第六話 最初の一手は農地から
隣の町はロッテンから半日の距離にあった。
クルトが馬を引いてくれた。クルトは道中ほとんど喋らなかったが、エルナも喋らなかったので、二人の間に気まずさはなかった。
町に入ると、思っていたより活気があった。市場が立っていて、露店が並んでいる。人の往来も多い。ロッテンと比べると、別の世界のように見えた。
種屋を見つけて麦の種を二袋購入した。値段は妥当だった。
帰ろうとしたとき、クルトが立ち止まった。
「エルナ様、あの人」
市場の端に、見覚えのある顔があった。
ガルト・フォン・ドレークだ。商人と話している。こちらはまだ気づいていない。
エルナは少し考えた。
声をかけるか、そのまま帰るか。
声をかけることにした。
「ガルト様」
ガルトが振り返った。商人との話を途中で切り上げ、エルナに近づいてくる。
「なんでお前がここにいる」
第一声がそれだ。
「種を買いに来ました」
「一人か」
「クルトがいます」
ガルトはクルトを見た。クルトが小さく会釈した。ガルトは何も言わなかった。
「農具と種、届きました」
エルナは言った。
「知らない」
「差出人がなかったので」
「だから知らない」
「ヴェラさんに聞きました。ドレーク領の馬車だったと」
ガルトは少し黙った。
「それがどうした」
「秋の収穫から返します。量は収穫量によりますが、必ず返します」
「別にいらない」
「受け取ってください」
「なぜ」
「借りたままにすると、動きにくいので」
ガルトはエルナを見た。何かを考えているような目だった。
「…お前は変わっているな」
「そうですか」
「普通は礼だけ言って終わりにする」
「お礼は言います。ありがとうございました。でもそれとこれは別です」
「別、か」
「善意に甘えすぎると、関係が崩れます」
ガルトはしばらくエルナを見てから、短く言った。
「好きにしろ」
そのまま歩いて行こうとした。エルナはもう一つだけ聞くことにした。
「ガルト様」
「何だ」
「なぜ差出人を書かなかったんですか」
ガルトは足を止めた。振り返らなかった。
「……お前が断るかもしれないと思った」
「なぜ断ると思ったんですか」
「プライドが高そうだから」
エルナは少し考えた。
「プライドは高くないです。ただ、返せるものは返したい性格なので」
「同じことだ」
「違います」
ガルトはようやく振り返った。
「……村の調子はどうだ」
「農具が届いたので、農地の整備が動き始めました。手紙の返事が三通来て、若い夫婦と漁師が戻ってくる予定です。木材の先買い契約も取れました」
「木材を売ったのか」
「先買い契約です。道が完成してから輸送します」
「いつ完成する」
「もう完成しています。三日前に」
ガルトは少し間を置いた。
「……道を作ったのか。誰が」
「私とベルクとクルトと、クルトの友人二人で」
「お前が」
「鍬の使い方は下手でしたが」
ガルトはクルトを見た。クルトが「本当に下手でした」と小さく言った。
「……三ヶ月後に来ると言ったが」
「はい」
「前倒しで来るかもしれない」
「どうぞ」
「迷惑か」
「迷惑ではないです。村を見てもらった方が、何か気づくことがあるかもしれません」
ガルトはまた少し黙った。
「なぜそんなに落ち着いているんだ」
「何がですか」
「普通、あの状態の土地を一人で受け取って、怖くないのか」
エルナは少し考えた。
「前世で、傾いた会社を引き受けたことが何度かあります。あのときの方が状況は悪かったので」
「また前世と言っている」
「気にしないでください」
ガルトはエルナをしばらく見た。それから、短く言った。
「三週間後に来る」
「お待ちしています」
ガルトは今度こそ歩いていった。
クルトがエルナの隣に来た。
「エルナ様、ガルト様に言い返す人、初めて見ました」
「失礼でしたか」
「いや……なんか、すごかったです」
エルナは市場を見渡した。活気のある町だ。
ロッテンも、いつかこうなるかもしれない。
可能性はある。数字はそう言っている。
ロッテンに戻ると、農地で作業している人数が増えていた。
見知らぬ顔が三人いる。
「誰ですか」
ヴェラが来て教えてくれた。
「手紙を出していなかった人たちです。噂を聞いて来ました」
「噂?」
「農具が届いたとか、道ができたとか。ロッテンが動き出したって」
エルナは農地を見た。
噂が広がっている。自分では意図していなかったが、情報は人を通じて動く。
「受け入れますか」
ヴェラが聞いた。
「はい。条件は他の人と同じです」
「分かりました」
エルナはノートを開いた。今日の変化を書き込む。
戻った村人、三名追加。農地整備、南区画まで着手。種の追加調達完了。
数字が少しずつ動いている。
まだ秋の収穫は先だ。でも、動いている。
それで今日は十分だった。




