今日で冒険者を辞める俺が、最後に受けた依頼は竜の子守でした
冒険者を辞めると決めた日の朝、ロイドはいつもより少し早くギルドへ行った。
三十八歳。
冒険者としては、もう若くない。
剣を振ればまだ戦える。森を歩くことも、荷物を背負って山をこえることもできる。
けれど、朝になると右ひざが痛むようになった。
十年前に魔物の角を受けた古い傷だ。
昔は笑ってすませていたが、最近は階段を上るだけでも重く感じる日がある。
「そろそろだな」
何度もそう思っていた。
そして今日、やっと決めた。
今受けている仕事を終えたら、冒険者を辞める。
そう言うつもりでギルドの扉を開けた。
「辞める?」
受付のミアは、目を丸くした。
「ああ」
「ロイドさんが?」
「俺以外に誰がいる」
「だって昨日まで普通に仕事を探していたじゃないですか」
「昨日まで考えていたんだよ」
ロイドは受付台の前に置かれた椅子へ座った。
朝のギルドはまだ静かだった。壁には今日の依頼書が何枚もはられている。
薬草集め。
街道の護衛。
森に出た魔物の調査。
いつもなら、まず報酬と場所を見る。
今日は見なかった。
「本当に辞めるんですか」
「ああ。田舎に帰る」
「ご実家に?」
「兄貴が小さな宿をやってる。前から手伝えって言われてたんだ」
ミアは少しさびしそうな顔をした。
「十五年ですもんね」
「十六年だ」
「あ、すみません」
「長かったな」
ロイドは笑った。
十八歳で村を出て、二十二歳でアステリア王国の冒険者ギルドに入った。
大きな夢があったわけではない。
剣が少し使えた。
村にいるより金がもらえた。
それだけだった。
気がつけば十六年がたっていた。
「それじゃ、手続きをしますね」
「ああ」
ミアが書類を出そうとした、その時だった。
「待って!」
奥からギルド長が走ってきた。
五十をこえた大きな男で、朝から息を切らしている。
「ロイド、辞めるのは今日の夕方にしろ」
「何でだよ」
「最後に一つ頼みたい」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないだろ!」
「最後の仕事ってのは、大体ろくな仕事じゃない」
ロイドは何度も経験していた。
簡単な護衛です。
近くの森です。
危険はありません。
そう言われた仕事ほど、途中で何かが起こる。
「今回は本当に簡単だ」
「その言葉が一番信用できない」
「竜の子守だ」
ロイドは黙った。
「……何だって?」
「竜の子守」
ギルド長がもう一度言った。
ギルドの裏庭に、その竜はいた。
ロイドはしばらく何も言えなかった。
「小さいだろ?」
ギルド長が言う。
「これを小さいと言うのか」
たしかに、竜としては小さい。
けれど人間と比べれば十分に大きい。
大きさは子牛くらい。青い色のうろこに、まだ短い翼が二枚ついている。
頭には小さな角。
目は丸く、少し不安そうだった。
「子どもの飛竜だ。昨日、街道で見つかった」
「親は?」
「それを探している」
「だったら俺じゃなくて竜専門の人間に頼め」
「もう頼んでる。夕方には竜便局から専門の人が来る」
「じゃあ、その人が来るまで見てろって?」
「そういうことだ」
ロイドは子竜を見た。
子竜もロイドを見た。
しばらく見つめ合う。
「きゅ」
子竜が小さく鳴いた。
「……俺は子守なんてしたことないぞ」
「剣を持って森へ入るより簡単だ」
「さっきからお前は簡単って言いすぎだ」
ギルド長はロイドの肩をたたいた。
「最後くらい平和な仕事で終われ」
そう言って、逃げるように建物へ戻っていった。
ロイドはため息をついた。
「……まったく」
「きゅ」
「お前もそう思うか」
子竜は首をかしげた。
最初の一時間は、本当に何も起きなかった。
子竜は庭を歩いた。
ロイドは椅子に座って見ていた。
子竜が木の葉を食べようとしたので止めた。
子竜が水おけをひっくり返したので直した。
子竜がロイドの剣のさやをかじったので取り上げた。
「おい。それは食い物じゃない」
「きゅう」
「だめだ」
「きゅうう」
「そんな顔をしてもだめだ」
子竜は不満そうに地面へ座った。
ロイドは思わず笑った。
「お前、犬みたいだな」
すると子竜は立ち上がり、ロイドの足へ頭をこすりつけた。
「やめろ。重い」
言いながらも、ロイドはその頭をなでた。
うろこは思ったより温かかった。
「親とはぐれたのか」
「きゅ」
「不安だよな」
子竜は答えず、ロイドの横へ丸くなった。
しばらくして眠ってしまった。
その寝顔を見ながら、ロイドは十六年前のことを思い出していた。
初めて王都へ来た日。
右も左もわからず、ギルドの入口で立っていた。
怖かった。
けれど、怖いとは言えなかった。
若かったからだ。
「俺も、こんな顔してたのかもな」
子竜は眠ったままだった。
昼すぎ。
ミアがパンとスープを持ってきた。
「どうですか」
「今のところ平和だ」
「よかった」
「こいつ、何を食うんだ?」
「聞いたら、魚とか小さい肉なら大丈夫らしいです」
「肉か」
ロイドは自分のパンにはさんであった焼き肉を少しちぎった。
子竜はすぐに起きた。
「お前、寝てたんじゃないのか」
「きゅ!」
