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それは空を舞っていた。
人の背の程横に広げた翼を使い、華麗に静寂に空を割りながら飛んでいた。
それは女であった。
肩ほどまで伸ばした黒髪を風になびかせながら飛んでいた。
そんな女は有翼者――つまり天使のようであった。
まだ、太陽は東の山からようやく顔を出してからそれほど時間は過ぎていない。
日に照らされ眩しさを覚えながら、天使はある目的のためにとある場所へと向かっていた。
しかし、その天使の心の中ではある疑問が生じていた。
だから言葉にする。
「質問してよろしいですか?」
『何ですか?』
頭の中に声が響く。
自分の思考を遠く彼方の相手に発し、それはちゃんと相手の方にも届いて傍受することができたようで、ある種のテレパシーのように今こうして会話は成立した。
「本当に、この世界に私以外に《柱》になる存在がいるのか、気になります」
隣に並列するように鳴きながら飛ぶ鳥たちに笑みを浮かべながら、徐々に目的地に近づきつつある。
『実際に数十年前はいたのです。そのため今こうして私たちは生きていられるのですから』
「でも信じられないんです。誰も知らないんですよ、《サクマハヤヒト》を」
『焦るのはおやめなさい。彼らは私たちのように力を持っているわけではありません。だから居場所を知らなんです』
「そうではありません……。私が言いたいのは――」
『仕方のないことです』
天使の言葉を遮るように言葉が頭に響く。
『上の者は民に混乱を招くことを避けたかったのでしょう。そのため、民にこの世の話について、何一つ 情報を明かしてないんでしょう』
「自分たちの世界のことですよ!」
天使は今まで心に収めていた怒りを解き放った。
「この世界で暮らしているのに、何も知らないというのはおかしいです!」
『知ることの出来ない人間はたくさんいます。知らないのは罪ではありません』
「……」
反論することができない。
「何も知らない人間はただ見ていることしかできないということですか……」
『そういうことになります』
「世界が再生しようとしているのに――」
『《再生》ではありません。《崩壊》です』
「……しかし」
そう反論しようとするが、相手はそれを良しとしなかった。
『《崩壊》が起き、それに伴って《再生》が始まる。それは私たちの世界でもあちらの世界でも理として存在するものです』
天使はただ黙って聞く。
そして言葉が頭に響く。
『そのため、《崩壊》も《再生》も同じことだと、伴うことなのだから区別しなくてもいいと、あなたは考えたのでしょう』
「その通りです。そのように私は教わりました」
その思想はどこにでもあるモノだ。
一度壊れたもの、それを直すことは造作もないことだ。まず壊すことすらないのだが。
しかし、突如として崩れ落ちてしまうことなど、この世界にはよくあることだ。
それは人同士の関係も、ひとつとして数えられるだろう。
人と人との間で何かの原因で関係が壊れてしまうものだ。
しかし、いつかは元に戻ることができる。
できるのだ。
できないことなどない。
それは天使も同じである。
特に有翼者である彼女は、人との関係がなによりも有翼者には必要なモノであり、壊れたままの状態を放置することは、ある意味では《死》と隣り合わせにもなるのだ。
なぜなら、生き物は自分一人で空をずっと飛ぶことはできないのだから。
どんなに高度に発達したモノ達であろうと、その自然の摂理と呼ぶべきものに逆らうことなどできず、 変わることはなかったのだ。
それほど重要なことを見過ごすことなど誰ができるだろうか。だから、彼らは翼を並べる者達を失うことは《死》とさほど変わらないと考えていたのだ。
たとえ、関係が《崩壊》しても《再生》することで元に戻ることができる。それが有翼者の考え方であり、人類もそうであった。
『しかしながら、《再生》が私たちにとっていい影響をもたらすかと言われると、あなたはどう答えますか?』
「それは……」
応えようとしても、その答えが合っているのか、彼女にはわからなかった。
『だから私は《再生》という言葉を使いません。今回の場合どの程度の規模でそれが行われるのか、わからないのです。ほんの少しの変化ならまだしも、全てが変わってしまうことだって考えられます。なので《崩壊》なんです』
天使は飛びながらこのことについて聞くのは無礼だと思い、立ち止まる。いや、その場に滞空する。
『今の世界が良きものだと、私も思いません。しかし、そのあとの世界が良いとも限らない。ならば、私たちの今の世界を少しずつ変えていくのが良いのではないかと、私は考えて行動しているのです』
そのことを聞いて、改めて自分がどれほど重要な役に就いているのか、思い返す。
『あなたは《再生》による世界に期待を見出しているのかもしれない。ですが、今は私たちのために、行動するようにお願いします。大地を失ってしまえば私たちは生きていくことが出来ませんから』
「わかりました」
そう答えたものの、実際本当にそれでいいのだろうか、とそう考えてしまう彼女は、自分が今ここにいることを再確認する。
すでに彼女はテレパシーによる会話を終わらせていたので、だが小さく声にして呟く。
「私は、あの美しい綺麗な世界のために、ここにいるんです」
探さなくてはならない。
この世界とあの世界を《崩壊》から避けるためには、自分と、そして、もうひとり《柱》の存在になれる人間がこちらの世界にいなければならない。いると信じていなければならない。
もしかすると、この世界の《柱》も自分のことを探しているのかもしれない。
そう考え、天使は捜索を再び始めた。
情報は名前と住んでいた位置情報のみ。
それでも探さなければならないのだ。
世界のために――師のために。