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第3話 ポテトチップスの袋が破裂する音

 虚構街の夜は、誰かが設定を間違えたまま放置したディスプレイのように、不自然な電光色に塗り潰されている。



 この街からは、現実の夜が持つ「闇」という安寧は、どこか遠くに逃亡してしまったようだ。


 代わりに主人面しているのは、冷たい光が踊る、闇に似せた模造品だ。



 時刻は十九時。すなわち夜の七時。


 健全な未成年である俺が一人で歩くには、少しばかり道徳という名札が泣く時間帯だ。もっとも、俺の名札は図太すぎて笑っていそうだが。



 早く美菜を見つけて、ヒマワリちゃんのよさを布教しなければならない。


 きっと、あいつはシラユリちゃんを必死になって持ち上げてくる。滑稽すぎて笑えることだろう。



 そのためにも、警察が情報を横流しするための口実――もとい、協力要請を早々に片付けてしまおう。



「……さて、ここか」


 街の喧騒を背後に捨て、辿り着いたのは一棟のビル。


 ここにくるまでに見てきた、あの超高層ビル群――垂直に伸びる人の手による断崖――とは対照的な、寂れ具合だ。



 手元の端末を操作し、事前に指定されたメッセージを送る。


 数秒の「沈黙」の後、返信が届いた。


『ロックを解除しました。お入りください。二階の応接室におります。ご足労をおかけしますが、よろしくお願いいたします』


 慇懃無礼なほど無機質な文字列。だが、こっちの方が、どう接すればいいのかが判断しやすいから楽ではある。



 指示に従って動く。


 外から見たこの建物は、廃墟となる未来が丸見え状態だった。しかし、内部は「研究施設」という、神経質なほどに機能性を磨き上げた異界となっている。


 ここで存在が許されるのは、最小限の機器だけのようだ。


 エレベーターで二階へ上がり、無機質な廊下をしばらく歩く。目的の扉の前で足を止めた。


 再度、スマホから到着のメッセージを送信する。



 即座に、扉の向こうから物理的な解錠音が跳ね返ってきた。


『鍵は開いています。お入りください』


 促されるまま、扉を開く。


 内部は、ここまでと同じように研究室然とはしていた。だが、人の呼吸が共存する応接室だった。



 ここは外界から隔離された、礼節という王が支配する場所。王様に失礼があってはいけない。だが、高校生ということで、多少のお目溢しくらいは願いたいものだ。


「ああ、どうも。お待たせいたしました。香川 順子と申します。どうぞ、お掛けください」


 迎えてくれたのは、知的な印象を漂わせる眼鏡の女性――香川さんだった。



 彼女に促され、俺は対面のソファーに身を沈める。この、沈み込みの感触に、外から拾ってきた脳内の喧騒もようやく落ちついた。


「改めまして、香川 順子です。……ふふ、研究所には見えませんよね。ですが、これでも実際に嗚瑠辺大学の研究施設となっておりますので、そのようにご認識いただければ幸いです」


 事情は承知している。


 だから、お互いに手元の資料を確認する作業だけでいい。


「それで――霧崎 蓮さん、でよろしいでしょうか」


「はい。間違いありません」


 霧崎。時折「キリガサキ」などと読み間違えられるが、彼女の口調は正確に俺の個体を識別していた。


 これが、「知的」という看板の成せる技なのだろうか。



「では、霧崎さんとお呼びしますね」


 香川さんの表情から、本題を切り出すことを悟り、思わず身構えてしまった。


「この研究所では、『紙片の亡霊』についての調査を行っています。研究対象は多岐にわたりますが、霧崎さんにお持ちいただいたのは、警察から依頼のあった案件――『物語の住人症候群』を発症した方の失踪事件に関するものです。相違ございませんか?」


「はい。私もそのように伺っています」


 物語の住人症候群。この虚構街が生まれてから、何度も問題視されてきた――病というべきか事件とするべきか。


「では、URLとパスワードを送信します。アプリの起動をお願いします」


「了承しました。……送ります」


 端末を操作し、データを転送する。


 通信のための待機時間。


 どこからか聞こえている換気扇の音に、意識が向いた。それは沈黙をかき混ぜているだけの、あまりにも小さな変化が気になったのは、脳が心にある空白を埋めようとしているからだろうか。


