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婚約者を譲ります、領地をください  作者:


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第十四話 口が悪い男の不器用な感謝

 ガルトの屋敷に泊まった翌朝、エルナは早起きした。


 客室の窓から外を見ると、ドレーク領の朝が広がっていた。ロッテンより広い農地、整備された道、遠くに見える村の煙。七年かけて作り上げた景色だ。


 着替えて下に降りると、ガルトがすでに執務室にいた。


「早いですね」


「毎朝この時間だ」


「私もです」


 ガルトが少し驚いた顔をした。


「令嬢が?」


「農地の確認があるので。日が出る前に動かないと、一日が足りません」


 ガルトは少し黙ってから、「朝食を用意させる」と言った。


 食堂に移ると、料理人が焼きたてのパンとスープを持ってきた。昨夜と同じく、丁寧な味だ。


「昨夜の炭村の件ですが」


 エルナは食べながら言った。


「分割払いの交渉は、私が同行した方がいいですか」


「なぜお前が」


「第三者がいた方が、村人も話しやすいことがあります。領主と一対一だと、圧力を感じて本音が言いにくい」


「……俺がそんなに怖いか」


「口が悪いので」


 ガルトが少し固まった。


「率直だな」


「事実です。怒っているわけではないです。ただ、初対面の村人には威圧感があると思います」


「……同行を頼んでもいいか」


「もちろんです。ただしロッテンの仕事が落ち着いてからになりますが」


「いつになる」


「二週間後には時間が取れます」


「分かった」


 朝食が終わると、ガルトが言った。


「送っていく」


「お気遣いなく」


「クルトだけでは心配だ」


「クルトは頼りになります」


「十六だ」


「十六でも頼りになる人はいます」


 ガルトは少し黙ってから、「馬を用意させる」と言った。


 結局、ガルトはロッテンまで送ってきた。


 ロッテンに戻ると、ベルクが門の前に立っていた。


「お帰りなさいませ。ガルト様もいらっしゃいましたか」


「送ってくださいました」


「まあ」


 ベルクが少し嬉しそうな顔をした。


 ガルトは馬から降りなかった。


「製粉の結果を教えてくれ」


「まだ確認していません。今日やります」


「分かった」


「上がっていきますか」


「いや、今日は帰る。仕事がある」


「そうですか」


 ガルトは馬を返そうとして、少し止まった。


「……昨日は、助かった」


 短く、はっきりした言葉だった。


 エルナは少し驚いた。この男が「助かった」と言ったのは初めてだ。


「お役に立てたなら、よかったです」


「炭の加工品の話は、早速動かす」


「うまくいくといいですね」


「うまくいかせる」


「そうですね、ガルト様なら」


 ガルトが少し黙った。


「……なぜそう思う」


「七年間、一つずつ潰してきた方ですから」


 ガルトはエルナを見た。昨夜と同じ目だ。何かを考えているが、言葉にしない。


「二週間後、炭村に行く。その前に連絡する」


「お待ちしています」


 ガルトは馬を返した。


 クルトが隣に来た。


「エルナ様、ガルト様、ちゃんとお礼言えましたね」


「そうですね」


「あの方がお礼を言うのを、初めて聞きました」


「珍しいんですか」


「めったにないです。村の人たちもそう言っています」


 エルナはガルトが去った方向を見た。


 言葉より行動の人だ。でも言葉を使う努力もする。


 そういう人間の感謝は、重みが違う。


「ベルク、製粉の結果を確認しましょう」


「かしこまりました」


 エルナはノートを開いた。


 今日もやることがある。数字が待っている。


 製粉の結果は、予想より良かった。


 水車で挽いた小麦粉の品質は均一で、粒度も安定していた。ガルトのパン職人に見本を送ったところ、翌日には「使える品質だ」という返事が来た。


 ロルフ商会にも見本を送った。こちらも「取引を始めたい」という返事が来た。


 エルナはノートに数字を書いた。


 製粉品、月三十袋の生産見込み。販路二社確保。収益試算、来月から黒字に貢献。


 数字が増えていく。


 ヴェラが来た。


「エルナ様、村の人たちが、お礼を言いたいと言っています」


「何のお礼ですか」


「いろいろです。農具のこと、水車のこと、子どもたちのことも」


「私は段取りをしただけです」


「それでも、と言っています」ヴェラは少し間を置いた。「今夜、広場で小さな食事会をしたいと言っているんですが、来てもらえますか」


 エルナは少し考えた。


「もちろんです」


「ガルト様にも声をかけていいですか」


「ガルト様は今日帰りましたが」


「また来ると思うので」


 エルナは少し笑った。


「来たら誘ってください」


 夜の広場に、村人たちが集まった。


 焚き火を囲んで、食事をする。質素だが、温かい。子どもたちが走り回っている。マリアがエルナの隣に来て座った。


「エルナ様、ずっとここにいるの?」


「いるつもりです」


「本当に?」


「本当に」


「よかった」


 マリアはそれだけ言って、また走っていった。


 ヴェラが隣に来た。


「嬉しそうですね」


「マリアが可愛いので」


「エルナ様も嬉しそうです」


 エルナは焚き火を見た。


 嬉しい。確かに、嬉しかった。


 前世で会社を立て直したとき、こういう感覚はなかった。仕事として動いて、数字が改善されれば満足していた。でも今は違う。数字の向こうに顔がある。


 ベルクの顔。ヴェラの顔。クルトの顔。マリアの顔。


 そしてガルトの顔も、少し。


「ガルト様は来ませんでしたね」


 ヴェラが言った。


「仕事があると言っていたので」


「残念です」


「そうですね」


 エルナは少し空を見た。


 残念、と自分も思っていた。


 それに気づいて、少し驚いた。


 数字では読めないことが、また一つ増えた気がした。

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