4-2
病院内はすでに暗くなっていた。
正面から入ることを許されず、急患の方で翔馬に連絡を取ってもらったところ、その場にいた看護師に案内され、ある病室の前まで来る。
横にスライドするドアを開けて、晃人は中に入り込む。剣は関係ないと言って、付いてくることはなかった。
中は開放的で、怖いほど真っ白に塗られている部屋であった。真ん中にはベッドが置かれていて、そこに葵は寝ていた。
翔馬が手配してくれたのか、相部屋ではない。しかし、その点に疑問が浮かんでくる。晃人は何一つ翔馬と剣に葵のことを話していない。なのにこうして葵は翔馬のいる病院へ運ばれ、ベッドで寝ている。そして、一番の疑問が、『葵の身に何があったのか』だった。
「……葵さん?」
晃人が入ってくる音で気づいていたのか、葵はゆっくりと顔を向ける。その顔が半日前の顔とは全く違って、無表情に近いものであったことに晃人は少々驚く。彼女の心を抉るようなことでもなければ、そんな顔になるとは思えなかった。
「……早人さん、じゃないですよね」
声が震えていた。
どうしてなのか、晃人にはわからなかった。そして何より、晃人と聞いてくるのではなく、早人の名を口にしたことに違和感を感じた。
「……どうしたんだ?」
車に乗っていた時も自分は、葵のような顔をしていたのだろう。世界に対して負の感情を持ってしまった顔だ。だから晃人は葵に近寄って話を聞こうとした。
だが、それは絶たれてしまう。
「来ないでくださいっ!」
完全な拒絶であった。
叫ばれても家でのことは、別に気にすることはなかった。葵がはっきり嫌がっているようには見えていなかったからだ。
しかし、今のは露骨にわかった。
はっきりと確実に晃人に伝えていた――『嫌だ』と。
「……晃人さん、あなたは早人さんと双子のようですね……」
晃人は最初呆気にとられていたが、それに頷く。
「なんで……その情報だけでも伝えてくれなかったんですか……」
「いや、元々そっちが知っていると――」
晃人は言い訳を述べようとするが、それを阻止するように葵は、掛け布団を強く握って、部屋に衝撃の事実が響き渡った。
「私はあなたのせいで殺されそうになったんですよ!」
涙を流しながらそう告げられた。
「……なんだよ、それ。俺のせいって――」
それは理不尽だろ、と晃人も叫ぼうとするが、直前に後ろから肩に手をかけられ、体勢を崩す。後ろを見れば、そこには白衣を着た翔馬が立っていた。
「病院内は静かにしてくれ。俺が怒られるだろうが」
そう言うと、翔馬は晃人の手を取って部屋から出ていこうとする。それに晃人は抗うことはしない。
完全に病室から出ると、翔馬は葵の方に振り返って「安静にしてなきゃ治んねぇぞ」とだけ話すと、スライド式のドアを閉めてしまう。
「晃人、よく聞けよ」
ドアから離れつつあった晃人に、翔馬は話を切り出す。
「あいつの体が治る保証は俺にはないんだ。だから――」
「ちょっと待ってくれ。治る保証がないって、葵さんは病気なのか?」
葵がなぜ入院しているのか、晃人にはわからなかった。
確かに昨日、羽の調子が悪いように思わせる現象は起きていた。突如として晃人のように翼が崩壊したのだ。
しかし、だからといって、葵が医者に自分の体を見せるかどうかと言われれば、否だと晃人は思った。だから入院している理由がわからなかった。
「あの子から聞かなかったのか?」
晃人は首を横に振る。
「言えなかったか、あの子は。まぁ仕方ない」
「なんだか良くわかんないけど、葵さんはなんで入院しているんだ?」
翔馬は一度頭をかいて考える仕草をすると、晃人に葵の状態を伝えた。
「あの子は刃物で背中を切られたんだよ。ざっくり切られたわけじゃなくて、切り傷程度の浅いものだけどな」
晃人は歩いている足を止めていた。
生徒会室にいた人間が切られることなどあるのだろうか。いや、葵は途中で生徒会室から出てしまっている。しかし、出たとしても街まで降りることはしたのだろうか。冷静に考えてみると、それほどカーテンで閉められた状況で外の様子を見ることも出来ないし、興味だけで葵が勝手に動くなど、晃人は考えられなかった。
つまり、葵は誰かに連れられていったのだ。
それが先生かもしれないが、あまり騒ぎになっているようには見えなかった。それに先生の誰かが生徒に刃物を向けるなど、有り得ない。
では、誰が?
「誰がやったんだよ」
聞かずにはいられなかった。
世界が崩壊するかもしれないのに、葵を殺そうとしたのだ。
だが、犯人を聞いた晃人は、頭が真っ白になる。
「あの子の証言では――早人らしい」
堂々と学校に入った早人は制服を着ていたようだ。双子である早人と、まだ新入生である晃人とでは、見分けられる人間はあの学校には、桜花しかいなかった。たぶん、新入生だと思って特に先生達も気にすることなく、早人は学校を回れたのかもしれない。そして、ちょうど生徒会室前を通った早人を、晃人と見間違えて付いていってしまったのかもしれない。
しかし、早人が葵を刃物で切り付けることをするのだろうか。
「それとな、あの子が自分で言う、と言ってたけどな。やっぱお前は知っておいた方がいいのかもしれない」
そう言うと、翔馬は深刻な顔で晃人を見る。
「あの子――翼が出せなくなったんだよ」
それを聞いた晃人は、何も言えなかった。
頭の中が真っ白になっていく。
「お前だったらわかるんじゃないか、あの子の心情が」
わからないわけがなかった。
いや、わからないかもしれない。
晃人は付加として翼があったのだ。なくなったとしても、晃人にはまだ立ち上がる足があるのだ。
しかし、葵には立ち上がる足などなく。
――空を泳ぐことができる翼を失ったのだ。
そんな葵を晃人が理解することが出来るのだろうか。
いや、出来ないのかもしれない。
「できる限りのことはするつもりだ。これでも俺は医者だ。そして翼の研究もしていたんだ。あの子がもう一度飛べるようになんとかするさ」
そう言うと、翔馬は廊下を歩いていく。どうやらまだ仕事が残っているようだった。
だが、一度晃人の方を振り返って忘れていたことを言った。
「お前だけが彼女を慰めることが出来るから、あの子の部屋にいてくれないか」
「……俺が?」
「彼女はどうせ一人なんだ。見守れるのはお前ぐらいだよ。無理はしなくていいからな。ただ――わかってやれるのが、お前だけなんだ」
そう言うと翔馬は消えていった。