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姫騎士と呼ばれた公爵令嬢は、老騎士王の花嫁になりたい

作者: 風鳴

「セリーヌ・アウディア! お前の腐った性根には愛想が尽きた! よって、私ミハイル・ペンドリウムはお前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!」


 一言で語るなら、バカが馬鹿なことを言い始めたと黒髪で人形のように整った容姿のセリーヌは呆れてしまう。 持っていた扇子で口元を隠し、とりあえず目の前で無駄に美形なのに残念なことを言い出した婚約者と対峙した。

 ミハイル・ペンドリウムは金髪で絶世の美男子と言える容姿をしているが、中身があまりにお粗末と彼女は日々感じている。 それは今の状況で露見したようなものだ。 にも関わらず、側で控えるこれまた無駄に美形な子息たちは同じように、セリーヌに敵愾心を剥き出しにしている。

 そんな男たちに守られるように、一人の子女がミハイルに寄り添っていた。 鮮やかなピンク色のウェーブが掛かり、愛らしい表情をしている。 そんな彼女は涙を浮かべ、セリーヌを恐ろしいものとでも言いたげな顔で怯えていた。

 セリーヌは瞬時に、それが演技であり、腹の底ではクツクツと腹黒い笑みを浮かべている姿を幻視する。 女の勘とでも言えばいいのか、少女が庇護欲を誘うように振る舞っているのも嘘だと分かった。


「セリーヌ! お前はアンナに悪質すぎる嫌がらせをしていたようだな! そして、お前の悪行は全て把握しているぞ!」

「はっ、性根の腐った剣しか取り柄のないくせに、嫌がらせだけは一級品みたいだな!」

「しかもてめぇ、アンナが元平民だからって身分をひけらかしていたとも聞いたぞ! 公爵家の人間だからって、していいことと悪いことも分からねぇのか!」


 黙ったままでいるせいか、ミハイルの側近とばかりに控える男たちがワーワーと騒ぎ始める。 性根が腐ったと言いやがったのは歴代の騎士団長を務める侯爵家の次男、粗暴な言葉遣いをするのは伯爵家の三男だったかとセリーヌは観察した。

 他には現宰相を務める公爵家の次男、他にも平民でありながら大商会の跡取り子息が顔を連ねている。 どういう面子かと思考するも、すぐにアンナとかいう女と紐づいていることをセリーヌは察した。


「どうしたんです? 何か言ったらどうなんですか? あぁ、このような公の場では反論するだけの気概もないと?」

「それだけのことをしでかしたんだ! 泣いたって許される訳ねぇんだぞ!」


 何も話さないでいるセリーヌに、煽ろうとする宰相の馬鹿息子と、身分を理解していないだろう商会の阿呆息子が大声を張り上げる。 セリーヌは思う、このような場でやらかしているのは自分たちだとなぜ分からないのか、理解に苦しんだ。

 セリーヌたちが今いるのは、貴族平民問わず通うペンドリアム王立学園の中にあるホールで、ここには在学生が一同に集結している。 本日は隣国のファーレン帝国との同盟15周年という節目における、慰労パーティーが開かれていた。

 ミハイルのような王族、セリーヌのような高位貴族はもちろん、平民の学生もいる。 悪目立ちしまくりのミハイルたちの暴走に巻き込まれ、セリーヌは何をしているんだと呆れて物が言えなかった。 それを何やら怯えていると解釈したらしく、愚か者どもが勢いづいているのを、一人凪いだ状態で乙女は冷淡に見つめている。

 極め付けは、そんな風に責められている自分を見て、囲われている少女が黒い笑みを浮かべていた。 何が目的かはたやすく判断できるが、いつまでこの茶番に付き合わなければならないのか、セリーヌは段々と退屈に感じてしまう。


「――よって! セリーヌ・アウディア、貴様の貴族籍を剥奪し国外追放の処分にする! もしそれが嫌ならば、この場で土下座して泣いて詫びるが良い! そうすれば……!」

「んっ、ふわーぁっ……!」

「温情、として……!? お、お前! 何を欠伸しているのだ!?」

「えっ、あぁっ失礼しました。 退屈な催し物でしたので、つい」

「なっ、なぁぁぁっ!?」


 最後にミハイルが高らかに、ありもしない権限を行使しようとしている最中に、セリーヌは我慢が限界を迎えた。 扇子で前を隠してはいたが、声を出して眠気を堪えられないと態度に出してしまう。

 当然そんな行動を起こすとは思っていなかったのか、ミハイルを始めとした面々が唖然としていた。 ただすぐ正気を取り戻した大馬鹿が声を大きく聞いてきたので、嘘偽りない本音をセリーヌは告げてしまう。

 この返答を予期していなかったのか、ミハイルは顔を真っ赤にして怒りに震えていた。 他の子息たちも同様だが、子女だけは瞳を潤ませて彼らに守られている。 そんな露骨な態度が周囲の子息子女たちから冷淡な視線を向けられているとも知らずにいるのを、セリーヌは気楽だと心から蔑みたくなった。


「ところで殿下、この愉快な喜劇はまだ続きますの?」

「き、喜劇、だと!?」

「喜劇ではないのですか? では本気でそのような戯言を仰っていると?」

「あ、当たり前だ! お前との婚約は今を持って破棄に……!」

「そのような権限、王太子だからといって赦されているはずがないでしょう?」

「そんなもの、父上たちに直訴すればすぐ許可は下りる!」

「つまり、先ほどから仰られている発言は殿下ご自身の独断専行、ということでございますね? いくら王族といえど、分を弁えた態度を取らねば示しなど尽きませんよ?」


いい加減無視するのも面倒だと、セリーヌは話したくもない相手との会話をする。 これまでの経緯を喜劇と言われたのが腹立たしいのか、ミハイルは激昂しっぱなしだ。 その上、婚約破棄などという大事を、自らの判断だけで行おうとしていたというのだから手に負えないと少女はため息をつく。

 然るべき手順を踏んだ上であれば、付き合っても良かったが、そうはいかない状況にセリーヌは腹を括った。 ミハイルを初めとした阿呆共、もしくは彼らの背後も協力的なのかはいざ知らず、やられっぱなしなど彼女はいるつもりもない。

 開いていた扇子を勢いよく閉じ、姿勢を正し、鋭い眼光を愚か者共に向けた。 それだけで、ミハイルを始めとする面々は息を飲み、周囲はセリーヌの勇ましさに惚けてしまう。


「ミハイル・ペンドリアム王太子殿下、貴方は次期国王としての立場に自覚をお持ちなのですか?」

「あ、当たり前だ! 大体、俺は次の王だ! お前のような性悪との婚約など、ゴメンだ!」

「次の、ということを理解されているではないですか。今はまだ、貴方は王太子でしかないのです。 それなのに自身の感情を優先し、王家と我が家が組んだ契約を無碍になさるなど、できるはずもないでしょう?」

