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人の時間、化生の時間  作者: 勤臣蛆虫
一章 化生と人
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九年目 定かならぬもの

 晴れやかな空に恵まれた世界が濃緑に輝いている。何よりも大きな種々のその色は、翡翠や翠玉などとは比べるべくもなく……


「おやおや、今はそんな前置きは不要ですよ」


 茶金斑の男が笑う。


 斑の男が屋敷を見ている。ぎょっとするような長身痩躯に、ぴたりと体の線に沿う黒いスーツ。中性的な品の良い顔立ちに反して、首元の毛皮は幾分不釣り合いに野趣溢れるが、茶と金の斑を持つ長髪には不思議と調和している。


 彼―仮に彼女であったとして、誰か気付くだろうか―は湖畔に踊る妖精のようにふわりと宙に舞う。身を焦がすような夏の下、飽きもせずに木切れを彫っている化生の傍らへと静かに脚を下ろした。


「お久しゅうございます」

「ん、久方振りじゃのう……、前に()うたのは何時じゃったか」


 横柄に遇する化生の様子を気にした風でもなく、茶色と金との斑になった髪を持つ彼は静かに微笑む。中性的な顔立を畏まらせて、片手を胸に当てて親愛を表す。少々気取った所作ではあるが、男の様相には不思議と嫌味が無い。ただ、そうであっても――


「相変わらずのご様子で安心致しました。近頃は皆、怯えております故」


 柔和な表情を崩さずに頭を垂れる斑の男を見るでもなく、白けた顔ではン、と化生は鼻を鳴らす。


「失せることを恐れるような輩は、そもそもが化生に向いておらん。仙人気取りの呪い師と良い勝負じゃろ。既に五衰退没(ごすいたいもつ)に陥っておるよ」

「尤もでございますな」


「……相変わらずつまらん奴じゃの、お前さんは」


 此処に来てようやっと半眼で男を捉えた化生は、鼻白んだ顔で彼に向き直る。正面から捉えた男の眼は金と茶が入り混じり、奇妙な色彩を描いていた。


「……ま、よかろ。茶でも入れてくるでな、客間で待っとれ」


 返事を聞くでもなく、大事そうに木片を抱えて去ってゆく化生。その様子は玩具を片付ける童に似ていたが、矢張り彼女が外見通りの少女でない事を、彼らは知っている。


「さて、急なる客人の身で恐縮ですが、一つ案内をお願い致しますよ」


 斑が語りかけると、少々ばつが悪そうに一人の男が姿を見せる。彼こそはこの屋敷の主、化生の望んだ唯一の番いだ。

 甚平を擦り合わせて立つ彼の表情は珍しく固い。警戒と緊張と、もう一つの入り混じったもの。化生に寄り添う者と言えども、彼は唯の人間だ。多少老成していようとも、それでも歳相応のものでしかない。


「……お気付きでしたか」


 茶金の化生は破顔して屈屈と笑うと、またなんともない風の微笑に顔形を戻して人の子に語りかける。


「あの方も同様でございましょう。なに、貴方にとっては身近なものでしょうが、我々は化生の身でございますれば。人の持たざる、意識せざる権能を持ってこそ我々は形を持つのですよ」


 慇懃と言っても良い丁寧さでもって会釈する茶金の気配を肌で感じ、成る程人の発するものとは違う、独特の恐ろしさがあるものだと人の子は理解する。だが、それでもなお、彼の面が晴れることはない。


