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人の時間、化生の時間  作者: 勤臣蛆虫
一章 化生と人
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一年目 人の子と化生の子

 大仰な、されども枯れた日本家屋の縁側で、日光浴をしながら茶を啜る子供が一人。年の頃は十を少し過ぎた程度か。女性という形容には些か若さが過ぎるが、そうかと言って外見通りに童女という風ではない。


 西暦が二千を刻んで十余年。この時代で本式に和服を着こなす子供が何人いるだろう。しかも茜色に眼を引くそれは芸事の礼服ではなく、普段使いのものであると一目で分かるほどに着慣れている。


 彼女自身の体躯がなければ、さながら隠居した老夫婦の片割れと言った風情だが、華奢な体格は可憐さを孕みつつも、酸いも甘いも嚙分けた老婆の如き貫禄が醸し出されていた。


「ああ、こちらでしたか」


 奥の間に通じる引き戸を開けて顔を出した男は、少女を見つけるなり、声を掛けた。見てくれだけならば父娘と言われて疑問を持たない。だが、何故だか少女の方が彼の庇護者であるようにも見える。


「おう、今日は雲が少のうてな、日がよう差してきて温もるわ。ほれ、此方へ」 


 ぱた、と膝を叩く。その振る舞いは大人びているが、如何せん子供の身体では見栄えがしない。男はそれを苦笑交じりに受け入れて彼女の膝に頭を横たえたが、矢張身丈の差を埋めるには難く、座りの良い位置を見つけるまでに四度、五度と身体を捩らせた。


……しばし無言の後、男の顔を無造作に扱いながら少女は譫言(うわごと)のように口を開いた。


「――厄介なのに好かれたものだ、互いに」


「ええ、ええ、全くその通り。私が我儘を通した結果です」


 膝枕に頭を乗せたまま、男は眉根を寄せた少女の頬をそっと撫でる。如何な見栄えであろうとも、彼等のそれは恋人達の睦言であった。


「阿呆め……、後は死ぬだけの老いぼれなんぞに現を抜かしおってからに……」


 少女は憎まれ口を投げ放ちつつも、並べた言葉に比べて語調には険がない。心底からの言葉ではないのだ。云って聴く相手でないと半ば諦念しつつも、それでも認められぬという意地が彼女に言葉を紡がせていた。


「儂はもう充分生きた。幼子のまま留め置かれた身体も、幾百幾千の時には逆らえん。このちびのまま儂は老いて……そうしてもう百年もせんうちに死ぬ」


「はい、分かっています……」


 嘘を吐くでないわ、(うつ)けめ。力のない少女の言葉は、男の頬を撫でる指先のように儚く滑り、何れ地に堕ちる。


「儂はただ、守屋の末のせがれに生き延びて欲しかった、それだけだったというのにのう……。病に冒されたお前の命、それを繋ぎ止めようなどと思うべきではなかったと言うのか?」


「いいえ……いいえ、そんな事はありません、決して。命を頂いた側の傲慢かもしれませんが、私は貴方に会えて良かったと思うのです」


 男の手は艶やかな少女の髪を流れに沿って撫ぜる。手櫛の歯が地肌をくすぐると、少女はくすぐったそうに身を捩らせた。


「……この時代には、儂ら化生の如きはもう必要ないと思っておったのだ。人が闇を恐れるように、化生妖かし妖怪変化の類は光を恐れる。もう儂らの生きる時代ではないと、このまま静かに消えて行こうと、そう思っていたのに……」


「……」


 男は答えない。いつの間にか彼女の言葉に聞き入るように手を止める。


「もう終わると決めてから、こんな大きな未練を儂に与えおってからに……酷い末だよ、お前は」


「お嫌……ですか?」


 男は僅かに相貌を崩し、取り繕っていはいるが心配不安気な様子で少女に問いかけた。我儘に己の求めを通した彼ではあるが、それでも、彼女に只々悔いを残させたばかりなのではないかと問うことがあるのだろう。


「そうであったらどれほど良かったろうかなあ。……ああ、消えたくない、死にたくないなあ……」


「程度の差はあれ、私も貴方も定命なりし身。遅い早いの違いはあれど、それが常世の理でしょう」


「悔いを持たせた分際で、儂に向かってようよう講釈垂れよってからに。じゃが、そうじゃのう、百年ならば人の生き死にの枠に入れられるか。それは嬉しいなあ……人間か、いいなあ……」


 少女は膝に抱えた男の頭を優しく抱きしめながら、薄く涙を流しながら笑った。浄化の涙は男へと伝い、彼は節くれだった親指でそっと彼女の瞼を撫で、眦を拭った。


「例え過ぎゆく一時の出来事だとしても、私は貴方を愛します。死がふたりを分かつまで」


 真剣な顔をして宣言する男に、少女は涙を拭いながら一層柔らかく太母の如き笑みで軽口を叩く。


「分かつとも、と誓え。きちんと責任とらんと化けて出るぞ儂は。輪廻転生永劫那由他の果てでも、決してお前から離れはせん。閻魔なんぞに止められるものかよ」


 冗談めかして化生は笑う。男も釣られて微笑んだ。


 縁側を照らしていた太陽は徐々に傾き、庭を輝かせていた光はいずれ影に追いやられる。彼らの足元まで、敷石から階段石、ついには沓脱石(くつぬぎいし)の直ぐそこまで影が来ている。けれども彼らは逃げはしまいよ。


 その身に掛かる陽光が消え去り、闇が全身を覆い隠したとしても、それでも。それを受け入れ、共に生きて、その先へと彼らは進むのだ。


 死が二人を分かつとも。

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