「う、うるさい!? そんなものはすぐにでも!」

「頭の中が空っぽなのですか? 貴方のされた事は、我がアウディア家に対して宣戦布告をしたと、そう捉えてもおかしくないのですよ?」

「せ、宣戦布告、だと!?」


 セリーヌの凛とした声がホール内に響く。 彼女こそがこの場を治める者とばかり、誰も彼もが聞き惚れた。 目の前の馬鹿連中もそうだが、ミハイルだけは醜く顔を歪めて睨んでいる。

 王としての資質を問われること、それは彼が最も嫌うものだと分かってセリーヌは言葉にした。 言葉と態度から出てくる浅慮さに、相変わらずと彼女は何度目かのため息をつきながら、彼が口にしたことへの重みを説く。

 そんなこと理解していないらしく、ミハイルはすぐに婚約破棄は成立すると信じて疑っていないようだ。 セリーヌは心底嫌になると同時に、目の前の愚物を王族として認めたくないと嫌悪感が溢れそうになる。

 流石にそれは不敬が過ぎるため口に出さないよう努力しつつ、公爵令嬢は自身の家を敵に回す愚行だと告げた。 すると何をおかしなことを言い出すんだとばかり、ミハイル他取り巻きたちは驚愕している。 少女も何を言い出しているんだと呆然としている様子が、あまりに滑稽だとセリーヌは嘲笑すら湧いてこなかった。


「当然でしょう? 我がアウディア家は建国時から続く騎士の家系。 現在は国防を担う中核たる存在です。 我らは民が安寧とした生活を過ごせるよう、日々血と泥に塗れながら努力しているのです。 そんな我らを王家が無碍に扱うものなら、弓引く覚悟だってございますよ」

「それは反逆罪というものだ! それに、たかが公爵家風情に我ら王家が屈するなどあり得ない!」

「……本当に理解されていないのですね。 呆れて物が言えませんわ」

「セリーヌ、お前……!」

「お忘れですか? この国にある五大公爵家に委ねられている、王家を弾劾できる権利が与えられていることを」


 言葉じりを強めに語るセリーヌの覇気に、ミハイル他面々は圧倒されてしまう。 それでも王家に反旗を翻すという単語を告げたことで、揚げ足取りに男どもは勢いづいた。 無様を通り越して、侮辱されている態度に少女は静かな怒りが湧く。

 セリーヌの生家であるアウディア家はこのペンドリアム王国における、五代公爵家の一角としてその名を馳せていた。 騎士家系ということもあり、代々子息子女は全て例外なく、剣技を始めとした武術を学ぶことが課せられている。 事実、セリーヌも齢16という年齢ながら、すでに部隊長の座に実力で就いていた。 少女はそのことを誇りにしており、同時に今こうしている間も国を守る盾となる人々に敬愛すら抱いている。

 ミハイルの発言はそんなセリーヌ他アウディアの人間の血の滲むような努力を嘲笑ったに等しい態度だった。 もし公爵家を王家が意図して貶めようとするなら、家族も覚悟できていると以前から話している。


「五大公爵家にはそれぞれ、過去の歴史から王籍の方々が臣籍降下し、その血が受け継がれています。 それ故、滅多なことで反旗を翻さないよう王家とも協定を結んでいる事はご存知のはずです」

「そんな昔のしきたりを持ち出してなんだ!? お前の罪とは関係ないだろう!」

「ありますよ。 身に覚えのない罪状で婚約破棄だけでなく、貴族籍を剥奪? 国外追放? そのような権利は貴方にありません。 そして今、貴方が私に対しての振る舞いは結んだ協定に違反しているのですよ」

「うるさい! 黙れ!」

「黙りませんよ。 王家に反旗を翻さないとは誓いましたが、もし王家が愚行に走ったのならば別です。 正当な理由の下であれば、公爵家には王家に対して弾劾することを認めると、王家と公爵家の面々で取り決めがなされているのです。 王子教育でも教わることですよ、まさか本気で知らないなどと仰りませんよね?」

「……っ!!」

「はぁっ、貴方の飽き性は未だに治っていないのですね」


 セリーヌの理路整然とした主張に、勢いづいていたミハイルは押されてしまう。 何も言わないでいたのは怯えていたとでも思っていたのだろうと、彼女は見ている。 少女はやりたくもなかった王子妃教育で学んだ王家と公爵家の関係について、改めて説き伏せた。

 その上で此度の喜劇において自らの潔白を主張しつつ、侮辱も大概にしろとセリーヌは遠回しに抗議する。 それをミハイルは癇癪を起こし、少女の指摘に綺麗だけが取り柄の顔を怒りで醜く歪ませていた。

 セリーヌはミハイルの浅慮の無さと飽きっぽさについて、散々と国王陛下と王妃陛下に苦言を呈してきている。 結局のところ、その進言も意味を為さなかったと知って少女は呆れて物が言えなくなってしまった。


「さっきから好き勝手に言いたい放題、言うだけ言ったところでお前の罪は確定しているんだ! いい加減に認めろ!」

「だから、何を認めろと?」

「アンナに酷いイジメをしたことだ!」

「王太子殿下」

「話を遮るな! 今は俺が!」

「そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 体を震わせ、ミハイルが大声を張り上げる姿に、セリーヌは実に醜いと声に出したくて仕方がなかった。 王族としてあるまじき態度に、周囲の反応は絶対零度の如く冷え切っているのに、彼を中心とした脳内お花畑軍団はまるで気にしていない。

 他の面々も追随しようと構えているので、少女は改めてこの話の原点ともいえる問題に言及した。 そこで語られた名について、セリーヌは心の底から誰のことを話しているのかと問う。

 瞬間、周囲の音という音がかき消えた。 断罪されているであろう令嬢が語る、イジメの被害者が誰という単語に、ミハイルもだが辺りの生徒たちですら言葉を失う。 例外として、そんなことだろうと思ったという反応を見せる令息令嬢も何人かいた。 戯言を戯言だときちんと認識している者がいることに、セリーヌは少しだけ安心する。


「な、何を言っているんだ!? この期に及んで嘘をつくな!」

「この場で嘘をついて私に何か得でも? そのアンナさんとはどこにいらっしゃるのです?」

「な、何言っているんですか!? アンナは私です!」

「そ、そうだ! 彼女がアンナだ! イジめた相手の顔を知らないとは、性悪も極まれりだな!」

「あら、貴女がそうでしたの? 初めまして」

「ふ、巫山戯るのもいい加減にしろ!」

「巫山戯るも何も、本当に今日が初対面ですが?」

「お前は学園で日常的にアンナをイジめていただろうが!」

「殿下こそ何を仰られているのです? 私、学園に籍こそありますが、基本登校するのは試験がある日だけでしたよ」

「……はっ?」


 驚愕か、あるいは呆れか信じられないものを見るような顔をするミハイルに、セリーヌは顔が愉快だなと思う。 とりあえずアンナとは誰と問えば、今まで一言も喋らずにいた、阿呆な王太子殿下の胸の中に抱かれていたピンク髪の少女が叫んだ。

