2-7
開花の遅れた桜が舞う。
まだ満開とは言えない桜の並木道を歩いて高校はあった。
元々この高校は城が建っていた跡にある。丘の上のため、長い階段を登った先で振り返ってみると、海が一望できた。
そんな胸を膨らませて、高校生活を始められる他の生徒たちは家族と共に笑みを浮かべていたが、とてもじゃないが晃人には無理な話であった。
別に両親がいないから、というわけではない。小学、中学もそういう思いをしてきたのだから、今更そういう感情が自分から出てくることなど皆無だった。
そういうことではなく、家を出る前に言われたことだ。
周りの人間が持っていないものを持っているということは、それなりの犠牲を支払っているということだったのだ。
晃人は悩み続けていた。
そのため、入学式もそれほど時間がかかったようにも思えず、明日の連絡を終えて晃人は帰路についた。
電車で三十分、徒歩で二十分かかる道すら、晃人には短く感じ取れた。
悩んだとしても答えが出ることはなかった。
いったいどうすればいいのだろうか。
答えなど見つかることなどがないに等しいのに。
「……うん」
一つのことで頭がいっぱいだった晃人はいつの間にか、家に着いていた。
それはいいのだが――。
晃人は自分の家を見て、違和感を感じる。
「……おいおい」
ゆっくり歩いてしまったからなのか、学校を出る頃はまだ明るかった空は、暗くなり始めていた。そんな中、頭は一瞬にして澄んだように覚醒していく。
そして晃人はまじまじとその違和感の根源を探った。
それは徐々に違和感ではなくなり、確実に不審な点を見つける。
今見ている光景が果たして、世間の目からどんな注目を浴びるのか、気になるところだったが、ただそれを呆然と見続けることを晃人は避けたほうがいいと考えた。
なぜなら――二階のベランダに人影が見えたのだから。
「何してんだ、そんなところで!」
その人影は晃人が叫ぶと体をビクッと震わせる。
どうやら自分のしていることについては、本人もわかっているようだった。だから、そのままどこかへ逃げていくのかとそう思っていた晃人だったが、その人影は動く気配が全くしなかった。
晃人としても、次にどう行動をとってもらうか困っていたのだが、よくよく見てみると、不審な点が多く出てきて、どうしていいのか更に戸惑う。
元々、人の家に侵入している人が不審なのは当たり前のことだが、それでも、春と言っても早すぎるのではないかと思ってしまうほど寒そうな、肌色よりも目立つような白い服を纏い、陽が沈み、月の光を浴びて輝く長い黒髪が流れるのを見て、更に晃人を戸惑わせた。
「え、えっと……顔をこっちに向けろ!」
「ひゃいっ!」
近隣の住民に聞かれたくはないが、不審者を脅すためにはある程度の声を張ることとなったが、十分効果はあったようだ。
しかし、晃人は首を傾げた。
その不審者が少女特有の声であり、その声にはどこかで聞いた覚えのあるものだった。
そんなことを考えていると、晃人の指示通りに不審者はこちらに顔を向ける。
月が昇り。
その明かりに照らされて、その顔を見ることが出来た。
「「あ……」」
両者は口を揃えてそう声を漏らした。
晃人は思った。
こんな再会もあるもんなんだと。
そこにいるのは、昨日出会った白いワンピースを着た少女だった。
「先ほどはすみませんでした……」
「はぁ……」
とにかく事情を知りたかった晃人は、そのまま少女をベランダから家に入ってもらうことになり、今こうして二人はリビングに置かれた椅子に座っていた。
始めに少女が率直に謝ってきたことに好感を持っていいのだろうか、と頭の中で判断しようとしたが、一応は人の家に侵入しようとしていたのだから、疑いを掛けておくことで一旦現実に戻る。
「あの……聞いていいのかわかんないんだけどさ……。なんで、君が俺の家に入ろうとしていたんだ?」
「それはそのう……中に誰かいないか確認しようと……」
答えになっていなかった。
自分が悪いことをしていることはわかっているようで、気が動転してしまい、そんなことを言ってしまったのかもしれない。