「ふむ……私に何かありますかな? どうにも疑義があるようにお見受けします」


「いえ、いえいえ、その、そのような事は決して……」


「無いと仰る? 穴の開くほど私の事を覗いておいて? 何らお知りになりたい事もなく、影に隠れてまで阿呆の用に呆然と漫然と此方を眺めていたとでも仰るのですか?」


「いえ。つまりその……、なんと申しますか……」


 急くような斑の言葉に押し出されるように、苦い顔で口を開き始める人の子。その様子を見て、矢張り何かあったのじゃあないかと、斑はにっこりと微笑んで人の子を促す。


「おやおや、言って御覧なさい。何、余程の事であっても私なぞは怒りませぬ故」


 押し続ける斑の様子に観念したのか、人の子は難しそうに小さく口を開いた。


「貴方はあの方と……かなり昵懇であるわけですね……、恐らく幾百の年月より昔から……」


 控えめな人の子の言葉に斑は笑う。ぶひゃひゃひゃひゃはっは、と腹を抱えて下品な音を立てながら、嫌味たらしく笑う姿もまた贋作めいた作り物の匂いを発している。


「ははは、真逆婿殿に嫉妬されるとは。私もまだまだ捨てたものではありませんなぁ」


 人の子が言葉を飲んでじっと彼を見つめ返すと、「ああ失敬、決して貴方の事を笑ったのではないのです」と応える様も実に虚言臭い斑の男。


「確かに我々は彼女と道行きを共にする機会は多う御座いましたが……だからこそ、詳らかに成ってしまったので御座います」


 くく、と先ほどの笑いを堪えながらも彼は言う。その様は軽快であったが、真の宿らない彼の言動所作諸々をどこまで信じてよいのやら。


「我々の如き化生は型に嵌り、嵌められることで永らえてきたのですよ。お陰で随分と定まらぬ姿と為り果てました」


 ぐらりと、肩を竦めた斑の姿が歪む。その姿は男のようにも女のようにも見え、また狐のようにも狸のようにも見えた。「狐狸」と斑が笑いながら呟くのを耳にして、その後人の子は理解する。彼はどちらか一方という訳ではなく、狐狸という名が一個の化生を表すのだろう。


「我々と言う名も無き不定の化生から、あるものは人に成りました、またあるものは別の化生として定められました。そうして何かに成り変わり、成り果てて、名に縛られる事で形を得て皆永らえたので御座います」


 ヒラヒラと左右の腕を上下させる茶金の男。腕であるはずのそれが柳の枝と変わり、若竹の一節に変わり、茶の獣毛に包まれた力強い前肢に、いや、金毛に包まれた前脚にへと遷ろう。


「そう、だから彼女とは違う。縛られるが故に生き永らえる我々と違い、何人も触れ得ぬかたち、それを手放せぬが故に彼女は死する。……そう、思っていたのですがねえ……」


 にやりと、睨め付けるような粘着質の視線が斑の男より放たれる。腐肉に全身覆われたような不快感に人の子は思わず膝をつくが、斑は意にも介さず言葉を続ける。


「定まらぬものは、あの方の傍らに侍る事はできない。それは私だけの事ではありますまい? 死する後に彼女がどうなるのか、誰も知らないのですから。ひょっとすると、永劫意識を持ち続けるのかもしれませんね……彼女の回想を哀愁にせぬよう、貴方には努力して頂きたいものですねぇ……」


 膝を着いて斑を見上げる人の子を、上から見下ろして化生は笑う。冗談のような道化の芝居に、言うまでもない、と人の子は眼で返す。そう、言うまでもないのだ、彼には。


「なぁにを教え込んどるか、阿呆め」


 いつの間にやら茶を運んで来た化生は、器だけを器用に浮かせると、運んでいた盆で以て無造作に斑のはたく。


「何、先達から若人への助言というやつですよ。少々胡散臭いことを除けば、実に良い行いで御座いましょう」


「全く貴様という奴は……、よいか、真っ当に悩むでないぞ。此奴が未だ生きておるのは図抜けた繰り言によるものじゃ。虚偽が失せれば忽ち消えてしまう哀れな化生じゃて」


「ああ、ああ、古き良き友になんとも酷いお言葉。宜しい、それではお役に立って見せましょう。先の木切れに力を込めさせて頂きますよ。成るべき姿を一層理解される筈でございます」


「なに? ええいやめんか、アレは儂がもろうたんじゃ、弄るでない」


 何処から取り上げたのか、斑の手には少女の手慰みであった木片が握られている。


「木剋火で御座いましょう、火の気配を感ずれば木精が忽ち本性を表すのではないでしょうか」


「だから、やめろと、言うておるじゃろうがっ、相も変わらず話を聞かん奴じゃのう」


 (ひょう)、と少女の脚を躱して器用に湯呑だけを掴み、優雅に茶を啜り上げる斑。どうしたものかと思いつつも、人の子は添え物の菓子を一つ斑に手渡した。斑はそれを受け取ると、激している化生を他所に、器用に口に運んだ。


「怖い怖い。……それでは退散させて頂きましょう。また、いずれ」


「向こう十年は来んで良いわい、阿呆め、塩持って来い塩」


 地を這うように、中空を滑るように去る斑に声を向ける化生の少女。人の子は彼女の手をそっと握る。夏の日差しに少し汗ばんだ掌。精緻な作りの指先に触れると、彼女が此方を振り返る。


「―――」


 哀愁になどさせまいと、人の子は化生をしっかりと繋ぎ止めた。

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