第十六話 村人が立った
父が去った翌日、ガルトが来た。
エルナが農地の記録を取っていると、クルトが「ドレーク様が来ています」と言った。
屋敷に戻ると、ガルトは食堂ではなく庭に立っていた。腕を組んで、農地の方を見ている。
「おはようございます」
「昨日、お前の父親が来たと聞いた」
「誰から聞いたんですか」
「村人から」
「また村人と話していたんですか」
「視察のついでだ」
エルナは少し呆れた。ガルトの視察は、どうやら農地だけでなく村人の話も含まれているらしい。
「何があったか、話してもいいか」
「構いません」
エルナは庭のベンチに座った。ガルトも隣に座った。
昨日のことを話した。父が来たこと、ロッテンをリーナに渡せと言ったこと、エルナが断ったこと、ヴェラたちが出てきたこと。
ガルトは黙って聞いていた。
「……村人が出てきたのか」
「はい。ヴェラさんが」
「何と言った」
「エルナ様に出ていってほしくない、と」
ガルトは少し間を置いた。
「それでお前は」
「泣きそうになりました」
「泣いたか」
「泣きませんでした。でもなりそうでした」
ガルトは農地を見た。
「村人がそれだけ動くというのは、お前が三ヶ月でそれだけのことをしたということだ」
「村人が動いてくれたからです」
「動かした人間がいるから動くんだ」
エルナは少し黙った。
「ガルト様は、そういうことを言わない方だと思っていました」
「言わないが、思っている」
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
「言います」
ガルトが短く息を吐いた。
しばらく二人で農地を見ていた。朝の光が麦の残り穂を照らしている。収穫は終わっているが、来年の種を残してある。
「父はまた来ると言っていました」
「来たらどうする」
「同じように断ります」
「一人でか」
「今回も一人でした」
「今回は村人がいた」
「そうですね」
ガルトは少し黙ってから、言った。
「次に来たら、俺にも知らせろ」
エルナはガルトを見た。
「なぜですか」
「隣の領地の問題は、うちにも影響する」
「それだけですか」
「……それだけだ」
視線が少し逸れた。
「分かりました。知らせます」
「事前に連絡が来ればなお良い」
「父が事前に連絡してくれるかどうか」
「来なかった場合は、事後でもいい」
「……ガルト様、それは心配しているということですか」
「違う」
「そうは聞こえませんでしたが」
「違う」
ガルトは立ち上がった。
「炭村の件、来週行けるか」
「はい。準備しておきます」
「分かった」
ガルトは歩き出した。門の前で少し止まった。
「エルナ」
名前で呼んだ。
「はい」
「よく断った」
それだけ言って、歩いていった。
エルナはガルトの背中を見た。
よく断った。
短い言葉だったが、重かった。
ベルクが隣に来た。
「ガルト様は、よく来ますね」
「視察だそうです」
「毎週視察が必要な理由が、私には少し分かりかねますが」
「ベルク」
「はい」
「それ以上は言わなくていいです」
「……かしこまりました」
ベルクが少し笑いながら屋敷に入っていった。
エルナは農地を見た。
来年はもっと広く使える。人も増える。水車の製粉も軌道に乗る。
数字は先に続いている。
そしてその数字の中に、今は名前がある。
ガルトという、口が悪くて不器用な男の名前が、少しずつ増えてきた気がした。
エルナはノートを開いた。
今日の記録を書く。農地の状態、気温、次の作業の予定。
最後に一行だけ足した。
「よく断った、と言ってもらえた」
それだけで、今日は十分だった。




