お菓子に夢中な令嬢ですが、紅葉列車の密室殺人を解くことになりました 〜甘さの裏には、必ず理由がありますもの〜
【あらすじ】
時は大正。
老舗菓子舗「華宮」の令嬢・撫子には、少し困った癖がある。
どんな状況でも、目の前にお菓子があると、事件よりお菓子に夢中になってしまうのだ。
「楓、見てくださいまし。この栗のタルト、とても美味しそうですわ」
「お嬢様、少しは景色もご覧ください」
溜め息をつくのは、幼い頃から撫子に仕える生真面目な付き人・楓。
紅葉列車の旅の途中、良家の令嬢が密室で殺害される。
凶器はなく、部屋は内側から施錠されていた。
「とても興味深いですわ」
「お嬢様、嬉しそうに言わないでください!」
お菓子に目がない撫子だが、人を見る目は鋭い。
震える指先、不自然な言葉、隠しきれない後ろめたさ。
撫子は、言葉に隠された「嘘」を見抜いていく。
「甘さの裏には、必ず理由がありますもの」
少し甘くて、ほんの少しほろ苦い、一夜限りの密室ミステリー。
列車が紅葉の山あいを抜けるたび、車窓の向こうで木々が燃えるように色を変えた。
けれど、その美しい景色に目もくれず、目の前の皿に夢中になっている娘がいる。
食堂車の卓には白いレースのクロス。天井では、硝子の笠をかぶった電灯が柔らかな光を落としていた。
「楓、見てくださいまし。この栗のタルト、とても美味しゅうございますわ」
華宮撫子は、フォークで小さく切り分けたタルトを、幸せそうに眺めた。
艶のある黒髪を下ろし気味にまとめ、萩色の着物に洋風の肩掛け。柔らかな顔立ちも相まって、どこか幼く見えるが、今年で二十五になる。
老舗菓子舗「華宮」の一人娘だ。
向かいの席には、付き人の桐生楓が控えている。黒の詰襟に身を包んだ生真面目な青年で、旅先でも背筋を崩さない。幼い頃から華宮家に仕え、撫子の世話役を務めてきた。主と同じ卓に着くことにも、いまだ落ち着かない様子だ。
「お嬢様。せっかくの旅なのですから、景色もご覧になってはいかがでしょう」
呆れたように言う楓に、撫子はフォークを止めもしない。
「景色もお菓子も、両方楽しめますもの」
「……そういう問題でしょうか」
「まあ。楓は難しいことを仰いますのね」
撫子は笑って、もう一口タルトを頬張った。
幼い頃から職人たちの仕事を見て育った撫子にとって、菓子の味を見分けることは特別なことではない。
甘さの奥に何があるのか。
隠された香りは何なのか。
それを見抜くのは、息をするのと同じくらい自然なことだった。
――そして、不思議なことに。
撫子は、人の嘘についても同じ感覚を持っていた。
「……あら」
ふと、撫子が顔を上げる。
食堂車の奥。
一人の女性が、紅茶の前で俯いていた。
仕立てのよい洋装を身にまとった、美しい女性だ。
隣には背広姿の若い男性。向かいには羽織を重ねた年配の婦人と、中折れ帽を膝に置いたもう一人の青年。
いかにも良家の一族といった四人連れだった。
「お嬢様?」
「あの方、紅茶にほとんど口をつけていらっしゃいませんわ」
「それが、どうかしましたか?」
「冷めてしまいますもの」
撫子は女性をじっと見つめた。
白い指先が、わずかに震えている。
ティーカップの取っ手を握る手にも力が入りすぎていた。
「何か、心配事でもおありなのでしょうか」
その時だった。
列車が短く汽笛を鳴らす。
次の停車駅が近いらしい。
食堂車の入口から、制帽をかぶった駅員が現れた。
「東雲玲子様に、お届け物でございます」
「……私に?」
女性――東雲玲子は、頼信紙に書かれた電文を受け取った。
そして文面を読んだ瞬間。
その顔から、すっと血の気が引いた。
「……まあ」
撫子の目が細くなる。
玲子は電報を握りしめたまま、立ち上がった。
「玲子、どうしたんだ?」
「……なんでもありません」
そう答えながらも、その声は震えていた。
彼女は足早に食堂車を出ていった。
「お嬢様?」
「楓」
「はい」
「今の方、きっと、とても悲しいものを読まれましたわ」
「電報の内容が分からないのに?」
「ええ」
撫子は小さく首を傾げた。
「でも、甘いものを食べた時と、苦いものを食べた時の顔は違いますもの」
「人の顔を菓子に例えないでください」
「ふふ」
撫子は笑った。
――その数時間後。
東雲玲子は、密室で殺されることになる。
「東雲様。失礼いたします」
車掌の神代一馬が、個室の扉を叩いた。
返事はない。
「東雲様?」
もう一度叩いても、静寂だけが返ってきた。
夕食の時間になっても姿を見せない玲子を心配した九条家の者から、様子を見てほしいと頼まれたのだ。
