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2-8

 綺麗な場所だった。

 清潔に保たれているようで、今見ているものが全て光り輝いているように見えた。滑らかなでツルツルした表面は、何度でも指でなぞっていたかった。

 少女はキッチンにいた。

 葵――それが彼女の名前だった。

 葵は右手に刃物を持って、野菜を切っていた。

「やっぱ女子だと上手だな」

 ぼそっとそう言われて、葵は少し頬を赤らめる。

 実際には包丁という刃物を持ったのは今回が初めてだった。それに見たこともないような野菜を、晃人に教わった切り方でその通りに切っているだけなのだが、それでも褒められるということは、うれしいことであった。

 そのあと、お客だからと言われ、先ほど座っていた椅子で少し待つ。

 外はすでに黒で染められていた。

 生物界ではこの暗さが身を守ると同時に、敵に警戒しなければならない。太陽は沈んでしまっても十分な休みを取ることなく、生物は暗闇を利用しながら生きた。

 しかし、人間はそうではなかった。

 闇を恐れ、光を生み出す。

 それが今の現状だ。

 身体能力の低い人間たちでは、道具で補うことで生物界の頂点に立つ。いや、生物を超越し、神にも手に伸ばすことが出来る位置まで、人間は歩んでしまった。

 ずっと見下ろしていた光景。

 そこに今、葵はいるのだ。

 大通りに出れば、たちまち周りの光に飲み込まれそうになる。

 そんな不思議の国に来た葵は、目の前に置かれた料理を見た。

「これは……?」

「肉じゃがだよ。日本人なら誰でもこの味を知ってる」

 小皿に盛ってもらい、葵は晃人から箸を渡される。

 しかし、なぜだか晃人の顔は心配そうな顔をしていた。

「箸は使えるのか?」

「ナイフとフォークが一般的ですけど、箸も大丈夫です」

 箸を使う料理が出されたのは、葵にとって何年も前のことだ。そして目の前にある湯気の出ている肉じゃがの匂いを嗅ぐと今すぐにでも、食べてしまいたいのだが、晃人が向こう側の席に着くまで食べることはしなかった。

「そういえばまだ君の名前を聞いてなかった」

「葵です」

「えっと名字は?」

「それは教えられないんです」

 晃人は葵のことを『君』と呼び続けたくないため、名字の方を聞いたようだが、葵は済まない気持ちでそう言う。どれほど晃人が葵たちのことを、この世界のことを知っているかによって、自分の名前を教えた方がいいと考えたのだ。

「じゃあ――葵さん」

『さん』を付けることで妥協したようで、晃人はお茶碗を葵の分まで置いて、席に座った。

「葵でいいですよ。さんを付けられても困りますし」

「はぁ……」

 納得がいかないようだが、晃人は首を縦に振り、「いただきます」と言って箸を持ってご飯を口に運ぶ。

 葵もそれに習って、肉じゃがを口に入れる。

 ちょうどいい具合にじゃがいもが柔らかく、味が染み込んでいて、顔の怖い不良少年が作ったとは、到底思えなかった。

「それでだけど……葵、教えてくれないか」

 葵が申し訳ないために言ってしまったこと、『何でもするから』の一つ目に頼まれたのが料理の手伝い。そして今晃人が二つ目に頼んだことは、葵の知っている、晃人の知らないことを教えて欲しい、ということだった。

「あの、最初に聞いていいですか?」

「答えられる範囲なら」

 了承を得てから、葵は問う。

「《天界》、《有翼人》、《天使》、《柱》、《鐘》――これらの単語に聞き覚えはありますか」

 少し考える晃人は、苦い顔をして「《天使》くらいしか知らない」と言う。それも《天使》というのが、神話や天国に出てくる方だという。

 それでは、晃人は本当に全く知らない、ということになってしまう。それだけでもわかったことは良かったのだが、反対に初歩的なことまで説明することになりそうで、葵は困ってしまう。

「どこから話しましょうか。《天使》がわかるのであれば――あなたたち《人間》と《天使》はどういう違いがあるか、わかりますよね?」

「……翼が生えているかどうか。それと《天使》は凄い力でも持ってる、くらいか」

 あながち間違ってはいない。

 しかし、それは葵の言う《天使》ではない。

「確かにそういう《天使》もいるでしょう。ですが、私の言う《天使》とは違います」

 葵は晃人に筆と紙を頼む。

 紙は使ったことがあったのだが、筆ではなくペンを持ってこられてしまい、葵は目を白黒させて、どう使うのかと聞く。やはり、この世界のことは葵自身もほとんどわかっていない、ということなのだ。

