第4話 悪趣味な宝箱
安物のスチール缶だが、今は崇めるべき供物のように感じられた。
寒さで指は痙攣に近い挙動で「温かい」の赤いボタン……いや、実際には隣の青いボタンを押し間違えたらしい。落ちてきたのは、死んだ魚のように冷え切った微糖コーヒーだった。
「………………」
もう何も言えない。沈黙こそ金というが、俺の喪失感はなんと呼べばいいのか――無音だろうか。いや、これは俺の状態、もしくは頭の中か。
冷たい。だが懐寂しい高校生としては、最近はやりのエコ精神にのっとって飲み干すのが正解だ。やはり冷たい。
飲みながら考える。
美菜の情報をようやく掴んだ。
もっとも、それは気紛れな猫の足跡を追いかける、不確かな目撃談に過ぎないのだが。
(しらみつぶしに探すか。だが……)
夜気は、皮膚という境界線を越えて、体内に不法侵入してくる。
ぜひとも国境警備隊の皆様に取り締まってもらいたいものだ。
できれば、あいつを探す明日と明後日に。
なにしろ警察に泣きついたところで、管轄外だと言われるのは分かっている。
だからこそ、賀来さんは情報の提供ということしかできなかった。かといって、プロの調査員に泣きついても、財布が悲鳴を上げるだけだ
世知辛い世間様に免じて、俺が労働するしかないわけだ。
(ヒントは宝落としか)
脳裏に、教室で騒ぐクラスメイトたちの顔が浮かぶ。あのうち、何人か登録しているらしいが――。
指先一つで、世界が変わるなんていう、安っぽい謳い文句を冠したアプリ。
一年後も元気に営業していそうな閉店セールのチラシより胡散臭いが、嘘でないところに悪意を感じる。
紙片には数億というのもある。
それには手が届かないにしても、もっと下、数万円程度ならどうだろうか?
高校生でも死に物狂いでやれば手が届いてしまう。
だからこそ、悪質だと感じる。
手頃なところに餌をおいて、いたいけな高校生が罠にはまるのを待っているような――。
それでもだ。
『はぁ? 絶対、シラユリちゃん推しでしょ』
『お前、ヒマワリちゃんもいいだろ』
あれは無駄話の中でも、救いのない類だったと断言できる。
もしも、あの姿を撮影されていたら、恥ずかしさで登校拒否せざるをえない。
それでもだ。
真っ白な俺の予定表に、あいつが落書きをしない日が来ていいはずがない。
溜め息をつく。
俺の一部だった水分が逃げた先で、白く凍り夜の闇に溶けていった。
再び溜め息をつく。
取り出したスマホの光は、暗闇に慣れた網膜がお気に召さないようだ。
執拗に視神経を撫でまくってきて少し痛い。
優しさを忘れた光への×として無視。
そのまま、目当てのサイトへとアクセスする。
「……ウイルスとか、入ってないよな?」
いや、選択肢があるフリをするのはもうやめだ。
画面を力任せに叩いた乾いた音が響くと、インストールが開始される。
画面の進捗バーが右に進むたびに、スマホが重たい熱を持ち始めていく。
しかし、画面に居座り続けるミミックだが、こっちを見ているような気がしてならない。愛嬌はあるが、その目は明らかに餌を待っている。
やがてスマホにアプリを取り込み終わると、ユーザー登録が始まった。
しかし、カメラ、マイクから始まり、閲覧履歴やバイタルデータ、さらに――まさか、個人情報まで貪りに来るとは。
「……ッ」
『承認』をタップするたび、画面の端から、粘液のような触手が伸びる。
OKと入力したウィンドウが、ミミックの開いた顎に次々と吸い込まれていく。
それは権限の委譲ではない。
自分の臓物を、デジタルに譲渡しているような、嫌悪感が拭えない光景だ。
やがて、一通りの献上が終わる。
検索結果が表示され、俺は眉をひそめた。
あいつ、自分でギルドを作っていたらしい。しかも、誰の審査も必要としない、誰でもウェルカムな設定だ。
今は、少しでも情報が欲しい。
あいつが見つかったら、すぐに話せばいいのだからと、入団申請をタップ――その瞬間、最大級の呪詛が表示された。
――シラユリちゃん萌え萌え――
「……くっ、どこまで脳髄が汚染されているんだ」
見たくなかった。まさか幼馴染の精神が、これほどまでに変わり果てていようとは。
脱力感が重力のように圧し掛かる。
だが、美菜がかつて呪文のように漏らしていた「業」の名を俺は知っている。
まさか、期間限定とはいえ、この修羅道を歩くことになるとは。
俺はヒマワリちゃん推しなのに――。
しかし、選択肢はない。
