2-6
海を見るのは浜辺からよりも、高い場所から全体を見渡すことのできる場所の方が良いと翔馬は思っていた。
一仕事終えた翔馬は、屋上から海を眺めていた。
夕日による赤い光が、海の波に乱反射して、海が眩しく見える。
「あと何回見れるだろうな」
翔馬は近くに置かれた白塗りのベンチに座る。
そして顔を上へと向ける。
そこには、貯水タンクの近くで座り込む青年がいた。
柔和な顔で背の高い青年は、翔馬と同じ景色を目に焼け付けながら、翔馬の質問に答える。
「最高で二回だね」
「もうそんな時期、か……」
手に持っていた紙コップを口に持っていく。中には看護師が入れてくれたインスタントコーヒーが入っていたのだが、味などわからなかった。
「お前は手伝わねぇのか」
「何を?」
「この景色を守らねぇのか?」
翔馬が答えると、青年は下に降りてくる。
時間の流れが遅くなったのかと見間違えるほどゆっくりと降りて、優雅音もせずに着地した。
「いいや」
「そうか、親と同じことをしねぇんだな」
「しないよ。僕はこの世界を救うなんてできないからね」
「お前の場合、それが理由だとは思えねぇんだけど」
青年も翔馬と同じベンチに腰を置く。
「わかってるね、中村先生」
「小さい頃から見てんだよ、お前たちのこと。あの二人の子供だ。見ないわけにはいかねぇからな」
「そうですね。先生も僕たちにとっては親同然でしたから、助かった部分は多くあります。でも、実際僕はこの世界に生まれてこなかったほうが良かったと思っています。嫌いなんですよ、この世界が。両親だって見たことないし、話したこともないから嫌いですよ」
「良い奴らだったんだけどな」
「この汚い世界でも良いと思ってしまうような人たちですよ?」
「こんな世界でも救ってやりたいと思ったんだよ、あいつらは」
頭の後ろで手を組みながら、目を青年の方へ向ける。
「俺だってこの世界は嫌いだよ」
「どうして?」
「どうして、と言われるとな、答えづらいんだが――」
翔馬は自分の両手を見つめる。
細くて女性のものだと思われてもおかしくないほど、綺麗に保つことを欠かせなかったのだ。その手で翔馬は何人もの命を救ってきた。
だが――。
「まぁ、目に見えるもので救えるモノって言われたら、この仕事にしたんだがな。俺の体は一つだ。一日に救える命には限りがある。それも俺は普通の人間だからな、休まねぇとへこたれるからな。これじゃあどんなに体があったとしても、世界は救えねぇよ。それが嫌で仕方ねぇんだよ」
「今こうしている間も」
「そうだな、命は消えていっているさ」
翔馬は右手を空へと伸ばす。
大きく開いた手の平を空に向けて伸ばす。
「あいつらは善人だった。俺よりも断然にな」
「あの人たちは僕たちのことなど考えなかった」
「考えていたさ。だから俺たちがいるんだ」
一度味のしないコーヒーを喉に流し込み、青年に伝える。
「確かにこの世界は醜いし、嫌になってくる。それでもこの世界にはまだ救えるだけの価値が残っているとあいつらは思ってんだろうな。だから残したんだ、この世界を救ったんだ。だから俺は願っているよ、この景色はまだまだ見続けられることを」
それを聞いて青年は立ち上がる。
屋上の手すり付近まで歩くと翔馬の方へ振り返る。
「僕は変えますよ、この世界を」
「それはお前の自由だ」
「止めないんですね……」
「お前の選んだ道なんだろ? 剣は何を言うか知らんが、俺は口を出さねぇよ。もうとっくの昔にお前たちの時代に変わってしまっているんだから」
青年は一度屋上のコンクリートを見てから、翔馬の目を見る。
「弟は……どうですか?」
「あいつなら元気だよ。無茶なことをしているようだが――あいつは諦めることはしねぇだろうな」
「全部説明しました?」
翔馬は首を横に振る。
「誰も教えてねぇ。あいつに教えちまったら何をするかわからない。しかし、これだけはわかってる――あいつはお前の邪魔をするだろうな」
「そう……」
青年は双子である弟を思ったが、自分の邪魔になるのであれば退かすことを心に刻んで、背中に力を込める。
「……もう会うことはないと思います」
「ここには戻ってこないか。まぁ最後ぐらいは家族と一緒に過ごせ」
そう言うと翔馬は青年に手を伸ばす。
それに応える青年。
「じゃあ頑張れよ――お前のためにな」
「ありがとう……さようなら」
青年は、思いっきり背中に力をいれ、翔馬と繋いだ手を放す。
足は屋上から離れ、徐々に空へと浮いていく。
そして、青年は空へと舞い上がる。
大きな翼によって――空へ。