普通にペンを走らせば、文字が書けるということで、葵はある図を描いていく。

 紙の真ん中に一本の線を引き、紙を半分に分ける。

「そちらが今私たちがいる世界です」

 葵は線で半分にした晃人側をペンで指す。そしてペンは葵側の部分を指す。

「そして、こちらが私が元いた世界です」

「パラレルワールド、ってやつか……?」

「少し違いますが、そう思って構わないです。実際そっちの方が説明は楽だと思います」

 葵は続けて、ペンを使って絵を描いていく。

 晃人の方には棒人間を。

 葵側にはなにやら得体の知らない飛行物体が浮かんでいるようだった。それを自分が見ても酷いくらいはわかっていたが、気にせずに話を続ける。

「この二つの世界はお互い協力し合ってきました。両方の世界の特徴を分けることによって、私たちは安定した世界を存続することが出来ました」

「特徴と言われても、この世界に良いところなんてあるのか?」

「晃人さんは私たちの世界を見たことがないですからね、わからないんですよ」

 晃人はムッとした表情を見せるが、葵はそれを見て子供に教えるかのように話しを続けることにした。

「率直に言いますと、この世界が《陸》で、私たちの世界が《空》です」

「は?」

 だいぶ説明を省いてしまったため、どうやら晃人には伝わらなかったらしい。

「晃人さんは普段、足を使って歩きますよね」

「……? それ以外に何があるんだよ」

「私たちは――翼を使って飛ぶんです」

 葵は椅子から浮き上がる。そして晃人に背中を向ける。

 そこには絵画に描かれいるような天使の羽はない。

 だが――次の瞬間。

 葵が力むように少し体が丸まる。

 晃人はその様子を見て、目を見張った。

 それはまるで――晃人と同じように翼を生やすようだった。

 葵の背中に光が集まっていく。

 ひと粒ひと粒光を撒き散らしていたのが、徐々に形を作っていく。

 そしてついに、光を内包した翼が一対現れる。

「ここの世界では重力に縛られていますから、それに抗うための足があります。しかし、私たちの場合は空に縛られているんです。大地に降り立つことを許されない私たちは、空の中を移動するために翼を生やしました」

 葵は翼をなぞる。

 淡い光を帯びた翼はほんのりと暖かく、自分の体を温めてくれる。

「元々どちらの世界も一つの特徴しか持ち合っていなかったんです。それが《陸》であり、《空》だったんです。そんな世界で人間はそれぞれ独自の進化を遂げたんです。ここでは足が、もう一方では翼が発達したんです。その違いだけが私たちとあなたたちが区別できる部分なんです。だから晃人さんは地界人で、私は――」

 そのまま言葉を続けようとした葵は、いきなり言葉が出てこなくなってしまった。

 見たのだ。

 見てしまったのだ。

 葵は唖然とした。

 今、見ているものが一体何なのか、わからなかった。

 晃人の背に集まる光。


――晃人の翼。


 それは葵にとって衝撃の事実だった。

 なぜ、この世界に自分以外の有翼人がいるのか。

 理解が追いつかない。

「飛べるんだよな」

 顔を下に向けてしまって表情を見ることができない葵はその問いに、少しの間が空いてから、小さく「はい」と答えた。


「俺に飛び方を教えてくれ!」


 葵は首を傾げた。

「えっと……どういう意味でしょうか?」

「そのままの意味、のはずだけど……上手な飛び方のかな、と思ったからそれを教えて欲しいだけなんだが……」

 そう言われても葵には、晃人が何を望んでいるのかうまく理解できていなかった。

 だから葵は晃人に訊いた。

「晃人さん、あなたはこの世界の生まれでいいんですよね?」

「まぁ、この近くの病院で生まれたはずだけど」

「でも、なんで翼が生えているんですか? こちらの世界でそんな人はいないはずです。天界人でなければ翼を持って生まれることは有り得ないと思うんですが……」

「俺に聞かれても。俺たちとは違う世界があったなんて知らない男がわかるわけが」

 晃人も自分の翼に対して疑問が多く残っているらしい。

 葵は少し引き下がって、椅子に座り直そうとした時――。

 突如体が重たくなったように感じた。

「っ!?」

 すると――右翼がガラスのように崩れ落ちる。

 大きなかたまりだった翼は床に落ちると、粉々になり、粒子となって消えていった。

 葵はなんとかバランスを保ったまま、椅子へと座ることはできた。目の前で座っていた晃人はすぐさま葵の横に近づき、「だ、大丈夫か」と聞いてくる。それに対して普段なら葵は嬉しさを感じるのだが、それどころではなかった。

 一番葵が今の事態に驚愕していた。

 背中に残った翼の付け根部は刃物でバッサリと切られたかのような断面となっていた。

 晃人さん、と葵は震えた唇で告げる。

「……なにが……」

「ど、どうしたんだよ。具合でも悪くなったのか?」

 真剣な顔をしてくれる晃人に葵は感謝するが、今の葵では笑みを浮かべるだけでも一苦労だった。






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