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3-6

出歩かなければ部屋の中でゆっくりしていいよ、と言われていたため、葵は長机に置かれていた小説を読んで、何度となくなく鳴る鐘の音を聞きながら時間を過ごしていた。

小説は、海辺の近くで産まれ育った男の子と、上半身が人間、下半身が魚という《人魚》の淡い切ない恋の話だった。

「恋、ですか……」

今までそんなよそ見をすることなどしなかった。

世界が破滅することを幼い時から話されていた少女が、周りの男の子達と戯れることなど考えも浮かばなかったのだ。話すことはあっても、事務連絡のようなことだけで止める。それ以上のことなど何一つなかった。

だから、晃人――男がこれほど近くにいる、という状況自体、昔の自分なら考えることもないだろうな、なんて葵は思ってしまう。

下衆で。

子供っぽくて。

喧嘩ばかりしていて。

何でも大雑把で。

考えつかないようなことをしている、と思っていた。

だけど、葵は気付く。

晃人は違う、と。

確かに不良のような、いつでも人を睨んでいるような疲れた顔をしていて、言葉遣いも悪く、見た目からは雑な男だと思われても仕方のない男だった。

だが、今は違う。

主婦のように料理が上手で、家事も熟していた。

口調は悪いが、心の中で、態度で、ちゃんと自分のことを優しくしてくれている。

そして、励ましてもくれた。

一緒に《早人》を探してくれる、とそう言ってくれた。

「……」

最初は《早人》を探すために必要な情報を持っているのかもしれない、とそう思って距離を置いて接することも考えていた。

しかし、すでにそれは無理だった。

自分に協力してくれる。

支えてくれる。

そんな人となっていた。

近くにいて、嫌になってくることなどない。

反対に近くにいてくれた方が嬉しいなど、そう思い始めていた。

「……どうしようかな」

何がどうしようなのかわからない。

いったい何を考えているのだろうか。

葵はブルブルと頭を振る。

自分の頬に手を当てると、熱が手に伝わってくるほど熱かった。

頭を切り替える。

小説など現実の話ではない。

偽りを含んだ読者を惑わすモノだ。

葵は翼を生やす。

光が少ないため、維持するにはそれなりの力が必要であったが、天界人である者がこれぐらいのことで、宙に浮いてられないのは恥じるべきことだ。

「私は世界を守るんです」

そう呟いて、先ほどの世迷言を完全に頭から切り離した。

やらなければならないこと。

成し遂げなければならないこと。

尽くさなければならないこと。

それを全うするのが、葵の使命である。

だから葵はこの世界に来たのだ。

まだ時間はある。

《早人》も戻ってこようとしている、ということなのだから、今からでも準備していてもいいだろう。そう思って葵は体を動かし始めた時。


――コンコン。


扉を叩く音がして、葵は扉に取り付けられたドアスコープを覗き込む。

そこには晃人がいた。

だから葵は扉を開けて顔だけを出した。

「晃人さん、もう『授業』は終わったんですか?」

「もう終わったよ。だからちょっと来てくれないかな?」

妙に口調が柔らかいように思えたが、葵はそれに頷いて部屋から出ようとするが、そこで前へ行くのをやめる。

「どうしたの?」

「今人は誰もいませんか?」

「大丈夫だからついて来て」

そう言って晃人は葵の手を掴む。

先ほど自分の頬の熱が熱すぎたのだろうか、晃人の手がひどく冷たいように感じた。だが、そのことを一々口にすることなく、葵は晃人に連れられて階段を上っていき、そしてある一つの扉に到達した。

