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人の時間、化生の時間  作者: 勤臣蛆虫
二章 化生と人 その愛し子
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十八年目 病

 病は呪いであるという考え方がある。人が苦しむのはある時において、大変な間違いをしてしまった故に、それ以後営々と負い続けている負債なのだと。疾病は我々に何も齎さない、これまでに得たものを返しているに過ぎない――、と。……あくまで仮説だ、これも数ある論の一つに過ぎない。


 体調が思わしくないと、化生が床に下がった翌日。病はいよいよ本格化して彼女を蝕んだ。

 真性の化生である彼女を以てしても抗えない病とは何なのか。人の子はそんな事を考えるまでもなく、彼女が少しでも楽になるようにと色々と手を尽くしている。


「失礼しますよ」


「ああ、お入んなさい」


 水を張った盥やらなにやらを盆に乗せて入室する人の子に、化生は横柄に応えた。いやその様に聞こえるだけで、実際は声を上げるのも億劫になっているだけなのだが。


「お加減は、どうですか」


「朝方よりは、大分良うなったと思うんじゃがの……、如何せんこうも総身が怠うてはなぁ……。はあ、どうにも、難儀なものじゃよ」


 ふふ、と力なく笑う化生。顔色は赤らみ、息も少し早い。人の子はその額にそっと自分のものを押し付けて熱を図る。矢張りまだ熱が篭っており、今しばらく手当が必要であろう。


「八度三分、といったところですかね。急を要するほどに高いわけではなさそうですが。……もう暫くは安静になさって下さい」


「ふむ、そうじゃの……。お前さんには悪いが、暫くはごろ寝をさせてもらおうかの……」


 呵、呵、と笑った拍子に痰が喉に絡んだのか、ごぼッ、と化生は二度三度、咳をした。男がちり紙を口に押し当てると、エン、エヘンと追いやって、吐き出してみせる。


「氷枕を替えましょうか、貴方に効くか分かりませんが、幾分心地良いでしょうから」


「ああ、すまんの……」


 人の子に支えられて頭を持ち上げた化生。その枕に滑り込ませるようにしてひんやりとしたゴムの袋が入れ替わる。中には小さめに砕かれ、掻き混ぜられた氷水が入っており、熱に蒸れた化生の後ろ頭に冷え冷えと冷気が触れる。


「うん……心地良いの。火照った身体に丁度良い塩梅じゃ」


 化生は心地良さそうに眼を細める。その様子に安心したのか、人の子は一つ大きく息を吐く。


「夕方には手拭いを蒸してを持って来ます。身体を拭いて差し上げますよ」


「はっは……こんなざまでも儂の身体に触れんとするか。矢張りお前さんは助平じゃの……」


 呵、呵、と楽しそうに頬を緩める化生。その成りは病に苦しむ少女のそれで、けれども明るい顔を軽口を聞いた人の子は、少しだけ気持ちを休ませる。


「それにしても、真逆、本当に風邪を御召しになるとは……」


「ほ、真逆なんてのは儂の言葉じゃよ……。病なんぞ、とんと患った憶えがなかったからのう……」


「ですが少しずつ、熱も下がっている様子です。今暫く養生すれば楽になりますよ」


「そうじゃの……。ま、この程度でどうにかなりはせんよ、儂は」


 エヘン、と一つ咳払いをして化生は自慢気な顔をする。


「そうですね……水を飲みますか」


「ああ……頼む」


 億劫そうに半身を起こす化生を支え、冷ました茶の入った吸飲みを彼女の口元へと運ぶ。常温の茶から回る優しい味が化生の口腔に収まり、少しかさついている彼女の唇から総身へと潤して回る。


 二口、三口、と口にして、化生はまた横になる。


「世話を掛けるのぅ……」


「いえ、いいえ……普段から家の事を能くして頂いておりますからね。偶にはこんな日があってもよいでしょう」


「そうか……」


 沈黙が部屋に訪れる。男は手拭いを水で濡らし、彼女の額に当てる。部屋の外では小鳥が鳴いている。雲雀か雀か、小鳥の類だ。


「それでは、また来ますね。何かあれば呼んで下さい」


 盆をもってスックと立ち上がった人の子。しかし彼が違和感を覚えて振り返ると、裾のところを化生の小さな手が、がっしと掴んでいた。


「……どうされましたか」


 人の子は冷静に、子供をあやすような優しい声で語りかける。化生は少し恥ずかしそうにしていたが、やがて意を決して口を開いた。


「病がな……、経験に無い事じゃったからな……、こんなに、寂しくなるなんて思ってもみなかったんじゃよ……。ああ、儂は寂しいんじゃ。一人で部屋の中に転がっていて、もしそのまま誰かが居なくなったら……、ふらりと外に出たお前さんが、もう戻って来なくなったら……。そんな事、起きる筈が無いのにのう……それでも、ああ、なんだかとても、寂しい」

 顔を伏せて、必死な顔で寂しいと告げた化生。人間の尺度では計り知れないほど、永きを生きてきた化生。その彼女が寂しいと言う、行かないでくれと言う。人の子は手に持った盆をそっと置き直し化生の傍へと顔を近づける。


「分かりました。……良くなるまで、私はずっとここに居ますよ」


 すっと少女の布団に身を滑り込ませて彼女の隣を確保すると、優しく彼女の顔を撫でた。


「ふふ、添い寝かえ……やっぱりお前さんは助平じゃ……」


 そう軽口を叩きながらも、化生は力の入らない両手両足を用いて、ぎゅっと男の身体に抱きついた。決して離すまい、離れるまいとするかのように、ぎゅっと。


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