第2話 摩天楼に舞う紙片
何者かが、本を読んでいる。誰かがページをめくる音が聞こえる。
そこは、蝶のようにインクに染まったページが舞う奇妙な空間。
少女は、静かに本と向き合っていた。
◆
今日もまた、物語が綴られる。
賢明な人々は、紙片という物語の断片をかき集めて、偽書という一冊の本を作り上げる。そして物語の住人たちの力を借りて、何かのために戦う。
人が、それを集めるとき、物語が生まれる。
そして私は、それらを本として最高の環境で読むことができる。
この仕事に就けたのは、私にとって幸運だったのだろう。
さて、今日はどんな物語が私のところへ届くのだろう。
期待しているよ、人間君。
――某所ビル屋上――
摩天楼の頂。そこは夜を裂く咆哮と、量子情報の断末魔が交差する狂った舞台となっていた。
現実の鏡像にして、膨大な情報がついでとばかりに生んだ並行世界。
湿り気を帯びたビル風は、無貌の巨神が呼び寄せた、はた迷惑な嵐そのものだった。
だが、そのような状況でありながら、高層ビルの最上階には二人の男が殺意をたぎらせている。
どちらもバトルスーツを着ていた。
目的は黄金のデータカードである『紙片』。
最初に動いたのは、朱色のバトルスーツを纏う男。
彼が、顔面を覆う仮面の側面を指先で猛烈に叩く。
「紐解ッ!」
デバイスに走る鮮烈な電光。
網膜上で爆走するコードが、世界の一部を強制的に書き換えたかのようにも見える。――が、実際に世界を書き変えてみせた。
所有する紙片の一つが力を発動し、男の背後に歪な殺人鬼『ウレイナ』の残影が陽炎のように立ち昇って消える。
その一瞬に見えたのは、顔に映った純粋な悪意の結晶。悪意は重力を嘲笑う超常の機動をもって相手に迫る。
対するは、バトルスーツに静謐な白に青いラインを走らせる男。
「……ッ、チィッ!」
青が迎撃の槍を振るう。
激突ッ。爆鳴ッ。鼓膜を焼く金属音ッ!
衝撃に隠れるかのように、朱色の男がさらに一歩踏み込む――が、その刹那。リーチの差を埋めようと前傾したことが悪い方に転ぶ。
彼のホルダーから、黄金の輝きが零れ落ちた。
それは物によっては一億単位の価値を叩き出すデータカード――『紙片』。
瞬間、摩天楼の頂上で時間は「濃密な沈黙」へと変質する。
朱の脳内では数千万の札束が、ただのゴミとして落下していく絶望的な放物線が計算される。
青の視界では「任務対象の回収」と「目前の敵への殺意」が天秤にかけられ火花を散らしていた。
――視線が交わる。
「させねぇ!」「させるか!」
反射的に、紙片へと手を伸ばす朱。阻止せんとする青。
だが、双方の思惑は、振り下ろされた鉄塊により両断される。
「僕も混ぜてくださいよぉッ!」
虚空を切り裂いて現れたのは、漆黒のコートを翻す死神の鎌を携えた少年。
「――またお前か、未完書庫ォ!」
罵声へは、真空を切り裂く鎌の風切り音で返答する。
横一閃。
二人の男をまとめてブチ抜く、死神の慈悲なき一撃。
朱の男は、同期した殺人鬼の能力で、関節を無視したバックステップをし、大鎌の切っ先を紙一重で回避。
対する青は、スーツのラインから火花を散らしながら、空間を滑るように距離を取る。
僅か数秒。
たったそれだけで、摩天楼の縁が断ち切られ、焦げ付いたコンクリートの粉塵が「記憶の残滓」として舞い散っている。
「あっははは! お兄さんたち、お強いですねぇ! もっと、もっと、遊んで下さいよぉッ!」
戦況は混沌を極める。
未完書庫が跳躍する。青の持つ槍が光の尾を引いてその進路を遮る。朱の男が虚空を蹴って死角から殺人鬼の爪を突き立てる。
ここは物理演算の狂った空間。
彼らの動きは、もはやコマ送りの映像を無理やり繋ぎ合わせたかのようだ。
お互いの息の根を止めようと跳ねまわり、殺意のダンスを続ける。
だが、乱入者による茶番劇は、終い。
無機質な電子音が、男達の仮面から響く。
荒い呼吸が肺を焼き、視界の端では赤い警告灯が明滅している。
――残量5%。
強制的な現実への排出まで、残された時間は、何もしなければ10分――何かすれば数秒。
「クソッ」
未完書庫は、こちらが動きを止めても、そこを突こうともしない余裕すら見せている。
足りない、絶対的に欠けている。
「だったらぁ!」
朱色の男が歯を食いしばり、仮面に残された全力を叩き込む。
苛立ちに応え、新たなシステムログが爆足で流れる。
選んだのは、新たな殺人鬼の物語。
『紐解!』
空気が澱む。体のラインが不気味な緑へと変質する。
そして影が蠢き――無数の触手が、地に這い未完書庫へと殺到した。
おぞましい光沢を持つ数十条の触手。それは獲物の動きを予読するようにのたうち、未完書庫を逃さぬ檻となって四方八方から殺到する。
夜の影を突き破って出現した触手が、少年の逃げ場をコンマ単位で塗り潰していく。
だが、大鎌の一振りだった。
それだけで、羽虫でも払うかのように全てを弾き飛ばす。
「いいですよぉ! もっと、もっとぉ……っ!」
刹那、敵対していたはずの朱と青の視線が、仮面の奥で重なる。
意思は交わらずとも、考えることは同じ。
「まずはこの怪物を排除する」――言葉なき合意。
青が槍を旋回させ、青い力の嵐で触手の隙間を埋めるように突進する。
朱は深く構え、殺人鬼の柔軟な動きをバネとして刺突へと転じる。
二つの陣営、異なる物語。それが今この瞬間だけは一つの殺意へと収束した。
摩天楼の頂に吹き荒れる衝撃波。
突風が巻き上げたコンクリートの礫は、音速を超えて朱と青、二人の肌を打つ。
「あ……」
そして。―― 激しい風圧がささやかな悪戯をする。
あろうことか、宙を舞っていた黄金の『紙片』を、底の見えぬ闇――現実と虚構の狭間を流れる川へと、逃がしたのだ。
茫然とする二人。
対して、広げた黒い羽で礫を弾いた未完書庫は、人ごとのように笑っている。
「はは。これは予想外。ですが楽しかったですよ。また遊びましょうねぇ。お兄さんたち」
未完書庫はひらりと身を翻すと、崩落するビルの破片と共に空の闇へと融けて消えた。
後に残されたのは、力を使い果たし膝をつく朱と、苦い表情で虚空を睨む青。
一億の価値を付けられたかもしれない「物語の欠片」は、誰の手にも届かない深淵へ。
彼らを慰めるものは、もはや空虚な夜風の音以外に存在しなかった。
――???――
さて、あり得ないはずの場所で生まれた紙片。それを拾う者は、トラブルに愛された者だというジンクスがあるらしい。
そのような人物には、ぜひとも特別な紙片を拾って欲しいものだ。
きっと、面白い物語を綴ってくれるはずだからね。
宝落とし……今は退屈な遊戯に過ぎないが。
ふむ、そうだな。
特別な紙片を拾った、トラブルに愛された者――主人公と呼ぶべき者が参加すれば、面白くなりそうだ。
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