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人の時間、化生の時間  作者: 勤臣蛆虫
二章 化生と人 その愛し子
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十四年目 人の子と化生の子 なにより愛しき彼らの子

 人と化生の間に子が産まれた。その祝は妖界全土に響き、多くの者が言祝ぎに参上した。新しき化生が産まれるというのが近年珍しくなったこともあろうのだろう。彼等の、何よりも彼女の漸くのお子だというのも一層の拍車をかけたのだろう、多くの化生が彼らの下を訪れ、一様に彼女の勇気を褒め讃えた。


 形を得た彼、二人の子供は、産まれた時から生後数年の男児といった風体であった。また生を受けて後も飛び抜けて早く成長し、生後二月を経た今では、更に一年分程の発育を顕していた。


 彼の何より特異な部分は、生後間もなく言葉が話せたことであろうか。それも単純な鸚鵡(オウム)返しなどではなく、きちんと意思疎通の叶う会話であった。化生の子であるからだろうか、彼は子馬が生後間もなく立ち上がるように、彼は産まれた時既に彼であり、つまり生得的に理性的な思考を持ち合わせていた。


 身体バランスはまだ幼児のそれだが、短い手足で食事排泄なども一通り行ってしまうものだから、尋常のお子に要する世話などは殆ど掛からなかった。


「手の掛からん子じゃのう……」


 やれやれと言った風に化生が苦笑しているのを人の子は見たことがある。母親としては子の世話に奔走する心構えであったのか、肩透かしと言った風に困惑した顔をしていた、母心とはなんとも微妙なものだ。


 彼はちょこちょこと動き回る割に重心が安定しないらしく、偶に転んでは額や膝に擦り傷を作っては、


「父母の手を煩わせてしまい、恐縮です」


 などと大仰な事を言いつつ、大変畏まった様子で人の子やら化生の膝上で治療を受けるのだ。これほど珍妙な子供もあるまい。


 今もまた、彼は人の子の膝上で治療を受けている真っ最中であった。


「申し訳ありません、父よ」


「なに、子供のうちはそんなものだろう。自分の身体の動かし方に慣れるまでは、転んで怪我をして、立ち上がってを繰り返すのが仕事だ。取り返しのつかない大きなことでなければ、徐々に経験を積めば良いのだよ」


「ふむ……儘ならないものです」


「本当に、随分と大人びて産まれてきたのに、そこだけは中々じっくりと育つねえ……いや、並の子に比べれば充分に速いのだけれども」


 むう、と膝上で唸りながら渋顔をしている子の頭を梳るように優しく撫でる。彼は擽ったそうな顔をして眼を細め、されるがままを受け入れながら、小さな手を持ち上げて父の手に重ねた。


「父の手は大きく、温かいです。私も早く父のように成りたいものです」


 指先の皺を一つ一つ確かめるようにして父の掌を検めた彼は、しみじみと静かに言葉を発した。鈴が跳ねるような若い声で、その音はどことなく化生の笑い声を思わせる。


「直ぐの事だろう、君ならば。本当にこちらが驚くほどに成長しているのだから」


 差し当たって先ずは、歩く練習をしなけりゃいけないなあ、と人の子は柔らかに笑う。膝に乗ったままの彼はまた一つ、むう、と唸って渋顔をする。


 多少大人びて取り繕っているとはいえ、根の部分はまだまだ子供だ。そんなだからこそ、並の子供でない彼のことを己の子だと感じることができるのだなぁと、人の子は思索する。


「今はゆっくりと遊び、物を知り、森羅万象を肌で感じると良い。静かな生活を楽しむんだ。それを退屈と言うほどには、君はまだ世界を見ていない筈だよ」


 膝の上から首を持ち上げて人の子を見上げる彼は、その言葉をしっかりと受け取りつつも、やはり納得しかねる風で、むむむと唸り声を上げている。


「これでも、母の中におりました頃から、あれにこれにと諸々の世界を見たつもりではあるのですが……」


「それは見ていただけだろう? 肌で感じていないのならば、流石に全部を知っているとは言えないよ。化生の感覚には明るくないが、例えば私の手に触れるという経験は、ソレ以外の体験では替えが聞かない筈だ。……なんと言うかな、代理はできても、同じものには成れないと言ったほうが良いかな。自分自身が触れて、目にして、耳にする、感じ取る。世界を受け取る体験は、何にも代え難いものだよ」