 しばらく音に気を取られていると、彼女の手元で、受領完了の電子音が鳴った。


「確かに、受領いたしました」


 これで俺の副業は終わり。これから先は、美菜を探す本職に戻る。


 給料は、美菜が百面相という形で、支払ってくれる予定だ。本人の同意はないが。



「霧崎様。……いえ、ここからは事務的な話ではありませんから、霧崎さんとお呼びしましょうか。いいですね?」


 香川さんは眼鏡を指先で直し、壁の向こう側にある何かを見つめるような目をした。


「霧崎さん。あなたは、ポテトチップスの袋がパンパンに膨らんでいるのを見たことがありますか?」


 唐突な質問だった。


 それでも俺は、頭の中でポテトチップスの袋を、いくつか思い浮かべてみた。


「買ったばかりの新品だとか、誰かが悪戯で息を吹き込んだとか、そういう話……ではないんですよね」


 彼女は、俺の困惑を肯定するかのように小さく頷いた。


「山の上では、あらゆることが下界とは違うルールで動いています。袋は膨らみ、耳はツンとして、私たちは自分たちがかつていた場所がいかに平坦であったかを思い知らされる。でも、本当に怖いのは袋が破裂することではありません」


 香川さんは、一度も使われていない灰皿へと視線を落とし、それから俺の目をまっすぐに見つめる。


「破裂したあと、そこに残されたポテトチップスが、以前と同じ味をしているかどうかです」


 彼女の目に冷たい物を感じながら、話の続きを聞く。


「残酷な言い方かもしれませんが、『物語』に浸食され、プラナが尽き果てた人間の中身は、別の何かに書き換えられてしまう。もし彼女を連れ戻したいのなら、君は相応の代償を払わなければならない。……これはね、かつて袋の破裂する音を聞いたことのある人間の、ささやかな忠告です」



 仕事は終わった。


 だが、香川さんは端末を置くと、表情をわずかに緩和させる。


「……賀来さんから連絡を受けています。霧崎さんには、可能な範囲で情報をお渡しするよう頼まれていまして」


「……そのようなことが」


 賀来さん。俺に「建前」を与えてくれた刑事。


 あの熱量の高い父さんと、これほど気の利く人物がなぜ同僚だったのか。宇宙の七不思議に数えてもいい。


 現役時代、父さんのフォローで相当な苦労をしていたのだろう。


 ますます親子揃って頭が上がらない。


 もっとも、あの父さんのことだから、今頃は俺にアカウントをブロックされたことで、体育座りをして泣いているかもしれないが。


「特定区域の監視記録の中に、該当する人物と特徴の酷似した方を確認しました。その情報をお渡しします」


 情報を受け取ると、俺はすぐさまビルを後にした。


 自動ドアが背後で閉まると、再びあの不自然な電光色の夜が俺を包み込む。



 手元の端末に押し込められた美菜の情報――監視カメラの記録や移動経路の予測――を眺める。


 だが、その内容は、推理小説を夢中で読んでいて、犯人を断定するシーンで、突然なにも書かれていないページになっていた状態。


 すなわち、核心となる部分は空白のまま。



 歩道に立つと、頭上の無数の看板や街灯が、俺の足元にいくつもの影を作り出す。


 東から射す青い光が影を長く伸ばし、西から射す赤い光がそれを不自然な角度で折り曲げる。


 影たちはダンスパーティーをしているかのように踊り、他人の影が演じているかのような、ひどく曖昧な物になっていた。



 虚構街の冷たい空気を吸い込む。


 それは肺胞を刺すような鋭い感触だったが、俺がここで呼吸をしているというささやかな証明となり、脳にこの場所へと意識を向けさせた。



 確定的な情報はなかった。


 それでも、あいつの足跡が少しずつ新しくなってきているのは分かる。


 俺は自分の影をいくつか踏みつけながら、再度、人工の光に支配された虚構街へと足を踏み出した。


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