「中に入ろうとしてたわけじゃないんだろ?」
「それはないです! ただ誰かいないか探していただけで……」
「それだけでわざわざ二階のベランダに入ったのかよ……」
「……はい」
素直に答えるのは良いことだと頭の中では思っても、話が飛躍しすぎているのか、少女がまるで超人のように聞こえてしまい、晃人はうんざりしてしまう。
いや、よく考えてみると、それはあながち間違っていないのかもしれない。
昨日のことを考えると、彼女は宇宙人や幽霊という可能性も無きにしもあらず、なのだ。突如雨が上がると、彼女は天に昇っていくように消えていってしまったのだ。それを見た晃人にとっては、この少女が宇宙人だと名乗ったとしても、晃人の感情としては驚きよりも、興奮が体を駆け巡るだろう。
だが、今は彼女が宇宙人なのか、どうやって二階のベランダに入り込むことが出来たのかを聞くよりも、現実的なことを尋ねるようにした。
「あのさ、人を探しているんだろ」
昨日のことを思い出した晃人は、彼女が消える前に言っていた言葉を思い出していた。
晃人がそう聞くと、動揺していた彼女はパッと顔が明るくなる。
「はい、《サクマ ハヤヒト》を探しているんです。そのために私はここまで来たんですから……」
「この家に?」
「この家に住んでいる、とそう聞いたので」
少女の顔は期待で満ち溢れていた。
だが、晃人はその顔を見て胸が苦しくなる。悲しまれるのは辛いことだが、申し訳ない顔をして晃人は真実を伝える。
「生憎だが、この家には《サクマ ハヤヒト》はいないよ。誰に言われたか知らないけど、そいつは俺の家族じゃない。ポストに《眞鍋》って書いてあっただろ」
「……あなたの名前は?」
「《サクマ》じゃないよ。俺は晃人。眞鍋 晃人」
「……《サクマ》じゃないんですね……」
少女の落ち込み具合は相当なものだった。
しかし、どうやらまだ諦めて切れていない少女は食いつくように質問してくる。
「あの、この周辺に《サクマ》というお宅は知りませんか」
「……ないね」
「じゃ、じゃあ……――」
そう少女が聞こうとした時に、家の電話が鳴り響く。
いつもはこの時間帯でも家にいることがない晃人は、その電話を出なくていいと思った。最近この家に関係ない電話で鳴り響いているため、電話線を繋がないでおこうかと剣と話し合っていた。しかし、有事の際にはそれでは困ってしまうため、我慢するしかない。用事のあるの人間ならば、留守電にでも入れるだろうとそう判断したのだ。
しかし、目の前に座る少女は、鳴り響く電話を注目し続けた。
それを見ていると自分が悪いことをしている、とそう考えてしまったが、その時には電話は切れずに留守電に変わる。そして、電話をかけてきた人間は、留守電にとんでもないことを口にする。
『中村だけどよ、お前たちに朗報だ。――《早人》とさっき会った。そのうちお前たちに会いに行くんじゃないか。楽しみにしとけよ』
そう告げると電話は切られ、ツー、ツーと何回か鳴ると、スピーカーからは聞こえなくなる。
晃人は口を開けたまま、何も発せなかった。
少女が自分を見ていることはわかるのだが、そちらに目を向けることは出来なかった。
「早人が帰ってくる……」
そう自分の意思でなく、自然と呟いてしまった声が自分の耳に入り、そして気付く。目の前の少女は、電話に対して目を白黒していたのだが、晃人の呟きを聞いてしまったために、少女は晃人を見つめて、叫んだ。
「晃人さん、これはどういうことですか!」
椅子から立ち上がって、強くテーブルを叩く。
大人しそうな少女がいきなりそんなことをすれば、晃人は戸惑ってしまう。
「いや、これには理由が――」
「――匿ったのですか?」
「……?」
なぜ今、『匿う』という言葉が出てくるのか、晃人には理解できなかった。
しかし、少女はその言葉を発すると同時に、さらに言葉を続ける。
「匿ったんですよね、《サクマ ハヤヒト》を」
「……それってどういう」
「なんでそんなことをするんですか?」
少女は頭に血が上っているのか、晃人の声が耳に入ってこないようで、体を乗り出して晃人を睨む。