 それかとセリーヌは納得と共に、あれこれ騒ぐミハイルを無視して一応の挨拶だけはしておく。 まさかこんな展開を予期していなかったため、一同を取り囲む学園関係者はざわつき、中には嘲笑する者もいた。

 だがそれも仕方のない話だ、セリーヌがイジめていたことから始まったこの騒ぎが、実は彼女が被害者とは会ったこともないと発言してしまった。 証言と事実が食い違えば不味いのはミハイルたちなので、慌ててセリーヌの罪は間違いないと断言してきた。

 そこへ、次なる爆弾となる発言を少女がしたことで、王太子他アンナという少女を取り巻く男たちの顔が唖然としてしまう。


「私はすでに騎士として自ら生計を立てるだけの地位を入学前に得ていました。 これでも部隊長を任されている身、学園にのほほんと通うなどできるわけがないので、学園と相談したのですよ。 まぁ、本来試験など受けなくてもいいのですけどね。 卒業に必要な単位は取得していましたから」

「な、な、なっ……」

「何を驚いているのです? 本来なら学園など通いたくなかったのです。 騎士としての務めに公爵家の務め、そして王子妃教育とやらねばならぬことが山ほどあったのです。 それでも学園の入学は義務でしたから、入学前に卒業レベルに等しい課題を制作し提出、合格をいただき通学せずとも良いとのご判断をいただきました」

「そ、そんなもの、どこに証拠が!」

「両陛下にもご報告しておりますよ。 貴方にも話がいっているはずですが、どうせ聞いてなどいなかったのでしょう? 疑うのなら、学園長に問い合わせてみてはいかがです?」


 王太子は愕然としながらも、証拠がないなどと根拠がないことを叫ぶ。 あまりに滑稽な姿にセリーヌは嫌気すら覚え始めた。 彼女にすればすでに報告を終えて過ごしてきた手前、自分に関心がなかった男に侮蔑の視線を送る。

 だが疑われるのは癪なので、国王・王妃両陛下もしくは学園長に問い合わせてみればいいとセリーヌは視線を向けた。 その先には立派な髭を生やし、威厳ある貫禄を見せる眼鏡の老教師がいる。 件の学園長であり、王太子が前のめりで尋ねれば、間違いないと断言されてしまった。

 王太子たちにとっては、場の雰囲気は最悪のものになったのだろうとセリーヌは察する。 元々良くなかったが、辻褄が合わない疑いとなり始めたことで、王太子の取り巻きたちも焦りを隠せなかった。 アンナという少女も、これは不味いと感じたのか何やら芝居めいた台詞を宣い始める。


「ひ、ヒドイです! 私、本当に怖かったんですよ!? それにセリーヌ様のご学友に虐められていたのですから、貴女がやれと命じたのではないですか!」

「そ、そうだ! 例えお前がいなかったとしても、やれと命じればいいだけのことだ! どうだ、これでお前がいないからとアンナを虐げたという事実は変わらないはずだ!」

「……本当にそのようなことを仰られているのですか?」

「当たり前だ! セリーヌ、分かったならさっさと自分の罪を認めろ!」


瞳をウルウルとさせ、ミハイルの胸の中でいかに自分が被害者かを演じるアンナの姿に、セリーヌは吐き気を覚えた。 その振る舞いに勝機を見出したとばかり、王太子が裏どりできていないのは明白な妄言を吐き出す始末である。

 セリーヌは心底、頭を抱えたくなった。 恐らく、学園に在籍する高位貴族の子息子女と教師たちも同じ気持ちだろう。 学園長も苦虫を噛み締めたような表情になっているのを、彼らは気づいていないとすぐ分かった。

 いつまでこんな茶番に付き合わなくてはならないのかと、少女は今すぐ帰りたくなったが、売られた喧嘩は買わなければと情けを捨てる。


「本当に頭が弱いですね、貴方は。 もう取り繕うのはやめます、相変わらずの馬鹿ですね、殿下」

「なっ!?」

「私が友人たちをけしかけて虐めた? そんなことをして私に何の利があるのです? あるわけないでしょう。 そして、学園での出来事は逐一報告が上げられていること、本当にご存知ないのです?」

「言わせておけば、えっ? ま、待て、報告が上げられているとは、何のことだ!?」

「こういうことですよ」


 扇子を閉じたセリーヌは、あまりに直接的すぎる攻撃をミハイルにお見舞いしてしまう。 それには当人もだが、一同騒然となって戦慄してしまった。 一歩間違えば不敬罪に問われてもおかしくない話だが、少女は気にした様子もない。

 物の見事にコケにされた王太子が怒りに顔を歪めて反撃しようとするが、セリーヌの言葉に無視できない表現があった。 それに気づいたことは素直に心の中で称賛を送り、少女はそっと己の背後へ手を向ける。

 そこに、つい先ほどまで誰もいなかった場所に、全身黒ずくめの人間が複数名立っていた。 誰も気づかぬまに現れた存在の登場に、誰もが息を呑む。 だがセリーヌは冷静に、彼女の背後に控える者たちが誰なのかを説明した。


「彼らは王家の影です。 そして彼らは殿下の行動を常に監視し、護衛し、両陛下へと日常的に報告していたのですよ」

「ば、バカな……! そんな話、俺は聞いていないぞ!?」

「本当に都合の悪いことは聞いていないのですね。 入学直前に陛下方から説明されていましたよ」

「なっ……」

「――はぁっ。 これだから貴方の相手は嫌なんです。 そして、彼らの監視対象は私も含まれています。 とはいえ、私は学園には常としていませんので、交代であちこち付き合っていただきましたがね、ご足労おかけいたしましたわ」


 王家の影と言われた6名の人間が常に学園の裏側で暗躍していたと言われ、ミハイルは絶句する。 つまり、学園で羽目を外した行動が全て陛下方に筒抜けだというのを突きつけられたのだ。 信じられないという表情にセリーヌは、隠そうともせずため息をつく。

 これでは苦労が報われないと少女は振り返り、日夜活躍していた影たちに頭を下げた。 それに全員が声を出さず、肌すら露出していない状況なのに問題ないと手を振っており、和やかな雰囲気を醸し出す。

 セリーヌと影たちが明らかに親密かつ、仕事上の付き合いを理解しあっているのは明白だった。 そして、彼らの登場が決定打になったのか、セリーヌとミハイルたちを取り囲んでいた面々の雰囲気が一気に変わる。

