第8話 婚約破棄。
閉められていたカーテンが開けられて、午後の日差しが差し込んでくる。
勢いよく歯を抜いたので、飛び散った血をアルレットがおしぼりで拭いている。
当のダニエルは、すぐさま医師に止血と化膿止めとを詰め込まれているようだ。
手を握っている彼のおじいさまも、安堵している。
「さすがはアルレット嬢ですわね」
そんなことを言いながら、ぞろぞろと部屋から親戚一同らしき人達が退出しようとしたとき、涙目のダニエルが叫んだ。
「お前みたいな野蛮な女とは、婚約破棄だ!」
一同振り返ったが…
「まあ、よろしいのではないですか?アルレット嬢もよくここまでダニエルの面倒を見ておりましたし」
「あら、じゃあ、うちの息子にどうかしら?アルレット嬢なら安心よね」
お茶にしましょう、と言いながら、親戚一同がにこやかに部屋を出ていく。なぜだかご婦人方が、アルレットの後ろに立っていた僕を見て、びくっ、と驚いている。
「良かったな、アルレット!やっと自由だな」
…これは彼女の兄上。
「いやあ、アルレット、先方からの婚約解消の申し出!めでたいな。先方の証人も沢山いることだし。まあ、見舞いぐらいは贈っておくか。ところで…その方は?」
…これは彼女の父上。
僕の存在に気が付いたらしい。僕はうっかり帰りそびれて、ダニエル君の口を開ける手伝いまでした。しかも…アルレットの婚約破棄の現場にまで立ち会えた。
「私のアカデミアのフリッツ教授です。ご実家に帰られると言うので、ここまで馬車に乗せてきていただきました。」
「初めまして、フリッツ・エルンストと申します。お見知りおきを」
僕は…特上の笑顔で彼女の父上にご挨拶する。
「…ああ、それはありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたしますね」
「もちろんです!こちらこそ。」
差し出された右手を両手で包み込んで握手を交わす。
そんな会話をしていると…
「いやいやいやいや、子供の言ったことですから、皆さん!」
ダニエルのおじいさまが悪あがきをする。部屋を出て行こうとする親戚を止めようと、顔は必死だ。
「子供ですって?もう、ダニエルは18歳を超しました。立派な成人ですわ。自分の責任は自分でとる年齢。おじいさまもたいがいになさいませ。」
…これは、どうもダニエルの叔母様らしき人。振り返って、ビシッと言い切った。
しゅんとおとなしくなった彼のおじいさまとは対照的に…
「なっ…お前…僕の歯並びをどうしてくれるんだ?」
涙ながらに食い下がってくるダニエルに、アルレットが言い放った。
「まあ。ではこれを。これは婚約指輪としてダニエル様から頂いて、お支払いは私がしたものですがね。この石で、差し歯を作って差し上げますわ。」
アルレットがポケットからデカいルビーの指輪を取りだして、医師に渡している。
「それでは婚約破棄もされましたし、これでお暇いたします。」
アルレットがスカートをつまんで、綺麗なお辞儀をした。




