第四話 村人が信用しない理由
手紙を書くのに、一晩かかった。
出ていった村人への呼び戻し状。ベルクが覚えている行き先は十七人分だ。全員に同じ内容で送ることもできるが、エルナはそうしなかった。
前世で学んだことがある。人に動いてもらうには、相手にとっての理由が必要だ。こちらの事情を並べても意味がない。相手が「戻ることで何が得られるか」を伝えなければ、手紙は読まれても返事は来ない。
だから一人一人、ベルクから聞いた情報を元に内容を変えた。
農具を取り上げられて出ていった若夫婦には、「農具を用意する、農地を優先的に割り当てる」と書いた。子どもの医療費が払えなくて出ていった家族には、「薬師を呼ぶ手配を始めている」と書いた。嘘ではない。これからやることだ。
ベルクが手紙を見て、少し黙った。
「……こんなに細かく書くのですか」
「返事が欲しいので」
「でも、約束が守れなかったら」
「守れる約束しか書いていません」
エルナは書き終えた手紙を封じながら言った。
「守れない約束を書いても意味がありません。信用は積み上げるものだから」
手紙を出した翌日から、エルナは毎日村を歩いた。
朝に農地を確認する。どの区画が使えるか、土の状態はどうか。昼にヴェラに話を聞く。夕方に屋敷に戻り、データを整理する。
ヴェラは最初、警戒していた。でも毎日来るエルナを見ているうちに、少しずつ話すようになった。
五日目の昼、ヴェラが井戸の前でエルナを待っていた。
「今日は聞きたいことがある」
「どうぞ」
「農具を調達すると言っていたけど、本当にできるの?」
エルナは少し考えた。
今の状況を正直に言うべきか。希望を持たせるべきか。
前世の経験から言えば、正直に言う方がいい。希望を持たせても、期待が裏切られたときのダメージが大きい。
「北の森の木材を売る算段を立てています。ただ、道の整備が必要で、そこに人手がかかります。手紙の返事が来るまでに、まず私とベルクで道を作り始めます」
「二人で?」
「他に人がいないので」
ヴェラはエルナを見た。
「あなた、貴族でしょう」
「はい」
「貴族が自分で道を作るの?」
「作らないと農具が手に入りません」
ヴェラはしばらく黙った。
「……うちの息子を出しましょうか。十六歳だけど、体は丈夫です」
「本当ですか」
「ただ働かせるわけにはいかないけど」
「ちゃんと払います。今は現金がないので、秋の収穫から割り当てる形になりますが」
「秋の収穫が出たら、の話でしょ」
「はい」
「……リスクがあるね」
「あります」
エルナは正直に言った。
「今の状態でゼロリスクの話はできません。でも道が完成して木材を売れれば、農具は必ず用意します。その約束は守ります」
ヴェラはまた黙った。今度は少し長い沈黙だった。
「分かった。明日から息子を出す。でも」
ヴェラはエルナを真っ直ぐに見た。
「一つだけ聞かせて。あなたは本当に、ここに残るつもりがある?」
「はい」
「前の管理人も、最初はそう言った」
「知っています」
「でも信じろというの?」
「信じなくていいです」
エルナは言った。
「見ていてください。言葉じゃなくて、行動で判断してください」
ヴェラはエルナをしばらく見た。それから、ふっと息を吐いた。
「……正直な人ね」
「前世で、嘘をつくのが得意じゃなかったので」
「また前世って言った」
「気にしないでください」
翌朝から、道作りが始まった。
エルナとベルク、ヴェラの息子のクルトの三人で、森への斜面を整備し始めた。草を刈り、石を除け、荷車が通れるだけの幅を作っていく。
クルトは無口な少年で、最初はエルナを警戒していたが、一緒に草を刈っているうちに少しずつ話すようになった。
「エルナ様って、本当に貴族?」
「はい」
「貴族が草刈りするの、初めて見た」
「私も初めてやりました」
「下手だった」
「知っています」
クルトは少し笑った。
道作りは三日かかった。途中でヴェラの息子の友人が二人加わり、最終的に五人で完成させた。
できた道は荷車一台が通れる程度の幅しかないが、それで十分だ。
完成した日の夕方、エルナはベルクと二人で道を歩いた。
「できましたね」
ベルクが言った。
「はい」
「木材の買い手は当てがありますか」
「手紙を出しています。王都の材木商に、見本を持って交渉に行こうと思っています」
「王都までは遠いですが」
「馬車で二日です。往復四日。その間、ベルクに留守をお願いできますか」
「もちろんです。でも一人で行かれるのですか」
「はい」
ベルクは少し心配そうな顔をした。
「エルナ様、一つお聞きしてよいですか」
「どうぞ」
「お辛くはないですか。婚約のこと、ご実家のこと」
エルナは少し考えた。
辛いかどうか。
「辛くはないです」
本当のことだった。
「もし王都にいたら、妹の婚約披露宴に呼ばれて、笑顔で座っていたと思います。それの方が辛かった」
「そうですか」
「ここには、やることがあります。それで十分です」
ベルクは少し黙ってから、小さく言った。
「よかった」
「何がですか」
「エルナ様のような方が来てくださって、よかったと思いまして」
エルナはベルクを見た。
七十代の老人が、静かにそう言っていた。
「……ありがとうございます」
エルナは少し間を置いてから、続けた。
「秋には収穫が出るようにします。ベルクの給与も、必ず払います」
「給与は結構ですが」
「結構じゃないです。払います」
ベルクは少し困った顔をしてから、うなずいた。
道の先に森が見えた。夕日の中で、木々が静かに立っている。
明日、王都に向かう。
最初の一手は、ここから動く。




