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婚約者を譲ります、領地をください  作者:


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第五話 隣の辺境伯は口が悪い

 王都への往復は四日かかった。


 材木商との交渉は、思っていたより順調だった。


 エルナが持参した木材の見本を見た商人は、最初こそ「辺境の材木を買う必要はない」と言っていたが、エルナが森の規模と伐採可能な本数、輸送コストの試算を数字で示すと、態度が変わった。


 前世で学んだことがある。交渉は感情ではなく数字でするものだ。相手が納得するのは、言葉の熱量ではなく、根拠の明確さだ。


 最終的に、木材の先買い契約を結んだ。道が完成してから最初の輸送分を前払いで買い取ってもらう契約だ。その資金で農具と種を購入する。


 帰り道の馬車の中で、エルナはノートに数字を書いた。


 先買い金額、農具の購入費、種の代金、残額。残額は少ないが、ゼロではない。


 これで動ける。


 屋敷に戻ると、ベルクが門の前に立っていた。


「お帰りなさいませ、エルナ様」


「ただいま。何かありましたか」


「手紙の返事が三通来ました。それと……」


 ベルクが少し言い淀んだ。


「それと?」


「荷物が届きました」


「荷物?」


 屋敷の裏手に回ると、木箱が積まれていた。


 かなりの数だ。十箱以上ある。


 エルナは一番上の箱を開けた。


 農具だった。鍬、鋤、熊手。新品ではないが、状態はいい。使えるものばかりだ。


 別の箱を開けると、種袋が入っていた。麦と芋と、あとは見慣れない野菜の種もある。


 エルナはベルクを見た。


「誰が送ってきたんですか」


「……差出人の名前はありませんでした」


「名前がない?」


「はい。ただ、荷物を運んできた御者が、ドレーク辺境伯領の紋章のある馬車だったと」


 エルナはしばらく箱を見た。


 ガルト・フォン・ドレーク。


 三ヶ月後にまた来ると言っていた。潰れる前に出ていけとも言っていた。


 それがこれだ。


「……文句を言いながら手を貸すタイプですね」


「左様でございますね」


 エルナは農具を一本手に取った。しっかりした造りだ。決して安くない。


「ベルク、手紙の返事は誰からですか」


「若夫婦の一組と、それから漁師をやっていた方です」


「漁師が戻ってくれるなら、燻製の話が動きます」


「そのようですね」


 エルナはノートを開いた。


 王都での先買い契約。手紙の返事三通。そして正体不明の農具と種。


 想定より早く動いた。


「ベルク、ガルト様への返事を書きます。手紙を届けてもらえますか」


「何とお書きになりますか」


「農具と種、受け取りました。秋の収穫から必ず返します、と」


「お礼は書かないのですか」


「差出人がいない荷物ですから」


 ベルクは少し笑った。


 農具が届いた翌日から、村の空気が変わった。


 クルトと友人たちが農具を手に取り、耕せていなかった区画に入っていった。ヴェラが種の袋を確認し、どの区画に何を植えるかを指示し始めた。


 エルナは端から見ていた。


 自分が動かしたというより、動ける条件が揃ったから動いた、という感じだ。前世でも同じだった。経営者の仕事は、人が動ける環境を作ることだ。人は条件が揃えば、自分で動く。


「エルナ様」


 ヴェラが来た。


「麦の種、もう少し足りません。どこかで調達できますか」


「どれくらい足りませんか」


「あと二袋あれば、南の区画まで全部植えられます」


「分かりました。近くで買えるところはありますか」


「隣の町まで行けばありますが、半日かかります」


「明日行きます」


「一人でですか」


「クルトを借りていいですか。荷物を運ぶのに」


 ヴェラは少し考えてから、うなずいた。


「分かった。でも気をつけて。隣の町のことをガルト様が仕切っているから」


「ドレーク辺境伯が?」


「あの辺り一帯はドレーク辺境伯領です。ロッテンは飛び地みたいなもので、三方がドレーク領に囲まれています」


 エルナは地図を思い出した。確かに、ロッテンは奇妙な形の土地だ。三方をドレーク領に接しており、南の一方だけが王道に繋がっている。


「……なるほど」


「嫌いですか、ガルト様のこと」


「嫌いではないです。ただ、失礼だとは思います」


「ガルト様はああいう方です。口は悪いけど、この辺りの村人には慕われていますよ」


「そうですか」


「農具を送ってきたのも、あの方らしいですよ」


「……差出人がなかったのに、どうして分かるんですか」


「うちの村に、昔からドレーク領と行き来している人がいて」


 エルナはヴェラを見た。


「村人はみんな知っているんですか」


「大体は」


「ならなぜ差出人がないんですか」


「さあ。お礼を言われたくなかったんじゃないですか」


 エルナはしばらく考えた。


 お礼を言われたくない。なぜか。照れているのか、それとも別の理由があるのか。


 前世で、そういう上司が一人いた。部下が困っていると気づいたら、こっそり助けて、聞いても「知らない」と言うタイプだ。面倒くさい性格だったが、信用できる人間だった。


「隣の町への用事は、明日済ませます」


「分かりました」


「もしガルト様に会ったら、正直に名前を出していいですか」


「もちろん」


「差出人がないことについて、直接聞いてみます」


 ヴェラは少し笑った。


「怒らせるかもしれませんよ」


「怒ったら怒ったで、それはそれです」


 ヴェラはまた笑った。今度は少し大きく。


 エルナは農地の方に目を向けた。


 クルトたちが土を耕している。小さな区画だが、動いている。


 三ヶ月後にガルトが来たとき、潰れていなければいい。


 いや、それだけではない。


 数字が出ていなければ、意味がない。

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