美菜が残した、精神の汚濁が結晶化した文字列の後に続くリンクを叩く。
現れたのは、またミミック。
今度は舌で逆立ちをしている。画像の意図は不明だが、俺をバカにしていることだけは確かだ。
ミミックのせいで油断した。
まさか、こんな罠が仕掛けられていたとは――。
悪趣味な加工を施されたノイズ混じりの笑い声が、流れ始めたのだ。
あいつの萌えという濁りを、呪詛へと進化させたかのような、間違いなくあいつの趣味だ。
「……最悪だ」
視覚的な吐き気と、聴覚的な侵食。
迷っている間にも、ミミックの舌の動きが激しさを増していく。
笑い声が、残響となって俺の鼓膜に纏わりつく。
――シラユリちゃんペロペロ――
その文字列を確定させた瞬間、俺の尊厳が、ガラガラと崩落する音を聞いた。
最悪のセンスだ。
画面が切り替わり、俺は「パートナー」として定義されたのだ。
――が、次の瞬間。
画面の中のミミックが激しく痙攣し、次の瞬間、ドス黒い鮮血を嘔吐した。
誰かが惨殺されたかのように、赤色が画面を裏側から濡らす。
滴る血が形作ったのは、呪いのような一文――『つ・か・ま・え・た』。
悍ましい。
画面に触れていた指先には、実際に生温かい液体が触れたかのような錯覚が纏わりついて離れない。
……は?
一瞬、やり過ぎな演出を見て、思考が頭から逃げ出した。
知っているぞ。
この、見当はずれな方向への全力投球。
間違いない。
システムの運営がやったのではない。
絶対に美菜が、自分で設定している。
あいつ、なにやってんだ?
申請したやつ、これで大半が逃げたんじゃないか?
空気がいっそう冷たくなった気がする。
だが、今さらだ。
再びスマホへと視線を向けると、体に違和感を覚えた。
急いで、別アプリを開いて確認する。
そこに表示された「プラナ」の数値が、不自然に減少しているのに気づいた。
(奪われた……のか?)
体温が、物理的に数度低下したような錯覚。
危険水域になるほど減ったわけではない。だが、本当に、このアプリを使って大丈夫なのか?
不安が画面に触れようとする指を迷わせる。
だが、それを理性で圧し殺し、画面を叩いた。
他に、あいつの足跡など見当たらないのだ。ここで立ち止まっているわけにはいかない。
プラナが減った。宝落としのアプリは美菜も使っているんだぞ。時間がない――俺の――それ以上に美菜の。
宝落としのマップが開かれる。
(このマーカーが、彼女の座標か? いや、おかしい。これほどハッキリと位置が特定できるのなら。ならスマホを落としたのか。それとも――)
最悪の結果が脳をかすめるが、それはありえない。
虚構街で死んでも、プラナが底を突いても外に弾き出されるだけだ。
(場所は、虚構四番街か)
今いる四番街だったのは助かったというべきか。
紙片の奪い合いは、ほとんどないらしい。
この辺のは、安いらしいからな。
スマホを握り直し、顔を上げる。
ビルの隙間に見えるその区画は、異常なほどに発光していた。
あれは光ではなく、砕いた宝石の破片が目に突き刺さるような、鋭すぎる色彩だ。
(世界をひっくり返せば、こうなるのかもな)
思い出したのは、学校帰りに美菜と見た退屈なオレンジの夕暮れ色。
あっちは、詰まらないが、この夜景ほど暴力的ではなかった。
もっとも、あの日は遠くに行きすぎて、記憶がボヤけているけどな。
なによりも、あのミミックという趣味を100%つめこんだ悪意のせいで、思い出は今や怒りという原色に塗り潰されている。
よって、早急にあいつを回収して、記憶を適切な色で染め直させなくてはならない。
ヒマワリちゃんを布教することで。
だが。
研究所で香川さんから聞いた、ポテトチップの例えを思い出す。
見つけたとして、本当に美菜のままなのだろうか――。
歩きながらスマホを見る。移動した形跡はない。
すぐにでも向かいたいところだが、すでに時刻は21時を回っている。
この時間帯に出歩けば、厄介な連中に目を付けられかねない。
「クソっ」
あと一ヶ所を確認する程度しかできない。
ここまで手間をかけさせたんだ。
絶対に「ヒマワリちゃんこそ至高だ」と、あいつの教義を否定する呪詛を、泣くまで叩きつけてやる。
俺の予定表はいつだって白一色なんだ。
お前が埋めないでどうするつもりだ。
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