「あの人じゃないとダメなんですよ。どうして責任を果たさないんですか? 《サクマ》なんですよね、あなたも」
今この話に対して《佐久間》が関係しているようなことがあっただろうか。なぜ、それほどまでに《佐久間》に執着しているのか、わからない。
そんな時、少女は告げる。
「何でなんですか……。この世界のことなんてどうでもいいんですか……――この世界が終わってもいいと思っているんですか!」
「え……?」
少女は真剣だった。
言い放ったことが嘘だとは、到底思えなかった。
しかし、それが真実だと受け止めるには時間を要してしまい、少女には晃人の顔が惚けているように勘違いをしてしまい、
「まだそんな顔をするんですか? いい加減にしてください!」
とさらに、怒鳴り続けるかと思われたが、少女はそう怒鳴ったあと、目をつぶって椅子に座ってしまう。
少しの間、リビングは静まる。
時計の針がカチ、カチ、と。シンクの方で水が滴る。晃人の息と、少女の息が間近に聞こえてくる。
そんな状況で少女は深呼吸し、落ち着かせてから少し語調を柔らかくして話す。
「いつまで待てばいいんですか」
「なにを……」
「《ハヤヒト》さんのことを話してください」
埒が明かない。
「どこにいるか、教えてください。あなた方はどうやらこの世界のことなんてどうとも思ってないんでしょうけど、私はこの世界を救う義務があるんです。それを邪魔されるのは困ります。だから全部――」
「――一回待った!」
近隣の家にまで響いてしまうのではないかと、思うほど大きな声で少女を制する。これには少女にも効果はあり、彼女は言葉を飲み込むこととなる。
「俺は君に言っときたいことがあるんだ」
覚悟して晃人は告げる。
「俺は何も知らないんだ」
「……?」
厄介なことになることは目に見えていた。
それでも少女には自分のことを把握してもらわなければ、またも少女を怒らせてしまうことになる。それだけは避けねばならなかった。
「最初に謝っておくが、《早人》は俺の家族だ。俺が匿ったとそう思うようなことを言ってしまって悪かった」
少女はそれに対して口を挟もうとしていたが、晃人はそれよりも話を続ける。
「だけどそうじゃないんだ。匿おうとしたわけじゃないんだ」
「どういうことですか?」
「早人は二年前からこの家に帰ってこなくなった。たぶん、家出だな。で、ちょうどその時期に俺は名字を変えたんだ。《佐久間》から《眞鍋》に」
「なぜそんなことを」
家庭の事情があったんだ、としか晃人は言えなかった。これを話してしまえば、ややこしくなって少女を困らせてしまう。だから言うのは止めて、話を続ける。
「だけど、あいつは――早人は名字を変えてない。だから世間には俺と早人は家族ではないことにしてたんだ。ただそれだけだよ」
「じゃ、じゃあ――」
一旦そう言い切ると、少女は口を開けて質問しようとしたが、晃人は覆いかぶすように話し続ける。
「俺が《佐久間》だったということは認める。だけど、《佐久間》だからと言って、俺は君の言っている意味が全くわからないんだ。世界が終わるなんて、俺は全く知らなんだよ。なんで早人を探している理由だってわからない」
「……」
「いったいこの世界で何が起きようとしているのか、知りたいんだ」
「……本当に知らないんですか」
「あぁ」
それを聞いて、少女は肩を落としてしまう。
「ごめんな。力になれなくて」
頭を下げようとする晃人だったが、
「先程はすみませんでした! 怒鳴ってしまって……」
少女まで額がテーブルに付くほど頭を下げる。
そして、すまなそうに言う。
「あの、私……本当に申し訳ないことをしてしまって」
「別に気にすることなんてないから」
そう慰めても、少女は首を横に振り、そして、晃人の目を見つめていった。
「私……なんでもしますから」
「なんでも、って……」
そこまで言われてしまうと、晃人の立つ瀬がなくなってしまう。
だが、晃人は少し考えてから、「なんでもしてくれるんだよね」と聞き直した。それについて少女は、「はい」と頷く。
「じゃあ、さ……――」
その時には少女の顔は恐怖で埋め尽くされた。