「食い物の気配だけはわかるんだな」
肉を差し出すと、子竜は一口で食べた。
そして、もっとほしそうにロイドを見る。
「だめだ。これは俺の昼飯だ」
「きゅ」
「だめ」
「きゅう」
「……少しだけだぞ」
結局、ロイドの昼飯は半分になった。
ミアは横で笑っていた。
「もう仲良しですね」
「今日だけだ」
「連れて帰ったらどうです?」
「宿にこんなのがいたら客が逃げる」
その時だった。
子竜が急に顔を上げた。
「ん?」
空を見ている。
次の瞬間、翼を広げた。
「おい」
子竜が走り出した。
「待て!」
ロイドが立ち上がった時には、もう庭の門をぬけていた。
「ロイドさん!」
「ギルド長を呼べ!」
ロイドは走った。
子竜は王都の通りをまっすぐ走っていった。
人々が声を上げて道をあける。
「止まれ!」
「きゅう!」
「止まれって言ってるだろ!」
当然、止まらない。
右ひざが痛んだ。
それでもロイドは追った。
子竜は東門をぬけ、そのまま街道へ出た。
「どこへ行くつもりだ!」
しばらく走ったところで、子竜が立ち止まった。
空を見上げて鳴く。
「きゅうううう!」
いつもの短い声ではなかった。
遠くまで届くような、大きな鳴き声だった。
ロイドも空を見る。
雲の間に、小さな影があった。
それはどんどん大きくなる。
「まさか……」
飛竜だった。
子竜より何倍も大きい。
青い翼を大きく広げ、こちらへ向かって飛んでくる。
「親か?」
「きゅう!」
子竜はうれしそうに鳴いた。
ロイドはほっとした。
これで終わりだ。
そう思った時だった。
大きな飛竜の飛び方がおかしいことに気づいた。
右の翼が下がっている。
「傷ついてるのか?」
飛竜は街道の外へ下りようとして、体勢をくずした。
そのまま草地へ落ちる。
大きな音がした。
「おい!」
ロイドは走った。
子竜も続く。
草地に倒れた飛竜の右の翼には、長い傷があった。
血が出ている。
「きゅう! きゅう!」
子竜が親の顔へ近づく。
親竜は目を開けた。
子竜を見て、小さく鳴いた。
「生きてるな」
ロイドは近づいた。
親竜がうなる。
「わかってる。近づかない」
傷を見る。
矢でも魔物でもない。
翼のはしに、大きな木の枝が刺さっていた。
飛んでいる途中で何かにぶつかったのだろう。
「それを抜けばいいのか」
親竜がまたうなる。
「俺も好きで近づくわけじゃない」
子竜がロイドを見た。
「そんな顔するなよ」
ロイドはため息をついた。
「今日で辞めるって決めたんだぞ」
ゆっくり親竜へ近づく。
うなり声が大きくなる。
「俺は敵じゃない」
もちろん言葉が通じるかわからない。
それでも言った。
「こいつの面倒を見てただけだ」
子竜が親竜とロイドの間へ入った。
「きゅ」
親竜のうなり声が止まった。
ロイドは翼を見る。
枝は深く刺さっている。
「痛いだろうが、少し我慢しろ」
枝をつかんだ。
「いくぞ」
一気に引く。
飛竜が大きな声を上げた。
ロイドは後ろへ転びそうになったが、枝は抜けた。
「よし!」
傷口を布でおさえる。
応急手当しかできない。
だが、血は少しずつ弱くなった。
「これ以上は専門の人に任せるしかないな」
その時、街道の向こうから馬の音が聞こえた。
ギルド長とミア、それに数人の騎士が走ってくる。
「ロイド!」
「遅いぞ!」
ロイドは手を上げた。
夕方。
親竜と子竜は、竜便局の人たちに連れられていった。
傷は深くなかった。
数日休めば、また飛べるらしい。
子竜は最後まで親のそばから離れなかった。
ロイドはギルドの前で、その姿を見送った。
「終わったな」
ギルド長が横で言った。
「ああ」
「最後の仕事にしては、悪くなかっただろ?」
「十分走らされた」
「まだ走れるじゃないか」
「ひざが痛い」
ロイドは笑った。
ミアが一枚の紙を持ってきた。
「引退の書類です」
「ああ」
ロイドは受け取った。
名前を書く。
十六年。
長かった。
いろいろあった。
怖い思いもした。
仲間を失ったこともある。
何度も辞めようと思った。
それでも今日まで続けた。
「これで終わりか」
紙を返す。
「はい」
ミアは少しさびしそうに笑った。
「ロイドさん。長い間、お疲れさまでした」
「ああ」
その時だった。
空から声がした。
「きゅう!」
ロイドは顔を上げた。
親竜の背中に乗るようにして、あの子竜がこちらを見ていた。
まだ上手には飛べないらしい。
「きゅう!」
もう一度鳴く。
ロイドは手を上げた。
「元気でな!」
子竜も翼をばたばたさせた。
親竜はそのまま夕方の空へ飛んでいった。
ロイドはしばらく見ていた。
空から見えなくなるまで。
「さて」
荷物を背負う。
「帰るか」
冒険者ロイドの物語は、今日で終わった。
けれど、ロイドという男の人生は終わらない。
明日からは兄の宿で働く。
剣の代わりに包丁を持つかもしれない。
客の荷物を運ぶかもしれない。
もしかしたら、空から青い竜が遊びに来る日もあるかもしれない。
それでいい。
冒険は、遠い山や深い森にだけあるわけではない。
ロイドは十六年間通ったギルドに背を向け、夕日の中を歩き出した。
そしてアステリア王国の空では、一頭の子竜が、親のとなりで小さな翼を広げていた。