 王太子たちへの視線は厳しいものへと変わり、セリーヌには同情的な視線が向けられていた。 もはや覆せないまでに状況を掌握されながらも、ミハイルは悪あがきを続ける。


「……はははっ! 父上と母上に報告されているなら、アンナとの仲を認めてもらっているということではないか!」

「――えっ?」

「何を驚く、そうであればこれまでの行動へのお咎めがないのが証拠だ! アンナ、これで君を私の婚約者に無事迎えられそうだよ!」

「ミハイル様! 嬉しいです! でも、セリーヌ様に悪いです、私のような身分の低い方にとって変わられたなど……」

「相変わらずアンナは優しいな! そうだな、よし! セリーヌ! お前が愛してやまない私が慈悲を与えてやろう! 惻妃としてならばお前を迎えてやっても構わんぞ!」


 笑い出し、あまりに自分の都合がいい展開へと持っていこうとするミハイルに、セリーヌは力の抜けた声を出してしまう。 だがそれは彼女の背後に控えていた影たちや、生徒たちや教師たちにも同じだった。

 自分たちの番だと、ミハイルとアンナは抱きしめ合いながら、完全に自分たちの世界へと入り込む。 周囲の取り巻きたちも二人の幸せを願っているように振る舞うが、目が笑っていなかった。 どうやら他の男たちとも関係を結んでいるのだとすぐにセリーヌは勘づいたが、そんなことはどうでもいい。

 今、ミハイルがとんでもない勘違いをした発言をしたことの方が、彼女にとって重要だった。


「あの、殿下」

「どうした? 今頃俺の正妃の立場が惜しくなったと言いたくなったのか?」

「いえ、そんなのは全然いらないんですけど」

「なっ!? お前は、本当に口が減らない奴だな!」

「それよりも、殿下」

「な、何だ……?」

「誰が、誰のことを愛していると、仰られたのか、もう一度言っていただけますか?」


 思わず手を挙げてしまうセリーヌは、神妙な顔つきでミハイルに尋ねる。 その様子に先ほどとは打って変わり、邪悪ともいうべき笑みを王太子は浮かべていた。 ちなみに胸の中で泣いている振りをしていたアバズレもである。 取り巻き達もようやく自分の立場を理解したかと笑っているが、少女にしたら全て些末だった。

 勘違いを訂正して激怒しようとする王子を、語気を強めて黙らせ、改めて問いかける。 セリーヌの気迫に圧されたのか、ミハイルがおずおずと答えた。


「お、お前が、俺を愛してやまない、だ! そうだろう、お前は自分から望んで俺の婚約者になったのだからな!」

「……ふふっ」

「何が可笑しい! 笑うところではないぞ!」

「ふふっ、うふふっ――、あはははははははははははっ!!」

「なっ……」

「あっはははははっ! あ〜、可笑しい。 こんなに笑ったのは久しぶりですね。 殿下ったら、いつからそんなご冗談を仰られるだけの感性をお持ちになられたのですか?」

「な、何だと!?」

「そうですよ。 だって私、貴方のことなんて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……はっ?」


 揺るぎない事実と信じて疑わない王太子の発言に、セリーヌは顔を俯かせ、肩を震わせた直後、盛大に笑い声をあげる。 ホール内に響き渡る少女の声に、ミハイルたちはもちろん、全員が何事かと驚きを隠せなかった。 ごく一部の例外を除いてだが。

 一頻り笑った後で、セリーヌはすっきりした表情を浮かべ、面と向かって王太子をこき下ろした。 不遜な態度に正気を失ったのかと思った王子だったが、次の発言には思わず声が溢れてしまう。 そんなミハイルを捨て置いて、セリーヌの語りは続いた。


「そもそも、私と貴方の婚約は王家がどうしてもと頼んできたことが発端です。 まぁそれも、最初は断固として断りましたが」

「こ、この期に及んでそんな嘘が通じるとでも思っているのか!?」

「嘘も何も、最初に顔合わせをした時からお茶会すらしたことがないではありませんか、私達は」

「あっ……」

「しまいには陛下に頭を下げられてしまったので、面倒になって貴方との婚約を承諾したんですよ。 いくつかの条件を取り付けた上で」

「条件、だと?」

「ええっ、その中で最も大きいのは、殿下と私は白い結婚を前提とするものです」

「なっ、なっ、なっ……」

「呆れた、本当に何も知らないのですね。 あぁっ、それともこれが両陛下の狙いだったのかもしれませんね。 馬鹿馬鹿しい、誰が好き好んで貴方みたいな人を愛するのですか? あっいましたね、そこに」


 セリーヌの語りにミハイルはもちろんだが、生徒と教師陣からも困惑の二文字が顔に表れている。 だが一部の、事前に通達されていたらしい者たちも何人かおり、その中には少女の友人達も含まれていた。

 それもそうだ、その少女達にもセリーヌのいくつか提示した条件に関わりがある。 それすら把握していない王太子殿下の姿に、少女の中にある騎士としての血が騒いだ。 騒動後には親を巻き込んで、王家に対して厳重抗議しなければと考えつつ、呆然とする取り巻き達とアバズレ少女、そしてミハイルを睨みつける。


「ろくに交流もしていないのに、私が貴方に恋しているだなんてよく自惚れていましたわね。 お気楽な方ですこと」

「それならば何故婚約をしたのだ!? 嫌だというのならば最初から断る姿勢を貫けばいいだけだろうが!」

「貫きましたよ。 ですが、陛下たちはアウディアの血をどうしても王家に取り込みたかったのでしょうね。 その中でご子息であらせられる貴方と婚姻できる私に白羽の矢が立てられた、それだけのことです」

「だ、だがそれはお前にとっても不名誉だろうが! 白い結婚だと!? ならば嫡子はどうする気だったのだ!」

「えぇ、ですので侯爵家以上のご令嬢方にも声をかけたのです。 とりあえず正妃となりますので、殿下と睦み合って子を成したら立場をお譲りいたしますと、お願いして回りましたわ」

「お前は、何を言っているんだ……?」

「正気を失っているかのような発言はやめていただきます? いいではないですか、婚約者を持ちながらも堂々と、愛妾を持って構わないとしたのです。 そしてその方との間にお子が宿れば立場を変わってもらおうとした、ただそれだけのことですよ」


 セリーヌの令嬢らしからぬ言葉の数々に、ミハイルは完全に勢いを削がれてしまった。 それも仕方のない話だが、少女にすれば事前に打ち合わせた通りに今まで過ごしてきただけに、驚くことはない。 当然だが、この提案をした当時は王家もだが、アウディアでもかなり揉めた。

 貴族令嬢として瑕疵がつけば次の婚姻に支障をきたす、それは至極一般的な貴族の常識である。 しかしセリーヌはそれで構わないと、幼少の頃からある一途な想いを貫き通してきた。

