第八話 子どもが来た
ある朝、屋敷の門の前に子どもが立っていた。
八歳くらいの女の子で、ぼろぼろの服を着て、両手で何かを抱えていた。エルナが出ていくと、その子はエルナを見上げて、抱えていたものを差し出した。
野菜だった。小さな人参が三本。
「……ありがとう」
エルナは受け取った。
「何か用事がありましたか」
女の子は首を横に振った。それだけ言いたかったらしく、くるりと向きを変えて走って行った。
ベルクが隣に来た。
「ヴェラさんの姪御さんです。マリアというお子さんで」
「そうですか」
「最近、エルナ様のことが気になっているようで」
エルナは人参を見た。小さいが、ちゃんと育っている。
「ベルク、子どもたちは学校に通っていますか」
「ロッテンには学校がありません。王都や大きな町まで行けば通えますが」
「読み書きと計算は」
「出来る子と出来ない子がいます。農家の子は仕事を手伝うことが多いので」
エルナはノートに書いた。
「識字率と計算能力、確認要」
これは今すぐ動く話ではない。でも頭の中に入れておく。領地が安定したら、次に手をつけることの一つになる。
それからしばらくして、また子どもが来た。
今度はマリアと、その友人らしき男の子が二人。三人でエルナを見ている。
「何かしたいことがありますか」
エルナが聞くと、男の子の一人が言った。
「屋敷の中、見てもいいですか」
「どうぞ」
三人が入ってきた。屋敷の中をきょろきょろ見回しながら、調度品の少なさに少し首を傾けていた。
「何もないね」
「売ったので」
「エルナ様が?」
「前の管理人が」
「ふーん」
マリアがエルナの机の上のノートを見た。
「これ何?」
「記録です。農地の成長とか、お金の計算とか」
「計算できるの?」
「できます」
「すごい」
エルナは少し考えてから、紙を一枚取り出した。
「計算、やってみますか」
三人が目を輝かせた。
エルナは簡単な足し算と引き算を書いた。前世で経営者をしていたとき、若い社員に教えるのが好きだった。教えることで、自分も整理される。
三人は真剣に考えた。マリアが一番早かった。
「正解です」
「やった!」
「また来てもいいですか」
「どうぞ。ただし、農地の作業の邪魔はしないこと」
「しない!」
三人は約束して帰った。
次の日も来た。
その次の日も来た。
一週間も経つと、子どもの数が増えていた。最初の三人が友達を連れてきた。気づけば毎日七、八人が屋敷に来るようになっていた。
「賑やかになりましたね」
ベルクが言った。
「迷惑ですか、ベルク」
「いいえ。むしろ、屋敷に子どもの声がするのは、久しぶりで」
ベルクは少し遠い目をした。エルナは聞かなかった。聞かない方がいいこともある。
子どもたちが来るようになって、変化があった。
子どもの親が話しかけてくるようになった。
「うちの子が毎日楽しそうで」という声。「計算を教えてもらったと喜んでいた」という声。
警戒がほぐれていくのが分かった。
子どもに対して誠実にすれば、親は信頼する。これも前世で学んだことだ。
ある夕方、ヴェラが来た。
「エルナ様、少し話があって」
「どうぞ」
「村の人たちが、エルナ様に感謝しています。でも言葉にするのが苦手な人が多くて」
「感謝しなくていいです。私がここでやりたいことをやっているだけなので」
「それでも、ということで」ヴェラは少し間を置いた。「何か困っていることはありますか。みんなで出来ることなら、手伝いたいと言っています」
エルナはしばらく考えた。
「水車の修繕を考えています。上流に古い水車があると聞きました。確認しに行きたいのですが、道を知っている人がいれば」
「それなら、うちの夫が知っています。体は悪いですが、案内くらいなら」
「お願いできますか」
「明日でいいですか」
「はい」
翌日、ヴェラの夫のゾルトが案内してくれた。
ゾルトは五十代で、農地の作業は難しい状態だが、歩くことはできた。川沿いの道を上流に向かうと、三十分ほどで古い水車が見えてきた。
「これですか」
水車は木製で、一部が腐って崩れていた。でも基礎の石組みはしっかりしている。車輪の仕組みも、修繕すれば使えそうだ。
「昔はここで麦を挽いていたんですか」
「はい。二十年ほど前まで。壊れてから、ずっとそのままで」
「修繕に使える材料はありますか」
「森の木材があれば、大工仕事のできる人間がいます」
「誰ですか」
「戻ってきた夫婦の旦那さんが、元大工です」
エルナはノートに書いた。
水車修繕、可能。材料は森の木材から。大工、確保済み。
また一つ、つながった。
「ゾルトさん、ありがとうございます」
「いいえ。体が悪くなってから、あまり役に立てていないので」
「地図を描いてもらえますか。この辺りの地形を。私が知らない場所がまだたくさんあるので」
ゾルトは少し驚いた顔をした。
「私が、ですか」
「土地を一番知っている人が描くのが正確です」
「……やってみます」
「時間がかかっても大丈夫です。ゾルトさんのペースで」
ゾルトは静かにうなずいた。
川の水が流れている。水車はまだ動いていないが、いつか動く。
動かすのは、自分一人ではない。
ここにいる全員で、少しずつ動かしていく。
エルナはノートを閉じた。
今日も、数字が一つ増えた。