神代は合鍵を取り出した。
「失礼いたします」
扉が開く。
「――っ!」
廊下にいた者たちが息を呑んだ。
寝台の上に、玲子が倒れていた。
白い夜着は胸元から赤く染まり、床にも血が滴っている。
胸には、鋭利な刃物による傷。
すでに息はなかった。
「玲子!」
九条恭一が駆け寄ろうとする。
「お待ちください!」
神代が慌てて制した。
「現場には触れないでください。巡査をお呼びしなければ――」
「まあ……」
騒ぎを聞きつけた撫子と楓も、廊下へ出てきた。
撫子は開いた扉の向こうを見つめる。
「凶器は?」
「まだ見つかっておりません」
「窓は?」
「閉まっています」
「扉は?」
「……内側から施錠されていました」
撫子は黙った。
そして――ほんの少しだけ目を輝かせる。
「楓」
「はい」
「密室殺人ですわ」
「お嬢様、嬉しそうに言わないでください!」
「人がお亡くなりになっているのは分かっておりますわ」
撫子は真顔になった。
「だからこそ、理由を見つけなければいけませんもの」
次の駅から巡査が乗り込んでくるまで、乗客たちは車内から出ることを禁じられた。
その時間を利用して、撫子は聞き込みを始めた。
「お嬢様。本当にやるんですか?」
「ええ」
「巡査でもないのに?」
「世間話ですわ」
「どう見ても聞き込みです」
「似たようなものですもの」
最初に話を聞いたのは車掌の神代だった。
「事件の起きた頃、どちらにいらしたのですか?」
「……持ち場を少し離れておりました」
「あら。どちらへ?」
「それは……申し上げられません」
楓が怪訝そうな顔をする。
しかし撫子は、それ以上追及しなかった。
「そうですの」
「お嬢様?」
「何かを隠していらっしゃいます」
「やはり!」
「でも、罪を隠しているわけではありませんわ」
神代が驚いたように顔を上げる。
「どうして、それを……」
「人を心配している方の目は、分かりますもの」
神代は何も言えなかった。
次に撫子が向かったのは、客室係の三雲律だった。
「東雲様には、夕方に紅茶とカステラをお持ちしたのです」
「その時、変わった様子は?」
「電報が届いた後、急にお顔の色を変えられました。それから展望デッキへ向かわれて……」
「どなたかに呼び出されたのですか?」
「そのようです」
「そして?」
「……分かりません」
撫子は三雲を見つめた。
「ずいぶん、よく覚えていらっしゃいますのね」
「え?」
「紅茶をお持ちしたこと。電報が届いたこと。展望デッキへ向かったこと」
三雲の表情が強張る。
「なのに、東雲様がお部屋へ戻られたかどうかだけ、ご存じない」
「……」
「どうしてでしょう?」
「申し訳ありません」
三雲は俯いた。
撫子は微笑んだ。
「あなたのお話、少し甘すぎますわ」
「……甘い?」
「ええ」
撫子の声が、静かになる。
「隠し味を入れすぎたお菓子は、かえって不自然な味になりますもの」
三雲の顔から血の気が引いた。
「……分かりました」
やがて彼は懐から、小さな包みを取り出した。
「東雲様から、お預かりしたものがあります」
中には、古びた手紙が何通も入っていた。
そして一番奥に、一通の手紙。
宛名はない。
撫子は封を開いた。
震える文字が並んでいる。
――あなたを嫌いになったわけではありません。
――家のために、あなたを諦めなければなりませんでした。
――もし、もう一度だけお話しできるのなら。
撫子は、そっと目を伏せた。
手紙の最後に記されていた名前。
それは――
「柊悠人」
楓が目を見開く。
「誰です?」
「きっと、東雲様が最後に会いたかった方ですわ」
柊悠人は、この列車の設計者・柊宗一郎の孫だった。
「昨日も、お乗りになっていたのですね?」
神代に尋ねると、彼は頷いた。
「はい。ですが、今は姿が見えません」
撫子は窓の外を見た。
紅葉が流れていく。
「展望デッキへ参りましょう」
「お嬢様、まさか……」
「ええ」
撫子は静かに微笑んだ。
「事件の始まりを、確かめに行きますの」
展望デッキには、冷たい秋風が吹いていた。
煤の匂いを含んだ風が、撫子の肩掛けを揺らす。
撫子は床を見回す。
「ここには、ほとんど血痕がありませんわね」
「では、ここで殺されたわけでは……?」
「おそらく」
その時。
「……その通りです」
背後から声がした。
振り返る。
そこに、柊悠人が立っていた。
顔は青ざめ、目の下には深い隈が刻まれている。
「柊様……」
「もう、逃げられませんね」
柊は力なく笑った。
「全部、お話しします」
