのか丸太のようなこん棒を、ケイトに向けて構える。魔物の体躯はゆうに家の屋根にも届く大きさ。顔はケイトだけど、体は虎のような獣。ヌエとか呼ばれる魔物だ。
戦いのことは分からない私にも、こん棒で勝てる相手ではないことくらい分かる。
シオンは私の前に出て、こん棒で渾身の一撃を加えるが、魔物は意にも介さずに笑い続けている。
「ユーシス。お前の光の魔力は桁外れなのだ。お前が、お前こそが勇者の末裔に違いない。魔王様はまだ手を出すなと仰るが、何故かは知らぬが大神官の結界が消えた今なら、元の姿に戻れる今なら、覚醒していないお前を殺すことができる!!」
「私が勇者の末裔?魔法も下手な私が?そんな訳がない。」
私の呟きを耳にした魔物はゲタゲタと笑う。
「勇者の末裔かも知れぬ小娘に魔法を教えるわけかないでしょうが。」
その言葉が・・・その絶望的な言葉が魔物がケイトであることを証明する。
目の前が真っ暗になっていく。絶望とはこう言うものだと身をもって体験する。私は始めて自分の死を意識した。
その時だった。シオンの持つこん棒が薄い光の幕に包まれたような気がした。たぶん彼自身は気付いていない。彼の渾身の一撃が再びヌエの脚に食い込むと、今度はヌエは悲鳴をあげた。
ヌエは思ってもいなかった一撃を不意にくらったせいか、怒りに満ちた目で彼を睨み付け、丸太のような太い前肢を彼に振り抜こうとした時・・・
「二人共伏せるんだ!!」
野太い男の声と同時に無数の矢が魔物を襲った。
矢の雨
これが正しい表現と言うような矢の攻撃に怯む魔物に、いつの間にか屋根にいた大剣を持った兵士が飛びかかる。
彼の剣は魔物の肩口に刺さり、真っ赤な血を流しのたうち回る魔物。
彼は倒れている魔物の首を足で踏みつけて、その大きな剣を魔物の頭に突き立てた。
やがて魔物の目から光が消え失せ、ぐったりとすると兵士は兜をとり私達に声をかけてくる。
「二人共怪我はないか?シオン。よくユーシスを護ったな?偉いぞ。」
彼のお父様――兵士長だった。
「・・・ユーシス・・・」
シオンがお父様とお話しをしているのを、少し離れたところで見ていると、かすれた声で魔物が語りかけてきた。
「ユーシス・・・愛してるわ・・・」
それだけ言うと、魔物は息を引き取った。
私は涙が溢れてきた。確かに彼女は魔物だったのかもしれない。彼女にも目的があって私を育てていたのも間違いない。
でも、それでも彼女は私に愛を与えてくれた。一人捨てられていた私を彼女が育ててくれたんだ。
私は手に光の魔力を集め彼女に触れると、彼女は青白い炎に包まれ焼かれていく。煙りと灰になった彼女の魂が安らぎに包まれることを私は祈る。
「ユーシス・・・城へ行こう。」
彼は優しい声で語りかけてくれる。お父様の話ではお母様はお城にいるらしい。逸早く異変に気付いたお母様は、早馬を飛ばしてお父様に助けを求めたそうだ。
「私も連れて行ってくれるの?」
あぁと頷いた彼の瞳は、私の大好きな幼馴染みの瞳。
私は彼と共に行こう。もう私の居場所は彼のところにしかない。
こうして私達は、お城へ向かい旅に出る。
続く