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少し内容を変えました。(1/7)
更に変えました。(1/22)
自分の体はなんとか歩く程度の運動を許してくれた。そもそも晃人が飛ぶことのできる最大高度から真っ逆さまに大地に落ちたのだ。普通ならば骨折などで済まされるものではない。死んでいてもおかしくはない。なんとなく体が重いような感覚で済まされていることが奇跡的なことなのだ。
だがやはり、そんな体で高校生活初日を向かうには、晃人には酷な話であった。
まず家に帰ることだけでも、だいぶ体力を消耗したように思えた。
すぐにでもベッドで横になりたいのだが、服が汚れてしまっているため、体を洗わなくてはならなかった。そのため、風呂場へと向かおうとするが――。
「どこほっつき歩いてたんだ」
その声は後ろからだった。
振り向くと、寝起きなのか痩けたような顔をした男がいた。
その男の名前は眞鍋 剣。晃人の保護者であった。
「その顔、どうしたんだよ」
「いや、食事がなくてな……。死にそうだった……」
「あぁ」
晃人は少し済まない顔をする。
剣は両親のいない晃人にとっては親同然の中年の男だ。
しかし、生活能力が欠けている。
洗濯することはできるようだが、自炊に関してはまるきり出来なかった。そのため昔はよくカップ麺を溜め込んでいたらしいのだが、晃人の面倒を見るようになってからは、買うのを止めた。いや、買うのをやめたのではなく、買うことを止めさせたのだ。健康的な面で。
今では晃人が剣の面倒を見ているようなものだ。
だから、昨晩晃人がいなかったためか、夕食を食べることなく今日を迎えてしまった剣がそんな顔をしているのは、わからなくもなかったのだが、冷蔵庫の中には何かしらの食べ物ぐらいあるだろう。、それらを食べていれば良かったのに、と考えてしまう。
そんなことを考えてしまったからなのか、晃人も自分の腹も空かしていることに気づく。
「朝も食べてないのか?」
「晃人、お前がいなかったら俺は生きていけねぇ」
「はいはい」
剣が晃人の真上から襲いかかろうとするのを華麗に避ける。
そのまま剣が崩れるのを晃人は気にしないまま、キッチンに入る。
先に風呂に入りたかったのだが、空腹の方が耐えられなくなってしまい、そちらから取り掛かることにした。
昨日から作り置きしておいた、味噌汁とカレーがあったので、実際には温めるだけだった。それくらいは自分でできるだろう、などと思ったが、それを口にすることはしない。実際に自分が生きていられるのは、顔も知らない亡くなった両親の残した金とこの家と剣の稼ぎがあるからだ。だいぶキツイ部分もあるのだが、晃人はそれでも剣に感謝している。
だからといって、何もできないで晃人に頼りすぎるというのもどうか、と最近の悩みの種でもある。
「お前、あいつと結婚すれば?」
「え、友達の子供とか。……それはそれでありか」
「実際いいお嫁さんになると思うよ」
「そうか、なら晃人、俺の――ぐはっ」
剣に手に持っていたお玉を投げた。
そして、プラスチックの器を握り直して、剣の横にいる人間にも投げた。
だが、その男は剣のように鼻の頭に当たることなく、綺麗に避ける。
「……なんで翔馬がいるんだよ」
「いや、こいつが死にそうだって言うからさ」
白衣を着た男は苦悶した顔をする剣を指差しながらそう言った。
中村 翔馬、それが男の名前であった。
「特に、お前が帰ってこないからどうしたらいいんだ、なんて受話器越しに喚き散らすから、いい迷惑だったよ」
どうやら翔馬は夜勤明けらしく、その時の様子を容易に想像できてしまった晃人は、なんとなく申し訳なくなる。
「まぁ、別にどこかで女と遊んでいるだろ、って言っておいたんだけど、合ってる?」
「全く違う」
断固としてそう言った。
そんなことなど、今までの人生の中であったことなどない、とそう口から吐きそうになるのだが、それはそれでまた何か言われそうだったので、晃人は飲み込む。
翔馬は晃人が投げたお玉と食器を持って晃人に渡す。
「俺の分もよろしく」
「へぇへぇ」
渋々頷きながら、食器を洗い、ガスコンロの火を消す。
ご飯は電子レンジで温め、三人分カレーを盛り付け、朝食とも昼食とも違うような時間帯に食べることとなった。
「うん?」
三人分の皿を運んでいると、いつもの自分のテーブルの位置に皿が置かれていた。
そこには料理が盛られているわけではなく、一粒の錠剤が置かれていた。
「……これは危ない薬だな」
「――ちょっと待て」
晃人はその皿を持ってゴミ箱へと持っていく。
だが、それを翔馬は止めた。
「なんでわざわざゴミ箱へ持っていく」
「知らないものを飲むわけにはいかないだろ」
「それは俺が置いたんだ!」
翔馬は先ほどキッチンに入った時に晃人に気づかれずに、食器を取っていたようだ。
そして、肝心のその皿にのっている薬はよく見知ったものだった。
「ちゃんと飲めよ、今回は俺が見てるんだからな」
「ちっ」
晃人は嫌々ながらも、口に水を含んでからそれを喉に通す。
その薬は翔馬から説明から前々から説明されていた。
『その錠剤はお前の翼を発現しないようにするものだ。俺が調合したものだから安心して飲めるだろ』
飲みたくなくなるのは晃人でなくてもそう思うに違いない。
第一に安心して飲めるわけがない、ということなのだが、それはさておき。なぜ翔馬がそのような薬を持っているのか、作ることができるのか、わからなかいからなのが、大きな理由であった。
元々晃人が翼を持っていることを目の前の席に着く二人は知っている。
しかし、晃人は前から彼らに不思議な点があった。
幼少の時から翔馬とは親しいのだが、一度も自分の翼を翔馬の目の前で生やしたことが晃人はなかったように思える。周りの人間に見せることは避けていた思い出がある。周りの人間にはなかった力だ。それが自分にあるのだから見せびらかすように思うだろうが、本能がそれを回避したのだ。だからなるべく飛びたい時は夜中の人がいなさそうな場所で飛んでいたのだ。それなのに、『翼を抑える』薬が目の前にある。サンプルもなしに薬を作ることが出来るのだろうか。
そんなはずはない。
いったい何のために飲ませようとしているのか、晃人にはわからなかった。
ただの催眠薬で、眠っている間にサンプルでも採取しようとしているのではないか、とそんな思惑があるのではないかと、疑ってしまうのだった。
「料理の腕を上げたな」
「カレーくらいでそう言われてもな」
「褒めてんのにな。可愛くない」
ガツガツ飢えた狼のように食べている剣とは違い、翔馬はじっくりと味わいながら食べていた。
晃人は食べ終えて食器を運ぼうとすると、翔馬が告げる。
「晃人、食べ終わったら自分の部屋に行っていてくれ」
「なんで」
「症状を見る」
「そんなのいいよ。それに風呂に入りたいんだけど」
「じゃあ、風呂に入ってからでいい」
どうしても引くことはしないようだった。
だから晃人はそれに頷くと、食器を洗い終えて風呂へ向かった。