「……父は中々、難しいことを仰るものです。確かに生身より受け取る感覚は得がたいものではありますが……私にはまだ、どうにも理解しかねます」

 

 なに、直ぐに分かるさ、と人の子はまた彼の黒いくせっ毛を撫でつけながら、物思いに耽る。


 人の子と化生の子の間に産まれた子は、およそ人の子らしからぬ、けれども化生の子としてもまた幼い風体で命を授かった。人らしくなくとも未熟で、化生らしくなくとも老成して産まれてきた彼は、勿論化生の少女が持つように、あやかしとしての権能を持ち合わせて産まれてきた。


 尤も、彼が言うには未だ正しく使い熟すには遠いらしく、現在は自主的に禁を敷いているそうだ。その力を用いれば、歩くことはおろか地より離れ、中空自在に飛び回ることも可能であろうが、そこはそれ。今はこうしてもどかしくも幼子の生を経験する気でいるようだ。

――素直な子であって良かったと、人の子が気を休めたのはまた別の話だ。


「おや、こんな所へおったのか。二人してなんじゃ、儂に秘密の話でもしておったのかのう」


 がらりと縁側に繋がる木戸を引いて化生が顔を表す。水仕事でもしていたのだろうか、着物にはたすきが掛けられており、少女の端正な細腕があらわとなっている。


 一目見れば先の童子の姉か何かと思えるような小柄な少女。けれどもその風体から感じられるのは太母のような太陽の温かさだ。我々は知っている、この少女が見た目通りの幼き者でないことを。そして何より、彼女こそがこの童子の母であることを。


「なに、男同士の作戦会議といった所ですよ、特別な内緒話です、ええ」


「おやおや、それは随分と酷いことじゃのう……母だけ仲間外れかの。つまらんのう」


 よよ、とたすきを解き、着物の裾で顔を隠す化生の母。臙脂色の着物が彼女の白い肌を隠し、女性的なしなを作り泣き崩れる真似をする少女の姿を見て、父の胸に頭を預けていた彼はすこし膨れっ面になって彼らに抗議する。


「……父母は少し意地悪です。そんな風に言われては、私は何も言えないではありませんか」


「ははは、それはそうさ。……こういったことも含めて、経験というやつだよ。なに、焦ることはないさ、気楽にのんびりとやって行こう。静かな生活というやつだ、毎日を大切に、少しずつ、積み重ねていこう」


「そうじゃの、お前は少々頭でっかちのようじゃからのう……、先人はそう簡単に先を譲りはせんよ、万事そんなものじゃ。精々励むがよいぞ、儂らの子」


 化生が傍へと寄せ、人の子と同様に彼の頭を撫でつける。くりくりとした赤目は又細められ、彼は擽ったそうに頬を緩める。


「……そんなもの、でしょうか。私にはまだ、分かりません」


「そんなものかどうか、確かめるのもお前さんの経験次第じゃろ……、さて、先ほど幾らかぼた餅を拵えたのでな、一服しようぞ」


 そう言って、化生は彼を抱え上げる。小柄な化生の身体から言えば、彼の身体は中々に抱えるのに難儀しそうなものであるが、そこは母の面子か、こともなげに抱え上げる。


「はい……、ああ、今日は良く陽が差しますね」


「ああ、まだ寒い時期ではあるが……温かいのう……」


 半ば独り言のように呟く父母に連れられて、家族は立ち上がり、居間で団欒をするために身を寄せ合って歩く。その顔には胸を温める安穏があった。

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