 目の前にいる、下半身が緩すぎる動物のように遊び回る余裕は、彼女は持とうと思わず今を生きている。 それは正妃になるという、本来であれば令嬢の誰もが憧れる高位な立場すらどうでもよかったのだ。


「でもその様子ですと、どうやら彼女達も貴方との子は為したくないと思ってしまわれたのでしょうね、そんなどこの馬の骨とも分からぬ猿に籠絡されているのですから」

「……っっ!!」

「ちなみにこの話は、侯爵家以上の家々には伝達済です。 当主候補に連なる者たちならば、周知の事実なのですよ」

「なっ!? そ、そんな馬鹿な! 私はそんな話など知らない――!」

「あら、そうなのですか? でしたら貴方はすでに当主候補から外された、ということなのでしょうね。 火遊びが過ぎましたわね」

「嘘だ! 父上が私を見捨てるなど、ありえない!?」

「あぁ、そういえば昨日に宰相閣下が我が家を訪ねてきましたね。 愚息が迷惑をかけることになるだろうと、頭を下げられていましたよ」

「えっ……、それは、つまり、まさか……」

「……驚いた。 誰にも気づかれずにこの喜劇の準備を進められていたと、本気で思っていらしたのですね。 まぁ王家の影である方々の手腕によるものでしょうから、私はどうでもいいのですけど」


 扇子をミハイルに向けて、セリーヌは頼んでいた結果が実っていないことを察する。 ミハイルはセリーヌの発言から、アンナ以外の女生徒と過ごすことはあっても、その全てが下位貴族の少女しかいないことに気付かされた。

 高貴なる身分の自分を侮られたと憤りを隠せない王太子を捨て置き、セリーヌが続けて発言すると宰相の次男が叫ぶ。 王太子の婚約者が課した婚約事情を知らないとするが、同時にそれは彼が家に見捨てられたかもしれない可能性を浮かび上がらせてしまった。

 そこへ悪気なくトドメを刺すように、セリーヌの言葉に公爵家の次男は地面に膝をついてしまう。 だがそれは、他の取り巻きたちも例外ではなかった。 しかも大商会とはいえ、平民が公爵家の令嬢に対しての無礼が知れ渡ったとなれば、商会どころか自分を含めた家族の命すら風前の灯である。 この時になってようやく、ミハイルとアンナを除く面々がとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと、気づいたのだった。


「あなた方の行いは自業自得ですので、それはいいでしょう。 それで殿下、その胸に抱えるお猿さん以外で、貴方と関係を深めたご令嬢はいらっしゃいますの?」

「……るさい」

「あら、なんですの?」

「うるさい、うるさいうるさい煩い!!!! お前は、お前は昔からそうだ! いつも俺を嘲笑う! 俺の、俺が誇りにしたかった……っ!!」

「――あぁ、やはりそこへ行き着くのですか。 まだ根に持っていらしたのですね、私が貴方に剣で勝ったことを」


 絶望に陥る愚か者共に慰めは不要と、そう遠回しにセリーヌは告げる。 侮辱されたと公爵家の次男は勢いよく顔を上げるが、それよりも冷たく刺さる周囲の視線が痛かった。 他の者も同じで、辺りを見渡していかに自分たちが滑稽だったのかを痛感しているのだろう。

 さして興味も関心もないので、セリーヌはミハイルに関係を持った高位の令嬢がいるか尋ねると、王太子の体が震えた。 何かを呟き始め、しまいには癇癪を起こした子供のように喚き始める。 成人間近の男が取る行動とは思えない稚拙さに、セリーヌは呆れもあったが、途中で言い淀んだ言葉の先を読み取れた。

 確かに交流はなかったが、幼少期の頃はミハイルのことはさして好きでもなければ嫌いでもなく、関心がないわけではなかった。 いずれ国を統べる者であれば敬い、支えるのが臣下の務めであると少女は父を始めとした家族に厳しく指導されてきている。 それでも今のミハイルの、憎悪しているような表情の中に隠れた劣等感の正体が、アウディアが誇りとする剣の道だったのだ。

 そう、確かにセリーヌは一度ミハイルと手合わせをしたことがある。 結果は圧勝で、王子殿下であろうと手加減することなく、セリーヌは勝ってしまった。 それ以降、ミハイルから避けられるようになったり、会うたびに睨まれたりもしたが、彼女としてはこれっぽっちも気にしたことがない。


「あんな幼少期の出来事をいつまでも引きずっていたのですね。 女々しいことです」

「黙れ! 女のくせに剣なんか振るいやがって! お前のせいで俺がどれほど惨めな気持ちにさせられたか! 部隊長だ? どうせそれも裏から手を回しコネで――っっ!?!?」


 子供の時分からの出来事を根に持つミハイルの幼さに、セリーヌはついに頭を抱えてしまった。 今となってはその態度すら、自分を嘲笑っているとしか解釈できないのか、王太子は叫ぶ。

 胸の中のアンナすらついていけず、むしろ引いているようにすら顔に出す中で、王子の口から騎士としての矜恃を持つ少女の逆鱗を撫でる言葉を放とうとした。

 刹那、令嬢としての側面を脱ぎ捨て、ミハイルとの間を一瞬で埋めたセリーヌの扇子が、男の喉元に突き立てられる。 誰も反応できず、目視することができたのは王家の影だけだ。 彼らが小声で『相変わらず、素晴らしい身のこなしだ……』と、恍惚とした声をあげてさえいる。

 ミハイルの前に立つセリーヌの表情は少女のものではなく、一介の騎士とでもいうべき風格を醸し出していた。 それは側にいる騎士団長の息子が、手を強く握りしめ、自分よりも強い彼女に対して嫉妬をむき出しにしてしまうほどである。


「反応すらできないではないですか。 それで、これでもまだそのように侮辱なさるのですか?」

「き、貴様、これは不敬罪だぞ!?」

「ご心配には及びません。 すでにこの喜劇の開催前に、両陛下から許可はいただいておりますわ。 殺生さえしなければ、何をしても赦すと」

「――そ、そんな、それでは父上と母上は……」


 扇子を突き出すセリーヌは、口だけは達者のミハイルを睨みつける。 それに呼応するように、王太子に向かってと王子が口にするのを、すぐに彼女は黙らせた。

 一連の行いが王族に対して不敬であることなど、セリーヌは百も承知の上でしていた。 だからこそ、此度の喜劇が行われる前に両陛下への対応を伺っていたのである。 そこで得た、血を見るようなことがなければ一切を不問にすると、約束を取り付けてあった。

 それらを伝えれば、ミハイルは毒気を抜かれたように父母から見限られたのだと、理解してしまう。 先ほどまで溢れていた激情も潜み、膝から地面に崩れ落ちた。 その隣に立ったままのアンナなる少女のことなど、最早見えていないように意気消沈する姿に、少女はやっと終わったと息を漏らす。