「ここは?」

「屋上だよ」

そう言って晃人はポケットから鍵を取り出し、扉を開ける。

そこから光が溢れた。

今までずっと光の届かない場所にいたせいなのか、目が慣れずにつぶってしまう。

そんな葵を晃人は優しくエスコートするように前へと足を進めた。

そして葵は目を開ける。

目の前には海が広がっていた。

空気が澄んでいるためか、遠くの島や、海岸線を一望できた。

まだ昼ごろのため、ちょうど上に太陽があり、葵の白い肌を焼いていく。

風が吹く。

髪を押さえて、心地よい風に体を任せる。

「いい場所ですね」

閉じ込められていたような感覚だった先ほどとは違い、開放感のあるこの場所を葵はすぐに気にいることなる。

「晃人さん、こんなところでご飯を食べても良いんじゃないでしょうか?」

葵はそう提案して、晃人の方を振かえようとしたが――。


バシュッ。


「え……?」

背中に痛みを覚えた。

そしてそのまま前のめりに倒れ込んでしまう。

理解が追いつかない。

いったい自分の体に何が起きたのか、葵にはわからなかった。背後に視線を向け、黒い影が剣のようなものを握っているのが見えた。

そして、後ろから薄気味悪い笑い声が響いてくる。

「……晃人さん……何をしたんですか?」

晃人とは思えない声で笑う男に葵は睨む。

「君は僕のことについてなんにも知らされていなんだね。写真でも見せてもらえばよかったのに。アキは写真が嫌いだからかな、一人で写った写真なんて覚えがないし」

「あなたは……誰?」

背中がズキズキと痛み、体に力が入らない。

そんな状態でも、声に出して、その男に問うた。

「誰って本当にわからないんだ。別にアキに変装しているわけじゃないし、声だって似ていると思うんだけど」

男は頬や髪の毛を引っ張って、それが仮面ではないことを訴える。

それを見て、葵にはある人物しか思いつかなかった。

「あなたが――」

「そう。君が探している《佐久間 早人》本人です。どうぞ、よろしく」

二年前に連絡の取れなくなり、そしてずっと探していた人。それが今こうして目の前に立っている。この高校の制服を身に纏っているのは、葵には思い当たる節があった。それは生徒会室にあった男子生徒の制服かもしれなかった。桜花が朝、『学校外から』と言っていたことを思い出す。

「よろしくって、うっ……」

翼を発現させようとするが、うまく状態を維持することができず、ボロボロと形を崩していく。そして激痛が走る。

それを眺めながら、早人は笑みを浮かべたまま葵の周りを歩き回る。

「あまり動かない方がいいよ。傷口が開いちゃって死んじゃうけど?」

「……早人さん、いったい何を……」

そう言われたとしても、葵は起き上がるのをやめなかった。

自分が死んでしまっては元も子もないが、それよりも、なぜ自分に刃を向けたのか、葵には理解できなかった。だから問う。

「何をと言われても、君は僕にとって邪魔な存在だからだよ。この世に生きていられても困るから」

「困る……? 私たちは世界のために……」

「世界のために、か。そんな戯言、こちらに手紙を寄越していた時からそんなこと言ってたな。あれにはうんざりしたよ」

両世界は《人柱》同士で連絡を取ることがある。それは二人で同時に命を《柱》に捧げる連携を取るためであったり、両世界の情勢を知るためでもある。もしもの場合のことを考え、それほど感覚を空けることなく、連絡するようになっている。

しかし、今回の場合、早人が家出してしまい、誰も《地界》の情報を送ることなく連絡が途絶えていたため、《地界》の《人柱》が死んだと考え、《天界》は緊急事態による対策を採択されようとしていた。だが、生憎早人が生存していることがわかり、こうして葵が《地界》に降りて早人を捜索しているのだ。

「君さぁ、上の奴らの言いなりになっていること、わかってる?」

「……どういう意味ですか」

「そのまんまの意味だよ。君は良いように扱われているだけなんだよ」

睨んでいた顔が一瞬緩んでしまう。

しかし、葵にはその言葉が心の中にまで入り込んでくる。

「君が慕っている恩師もそうだろうけど、上に立っていたいんだよ、《天界》が」

「それは《天界》が空にあるだけで――」

「だから僕たちを『見下す』のかい?」

「そんなつもりは――」

「君がそう思っていなくても、上層部のお方たちはそうしたくて仕方ないと思っているはずだよ。空でふわふわ浮いていたいんだよ」

早人はそう言って空を仰ぐ。

「だから僕はこの世界を壊すんだ。壊して、粉々にして、前あった世界の痕跡なんて無くして、完全に新たな世界へと変えて、みんなが平等に生きていけるような世界を作るんだよ」

「そんなことをしたら、人々が……」

葵は意識が遠のいていくのがわかっていながらも、必死に訴えた。

世界が壊れてしまえば、この世界に住んでいる人々が死んでしまうことになる。

「新たな世界の糧になってもらうよ。僕だってそのひとりだ。そうなっても構わない」

フェンスに寄りかかった早人の顔は真剣そのものだ。

そういえば。

その顔が晃人の顔が全く同じものだ、と今更ながら思った。生徒会室で見たとき何の疑いもなく、晃人だと思ってしまったほどに似ていた。

「……晃人さんとは兄弟ですか」

「うん? ……あれ? 僕たちは双子だけど? そうか……アキは僕のこと嫌いだから」

「……そうですか……双子ですか」

双子だから顔がそっくりなわけだ。

葵は晃人から兄弟だとも言われていなかったのだから、騙されて、こうして熱されたアスファルトにうつ伏せになっているのだ。

「……世界は……」

意識が朦朧としてくる。

血は体から溢れだし、屋上を血の海で染めていく。

「すまないね」

そう告げると早人の気配が消えてしまう。

バサッバサッと羽ばたくような音がしたのは気のせいだろうか。

「……私だけじゃあ……」

体を回転させ、仰向けになる。

太陽が照って、目を細める。

「……守れない、です……」

最後の力を振り絞って太陽に手を伸ばす。

「……晃人さん……」

光は溢れる。

その奥先に晃人の顔が浮かんだのはなぜだろうか。

そんなことなど考えることなどできず。

意識が消えた。


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