2-5
少女は待っていた。
陽は沈もうとしている最中でもある人物を待たなければならなかった。
どんな人なのか、容貌すらわからない。
ただ、名前だけが頼りだった。
そんな時、犬を連れて歩くおじいさんが少女の方へ駆け寄ってくる。どうやら散歩の途中だったようだ。
「あんた」
「はい、なんでしょうか?」
「そんな服装で寒くないんか?」
誰もが少女の姿を見ればそう言っただろう。
なぜなら、少女はワンピースを着ていたのだから。
春に近いからといって、まだまだ冬から抜け出せていないのだから、日本人にしか見えない少女が一人ワンピース姿で、公園内の丸い椅子に座っていたら、心配せずにはいられないだろう。
だが、おじいさんはそんなことを聞いてくるのだが、聞かれている本人は全くそんなことなど思っていなかった。なので首を横に振る。
「はぁ、最近の若い子はこんな寒さなんかへっちゃらなんだな」
「えぇ、ご心配どうも」
丁寧にお辞儀をされて、おじいさんは目を丸くする。
「礼儀も出来て感心すんよ、嬢ちゃん。しっかし、一人で何してんだ?」
「人を待っているんです」
「人かい?」
少女は頷く。
「でも顔もどんな人なのか、全くわからないんです」
「手がかりがないんかい?」
「一応名前だけは知っているんですけど」
「名前を知っとるんだな」
「はい、《サクマ ハヤヒト》という方を探しているんです」
それを聞いておじいさんは目を見開く。
少女は何かまずいことでも聞いたのかと不安になり、謝ろうとしようとする。
だが、おじいさんは告げる。
「佐久間さんなら知ってんよ。だけどな、《佐久間早人》の居場所は家族でさえ知らんという話だぞ」
「知らないというのはどういうことですか!?」
いきなり少女が焦り、おじいさんは戦いてしまう。
少女は名前の他に、住んでいる地域を教えられていたために、ここまでたどり着いたのだ。しかし、そこから全く前進できないでいたのだ。そして今、《サクマ》を知る人に巡り合うことが出来たというのに、《ハヤヒト》の所在がわからないとなると、今までのことが全て、水の泡になってしまう。
「ここ一年か二年、家に帰ってねぇそうだ」
「そんな! テレパシーで探せないのですか!」
「てれぱしー? なんじゃそりゃ?」
「あっ」
少女はとっさに口を手で覆う。言ってはならない言葉を口にしてしまい、またもや焦ってしまうのだが、おじいさんはその言葉を理解できなかった。
少女は落ち着きを取り戻す。
「なんでもないです。気にしないでください」
「はぁ、若者の使う言葉はやっぱわかんねぇや」
「すみません、急に。それでなんですが、ご家族の家はわかりますか?」
「すぐそこだよ」
おじいさんが指差す方向を見る。
二階建ての周りの家とさほど変わらない普通の家だった。少し庭や駐車所が広いという点で少し違いを見つけた少女は感謝する。
「ありがとうございます」
「あそこの兄ちゃんは怖いので有名なんだがな、優しい奴だから」
「そうですか」
「じゃあ、わしは散歩に戻んよ」
「すみません、お時間を」
「気にすんなよ、嬢ちゃん。おい、行くぞ」
リードで繋がれたそれほど大きくはない柴犬がその場から動こうとしなかった。飼い主であるおじいさんが引っ張ったとしても、固まってしまったかのようにその場で震えていた。
「どうしたんでしょうか?」
「いつもなら吠えてもおかしくないんだが……」
これにはおじいさんも困ってしまったようで、小型犬のため手で持ち上げる。
「すまねぇな、嬢ちゃん。心配すんな、すぐに元気になるはずだろうからな。あ、それとだ――」
「なんでしょう?」
公園から出ていこうとしていたおじいさんは少女の方へ目を戻す。
「嬢ちゃんの名前聞いてといていいか?」
「名前ですか……」
少し少女は躊躇ったが、おじいさんに伝える。
「葵です」
「そうか、嬢ちゃんに似合った名前だな」
「ありがとうございます。――お大事に」
おじいさんは公園を出て行く。
少女はおじいさんに手を振りながら、心の中で謝っていた。
あの犬は確かに葵を見ていた。葵を見ていたから、震えていたのだろう。
葵の背中にあるモノを。
「……さて、周りに人はいませんよね?」
少女は周りを見渡す。
見られてはならないからだ。
少女は背中から翼を出現させる。
それは、何の汚れのない白く輝く翼。
そして浮遊する――椅子から立ち上げるのではなく。
なぜなら――立ち上がる足がないからだ。
足はある。
だが、それは大地を踏む資格を持っていない。
仕方ないことなのだ。
太古の昔に捨ててしまったものなのだから。葵たちには当然のことであるのだが、この世界の人間が この足を、浮遊しているところを見れば、たちまち噂として世間に流れ出てしまう。それだけは避けなければならない。
最善の注意を払いながら、少女は目的の家へと向かった。