 興味を無くし、足を翻してその場を立ち去ろうとしたのだが、終わりはまだ来ないことを思い知らされた。


「……によ、これ」

「? 何か仰いましたか?」

「何よこれ、何よこれ! こんなのおかしいじゃない! どうなってんのよ!?」


 ボソリと池の底から這うように出てくる声に、セリーヌは怪訝そうにする。 振り向きたくないが、聞いてしまった以上は無視もできずに顔を向けると、アンナが体を震わせていた。

 直後、淑女の端くれとは思えないような大声を上げ、ヒールを履いた靴で地団駄を踏む。 曲がりなりにも令嬢のはずなのに、あまりに品のない行いにセリーヌもだが、周囲の生徒・教師たちすら唖然とした。 それが本性かと呆れている者もいるが、ミハイル他取り巻きである男たちはアンナの振る舞いに何が起きているのか、状況を飲み込めないようでいる。


「セリーヌ・アウディア! アンタ、どうしてシナリオと違う行動ばっかりしてんのよ!? やっぱり、アンタも転生者なんでしょ!?」

「……? 突然なんです? 貴方、そういう病気でもお持ちなのですか?」

「うるさいうるさい! もう少しで、あと少しでハーレムエンドだったのに! お前のせいで全部が水の泡じゃねぇか!!」

「あ、アンナ? 一体どうし――」

「うるっさい! 触んじゃねぇよ、この役立たず!」

「醜いですわね。 それが本性ですか。 殿下、貴方が語った真実の愛の相手の姿は、随分と滑稽ですね。 喜劇の見せ場としては最高かもしれませんが」


 見た目だけなら可憐で、愛らしい表情の少女だが、アンナは相貌を憎悪で歪ませている。 見るに耐えないように、セリーヌは扇子を広げて顔の半分を隠し、愕然とする王太子を見下ろした。 当のミハイルはアンナの様子に手を伸ばすも、それを払い退けられ、明確に拒絶されてしまう。

 おまけに使えないとはっきり明言され、ミハイルもだが、他の令息たちもアンナの本性を見て言葉を失ってしまった。 そんな最悪の雰囲気なのに、騒ぎの中心となった少女はセリーヌへと指を差す。


「ちゃんとゲーム通りに動けよ! ここは私が幸せになるための世界なんだよ! 悪役令嬢のお前なんか、この後は無様に醜く、野垂れ死ぬしかねぇんだから!」

「あ、アンナ……?」

「何でよ!? 何でこんなことになったのよ!? お前が! お前が碌に動かねぇせいで、発生するはずのイベントも全然起きねぇし! お前のせいでめちゃくちゃじゃねぇか!」

「――はぁっ。 貴方っご自分の発言に責任を持って発しているのでしょうね? それから、一体何を学んできたのですか? 学園に瑕疵を付けるおつもりですか?」

「うるさい! お前が全部悪いんだよ! お前が、お前がぁぁぁぁ!!」

「……初対面ですが、何と下品な。 これは本格的に王家とも付き合いを考えなくてはなりませんね」


 令嬢とは思えない罵詈雑言に、周囲の生徒たちは蔑みの視線を送っている。 一部の生徒がアンナの醜さに体調不良を訴える者が出たのか、セリーヌの耳にも騒ぎが聞こえてきた。 当の彼女も今すぐ帰りたいのだが、どうやらそうもいかないようだと腹を括る。

 暴れるアンナの姿に王太子たちは信じられないといった表情をして、癇癪を起こす少女はひたすらにお前のせいだと喚き散らしてくる始末だ。 話すのも億劫だと感じながら、セリーヌは冷静に務めながら人の形をした何かに立ち向かう。


「どうやら王太子を籠絡できたことで、慢心していたようですが、少しばかりおざなりな計画だったようですわね」

「うるっさいって言ってんだよ!? お前のせいだろうが、全部!」

「私のせいと仰られても困るのですが。 ただ貴方が現実を見ていないだけだったのでしょう?」

「おかしいんだよ!? 何でお前、そんな態度なんだよ! 婚約者を取られた負け犬の分際で! 女として魅力がないと言われた行き遅れのくせに! ここは泣き喚いて許しを乞うところだろうが!」

「それが貴方の描いた筋書きでしたか。 万に一つの可能性もありはしない展開ですわね」

「おかしい、こんなのおかしい! てめぇはミハイル様に愛されたくて仕方がない、何もできねぇモブだろうが! 何で、何で私の邪魔ばっかりするんだよぉぉ!」

「私が? その王太子に? 私の愛は、すでにある方に生涯を捧げるという意味で、もう持っていますもの。 婚約を結ぶよりずっと前に」

「……はっ?」


 話の通じない獣のように喚くアンナは、唾をまき散らしながら罵り続けている。 それらが飛び散ってこないギリギリの距離を維持しつつ、セリーヌは毅然とした態度を取り続けた。 騎士として活動していることもあり、やや逸脱しすぎてはいるが、揉め事への対処も彼女は経験している。

 やたら妄想が過ぎる展開に対して切り捨てていくも、他責思考をむき出しにして騒ぐ少女に、セリーヌは頭痛すら覚えた。 それでも、彼女の聞き捨てならない発言には、少女は黙ってなどいられない。

 扇子を閉じ、セリーヌはすでに愛を覚え、それを捧げる相手は決まっていると明言した。 それにはアンナもだが、ミハイルたち少女の取り巻き、周囲の生徒や教師たちまでも唖然とさせる。 その反応に言いたいことはあるものの、セリーヌは気にしないよう振る舞った。

 唯一、やっぱりかと言った態度を見せている王家の影たちのことも一旦捨て置き、アンナに対して少女は視線を真っ直ぐに向けて語る。


「婚約を結ぶ以前より、私はとある御方を愛しています。 ですが、実ることはないと思っていたので、時期を見て国を出て、その方がいらっしゃる国へお仕えしようと動いていたのですよ」

「……何よそれ、そんなの、そんなの知らないわよ!?」

「それはそうでしょう。 陛下方と私の身内しか知らない話ですもの。 だから正直、貴方が殿下と結ばれたとしても、私は何の興味もないんですよ。 ゆくゆくは騎士として、その方の元で生涯を遂げようと考えていたのですから」

「せ、セリーヌ……」

「王太子殿下。 だからこの人擬きを愛するのはどうぞご自由に。 尤も、王家に迎えられるだけの品格はないでしょうから、王籍を抜けた上で結ばれる方が良いでしょう。 その辺りはご自分できちんと考えてくださいまし」