玲子とは、かつて恋人だった。
だが、家の事情で別れを告げられた。
その本当の理由を知らない柊は、玲子に捨てられたのだと思い続けていた。
「だから、電報を打ったのです」
「玲子様と話すために?」
「はい」
しかし、玲子は何も説明しなかった。
ただ、
「ごめんなさい」
そう言っただけだった。
「私は……頭に血が上って」
柊は震える手を見つめた。
「持っていたナイフで、彼女を刺しました」
楓が息を呑む。
「でも……」
柊の声が震えた。
「すぐには亡くならなかった。玲子は胸を押さえながら、私を見て……」
そこで言葉が途切れる。
「『本当は、あなたに伝えたかった』と」
「……」
「私は怖くなって、逃げました」
撫子は静かに尋ねた。
「では、東雲様の遺体をお部屋へ運んだのは?」
「……私ではありません」
「ええ」
撫子は頷いた。
「あなたは運んでいませんわ」
柊が顔を上げる。
「どうして……」
「東雲様は、ご自分で戻られたのですもの」
「そんな……」
「致命傷になるまで、少し時間があったのでしょう」
撫子は続ける。
「玲子様は、傷を負ったまま自室へ戻った。そしてご自分で扉を施錠した」
「……」
「だから、密室になったのですわ」
柊の目が見開かれる。
「犯人が密室を作ったのではありません」
撫子は、まっすぐ柊を見た。
「東雲様ご自身が、最後に密室を作ってしまったのです」
柊は、その場に崩れ落ちた。
「……私は……何も知らなかった」
「ええ」
撫子は手紙を差し出した。
「だから、これをお読みください」
柊は震える手で受け取った。
「東雲様が、あなたへ宛てて書いた手紙です」
柊の目が文字を追う。
そして。
「……玲子」
涙が頬を伝った。
「ずっと……私を嫌っていたわけじゃ……」
「ええ」
撫子は静かに頷いた。
「ただ、伝えることができなかったのでしょう」
柊は手紙を胸に抱いた。
撫子は、それ以上何も言わなかった。
伝えられなかった言葉は、時に人の運命を変える。
それは、甘い菓子に隠された苦い味によく似ていた。
次の駅で乗り込んできた巡査に、柊は連れて行かれた。
神代が撫子の前で深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「あら。私は何もしておりませんわ」
「いえ。三雲のことです」
「……やはり」
撫子は微笑んだ。
「あなたが持ち場を離れていた理由は、三雲さんだったのですね」
「はい。あの子は少し思い詰めやすくて」
「優しい方ですのね」
「そんな……」
「いいえ」
撫子は首を振る。
「人を心配している方の目は、分かりますもの」
列車は再び動き出した。
夕暮れの紅葉が、車窓の向こうで金色に輝いている。
「お嬢様」
食堂車のいつもの席で、楓が呆れたように言った。
「事件の後だというのに、もうお菓子ですか?」
「だって、朝から何も食べておりませんもの」
「朝食は召し上がっていました」
「あれは朝食ですわ」
「十分です」
「足りません」
撫子の前には、新しい菓子が並んでいる。
その中から栗きんとんを一つ取ると、幸せそうに頬張った。
「まあ……美味しい」
「お嬢様」
「はい?」
「今日の事件、悲しいお話でしたね」
「ええ」
撫子は窓の外を見つめた。
「もっと早く、お二人がお話しできていればよかったのですけれど」
「そうですね」
「言葉は、ちゃんと伝えませんといけませんわね」
しばらく黙った後。
「……ところで楓」
「はい?」
「この栗きんとん、とても美味しいですわ」
「急に現実へ戻られましたね」
「だって、美味しいものは美味しいんですもの」
撫子は笑った。
そして、ふと楓を見る。
「楓も召し上がって?」
「私は結構です」
「まあ。遠慮なさらずに」
「遠慮ではありません」
差し出された栗きんとんを前に、楓は諦めたように息を吐いた。
そんな二人を乗せて、列車は紅葉の山あいを走っていく。
悲しい恋を乗せて。
甘い菓子を乗せて。
そして――次の目的地へ。
撫子は、車窓の向こうを眺めながら、楽しそうに笑った。
「さあ、楓。次はどんな旅にいたしましょうか」
「……今度こそ、事件のない旅にしてください」
「まあ」
撫子はくすりと笑う。
「それは、少しつまらなそうですわ」
秋の夕暮れ。
列車は紅葉の中を、どこまでも進んでいった。
了
お読みいただき、ありがとうございました。
紅葉の列車とお菓子、そして少し切ない密室ミステリーを書いてみました。
撫子と楓の旅、楽しんでいただけましたら嬉しいです。