「……巫山戯るなよ。 巫山戯んなぁ! だからどうしてシナリオを無視すんだよ!? お前も転生者なんだろう!? どこの誰だよ! いい加減にしろよぉ!」

「いい加減にするのは貴方でしょう。 私の愛は、あの方のものです。 これ以上、それを侮辱するというのなら、容赦いたしませんわよ……!」


 曇りなき眼で語るセリーヌの気迫に、誰もが呑まれ静かになる。 一人暴れるアンナですら、抗いがたい雰囲気に気圧されるも、必死に抵抗する意思を見せていた。 故に、少女は目の前の暴走女が描くというシナリオなるものを、真っ向から否定する。 同時に、王太子に向けて最後の手向けとも言うべき言葉を添えた。

 ここまで言っても止まらないアンナの様子に、セリーヌも我慢の限界が近づいている。 手の中で握りしめていた扇子が悲鳴を上げ、怒りの覇気を放ち始めた。 様子が変化していくのを王家の影たちがいち早く察知したのか、背後で抑えようと動いているが、それもどうでも良い。

 自らの愛を否定し、自分の思う通りに動けと言わんばかりの傲慢さに、セリーヌは叩き潰そうと動こうとした。


「そこまでだ。 いい加減、見苦しい催し物を見せるでないわ」


 荒立つ波が今、津波となりかけたとき、会場内に響き渡るほどの重厚な声が上がる。 それに誰もが驚く中で、セリーヌはここにいないはずの人の声に意識が持っていかれた。 だが間違いなく今の声は、そんな思いで勢いよく後ろへと振り返ると、そこにいたのは白銀の髪を靡かせる、巨漢の壮年男性が立っていた。 マントを翻し、顎髭を蓄え、左目を眼帯で隠す隻眼の男の存在感は全てを呑み込む。

 しかしそれも一瞬の内だけ、生徒の一人が呆然としつつもその男が誰かを見定めると、最上礼を取り、それは全ての生徒と教師へ波及した。 ただ一人、突然の登場に驚きを通り越して、混乱しているセリーヌはただただ目の前の存在を見つめる。

 その視線を柔らかく受け止めるように、隻眼の男は薄らと笑みを浮かべ話しかけてきた。


「久しいな、アウディア嬢。 しばらく見ぬ間に、随分と見違えたものだ」

「……はっ。 し、失礼いたしました! レオディヌス陛下におかれましては、御機嫌麗しゅう」

「良い、堅苦しい挨拶はせんで。 お主も災難であったな、こんな阿呆らしい喜劇に付き合わされて」

「恐れ入ります。 誠に申し訳ございません、このような見苦しい場面をお見せしてしまって」

「被害者である嬢が謝る必要はない。 謝罪すべきは、そこにいる戯けどもだ」


 悠然とした壮年の男に話しかけられ、ようやく正気を取り戻したセリーヌはカーテシーをして挨拶する。 彼女の側にいた王家の影も膝を付き、礼をする態度を示しているが、少女はそこまで気が回せなかった。 何故ここにいるのかと、その考えだけがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 そんなセリーヌの混乱など他所に、レオディヌスと呼んだ男からかしこまらなくていいとの許しを得た。 同時に労ってくれたので、少女の胸はこの世の春かとばかり心躍りそうなのを、鉄仮面を被って内心だけに留める。

 同時に、正面で未だ呆然と地面から見上げるだけの王太子と、その隣で憎々しげに睨んでいるアンナの態度はいただけなかった。 だがレオディヌスを前に不敬な態度は取れないでいると、男の方が先に動いてしまう。


「久しいな、ミハイル王子。 それで、いつまで腰を抜かしたままでいるのだ?」

「ひっ……!?」

「しかしまぁ、火遊びが過ぎたようだな。 そこな女狐ごときに籠絡されるとは、ペンドリアム王家も随分と見下げ果てたものよ」

「だ、誰よ、アンタ! 部外者がいきなり出てくるんじゃないわよ!」

「誰が口を開いていいとの許しを出した。 その不愉快な口を閉じろ、小娘」

「何を、ぶぎゃっ!?」

「アンナ!? アン、がはっ!?!?」


 レオディヌスの相手を見下ろようで、動こうとしないミハイルへの警告が飛ぶ。 その圧に耐えきれず小さく悲鳴を漏らす王太子の横で、アンナが許可もなく騒ぎ出した。 なんて不敬な、そうセリーヌが黙らせようとするよりも早く、老王が手をかざすと暴れ馬は無様な悲鳴と共に地面と仲良くキスをする。

 さらに、周囲にいた取り巻きたちも拘束され、地面に寝かせられる。 拘束したのは影であるが、ペンドリアム王家に仕えるのではなく、レオディヌスに臣従している者たちだ。

 他国の影に出番を奪われてしまったが、王家の影たちは影たちでミハイルの側で彼が暴れないよう周囲を取り囲んでいる。 思い切り叩きつけられてもなお、アンナは喚き散らしている姿に、セリーヌは本気で頭を抱えたくなった。

 とはいえ、今気にすべきことはそこではないと気持ちを切り替え、いつの間にか隣にいるレオディヌスへと視線を向ける。 すると、目の動きをいち早く察知、あるいは予見していたのか、老王が軽く首を縦に振るのを見て少女は話しかけた。


「陛下、いつこちらへ? 到着は明日ごろになるものとばかり」

「当初はな。 だが、そこにいる阿呆共が何やら不遜な企みをしているという情報が飛んできての。 お主を断罪するだのと言うものだから、面白そうだったので見物していたのだ」

「そのような酔狂なことをされていたのですか? いらしているのでしたら、このような無様な催しなどお見せしませんでしたのに……」

「そうでもなかったぞ。 ペンドリアムの次期王位に就くと言われている者の王位を見定めるいい機会だと思ってな。 忍び込む故に、そこな学園長にはいくらか都合してもらってな」


 おずおずとかしこまった態度でセリーヌはレオディヌスに尋ねる。 そもそも彼がここにいるはずがないのだ。 あくまで今日行われているのは前夜祭のようなもので、肝心に記念祝祭は明後日からが本番である。 それ故に、同盟国の君主はまだ到着していないはずだった。

 するとレオディヌスは悪戯が無事成功したとばかり、カラカラと笑いながら最初から見ていたと言い放つ。 その言葉に、今までのやりとりを見られていたと知り、セリーヌは顔を赤くした。 いると知っていればもっと絢爛に、優雅に打ちのめしたのにと後悔に苛まれながら見ると、レオディヌスが学園長に手を振っている。 対する学園長は恐縮ですとばかり頭を下げていた。


「しかし嬢、いやっセリーヌ。 まこと、綺麗になったな。 若き頃の嬢の母にそっくりだ」

「お、お戯れを……! 母と比べれば、まだまだです……」

「いやいや、あの足捌きは中々のものであった! 本当に、美しくなりおって」

「へ、陛下、あの、お顔が近いです……」

「……父上、あまりアウディア嬢で遊ばないでください」

「何だ、カイレル。 もしや嫉妬か? いくらセリーヌの前だからといって、露骨な主張は感心せぬぞ」

「そ、そういうことではございません!? いや、私のことはどうでもいいのです!?」


 レオディヌスがまじまじと見つめてくる状況に、セリーヌは顔に熱が灯るのを抑えられない。 思えばいつぶりかに見るその姿は、少女が知るときよりも年相応に老いも多少見られるが、それすら素晴らしいとすら思えてしまった。

 若き頃より戦場を駆け抜け、ペンドリアムだけでなく、他周辺諸国にまで武で名を馳せた王であり、その肉体は非常に大柄で男らしさに溢れている。 身惚れていたいのに、セリーヌの顔をじっと至近距離で見つめてくるので、彼女は段々としどろもどろになっていった。

 先ほどまでミハイルたちに見せていた騎士然とした少女はどこへやら、周囲が騒がしくなる中で、レオディヌスの横から忠言が飛んでくる。 それに反応してレオディヌスの逞しい顔が離れたのは良いが、離れてほしくないともセリーヌは思ってしまった。

 そんな彼女は、いつの間にかそこにいたレオディヌスを若返らせれば似ているかなと、感じるくらいの青年と目が合う。


「お久しぶりです、セリーヌ嬢。 ご息災であられて何よりです」

「ご無沙汰しております、カイレル・ファーレン殿下。 本日は陛下の随行で?」

「えぇっ、あとは君のこの騒ぎが気になったので、無理を言って父上に同行させていただきました。 昔会ったきりでしたが、本当にお綺麗になられましたね」

「ありがとうございます。 殿下もそろそろ立太子される時期ではないのですか?」

「あぁ、そのことなんだが……」

「……カイレル? まさか、カイレル・ファーレン様!? 嘘、何で!? 続編に出てくるキャラじゃん! 私のイチオシ! ちょっと、離しなさいよ!? カイレル様のご尊顔が見られないじゃないのよ!!」

「――カイレル、知り合いだったのか?」

「陛下、冗談でもやめてください。 このような不遜な者、私は知りませぬ」

「だろうな。 うるさいから黙らせろ」


 セリーヌに対し、紳士然とした挨拶で優雅に頭を下げる、本物の王子がそこにいた。 見る者によっては見惚れる美少年に対し、少女は令嬢の仮面を身につけた上で対応をする。 レオディヌスと比べると、どこか他人行儀な態度に見えるだろうが、これくらいでちょうど良いだろうと少女は考えた。

 するとカイレルが少し、いやっかなり悲しそうな表情になるも、すぐに取り繕って会話を続けようとする。 正直なところ、王子よりも隣でニタニタと息子とのやりとりを眺める陛下と話したいセリーヌだったが、突如として足下から下品な叫びが轟いた。

 これにはセリーヌもだが、レオディヌスとカイレルも驚いて振り向き、見下ろす。 レオディヌスたちの護衛に拘束され、動くこともままならないアンナがジタバタと暴れ出したのだ。 さらにカイレルにまで魔の手を伸ばそうとする様に、セリーヌは気持ち悪いと心底から軽蔑する。

 当然だが、心当たりがないカイレルは父の問いに即座に否定すると、レオディヌスはすかさず指示を出した。 するとどこからか取り出した縄で縛り、さらに目と口を塞ぎ、耳栓もして情報を完全に閉ざす。

 だがそれでも諦めないのか、ぴょんぴょんと動き、じっとしようとしない無礼者は猿轡されながらも呻き続けた。 これにはミハイルたちもドン引き、自分たちが愛した少女はどこへ行ってしまったのかと、絶望している。


「本当、あのような令嬢が我が国にいたとは。 レオディヌス陛下、カイレル殿下、お二人にはお見苦しいところをお見せしてしまい、本当に申し訳ございません」

「セリーヌのせいではない。 夢見が過ぎた阿呆共が暴走した結果だ」

「そうですよ。 それに、ミハイル殿下たちと真正面から立ち向かった貴方の姿は、とても勇ましく、そして可憐でもありました……」

「そうだな。 戦場に咲く大輪の薔薇と呼ぶにふさわしき振る舞いであったぞ」

「まぁ! 陛下にそのように言っていただけるなんて……! 私、幸せです!」

「……父上」

「儂のせいではないと思うぞ。 さて、そろそろ本題に入るとしようか」


 隣国の王族に野蛮な見せ物を披露したと頭を抱えたくなるセリーヌは、とりあえず謝罪をする。 自分が謝っても仕方がない部分はあるのだが、それはレオディヌスたちも重々承知だった。 後ほどペンドリアム王家を交えた話し合いにて、ファーレンに対して何かしらの対応が求められるのは必須と言える。

 その点は仕方ないと思っていた少女を前に、あまり似ていない親子からここからが本題だと告げた。 何事かとセリーヌが顔を上げると、レオディヌスからこう問われる。


「セリーヌよ、お主はこれからどうする気なのだ? 婚約破棄、いやっ王家有責による解消が有力かな? その後の婚約に当てはあるのか?」

「恐れながら申し上げますと、ないかと存じ上げます。 ですが、それはそれで良いと私は考えております」

「ほぉ、それはなぜか?」

「このような場での請願をお許しください。 陛下、私はできましたら御身の下で騎士として、貴方様に忠誠を誓いたいという所存でございます」

「ほぉ? アウディアの人間が我が国の騎士になると? それは非常に歓迎すべき案であるな」


 今後の進退についてレオディヌスから問われるなど、セリーヌは正直予期していなかった。 一番伝えたいことはあるにはあるが、不敬と取られても困るので当初の目的通りに動こうと発言する。

 瞬間、周囲の生徒や教師たちが息を呑んで見守っているのを少女は理解していた。 アウディアの直系であり、実力主義を掲げる家柄もあって、セリーヌは当主になれるだけの素質を秘めている。 しかし上の兄弟たちも優秀なのでそこまで固執することはなく、興味はある程度だった。

 そんな少女の発言は、言うなればペンドリアムに未練はないと告げているも同義となる。 ミハイルたちは気づいていなかったが、アウディアの不興を買うことの恐ろしさは、実際には誰もが痛いほど身に染みていたようだ。

 そしてセリーヌの出奔を強く促す形になった王太子たちの所業と、それに賛同しなかった生徒たちは青ざめているかもしれない。 だが気にすることなく、少女は目の前の老王だけを見つめていた。


「だが、嬢の才覚を騎士で終わらせるのは惜しい。 そこでだが、我が息子と婚約を結んではどうかな?」

「――セリーヌ嬢、私の気持ちはずっと変わりません。 貴女をお慕いするこの想いは……!」

「あっ、そういうのは結構です、殿下」

「最後まで言わせてくれないか!?」

「イヤですよ。 何で私より弱い方の元へわざわざ嫁がねばならないのですか? それは昨年にもそうお伝えしているはずですが?」

「あれは……! い、いやっ、おほん……。 そうだな、セリーヌ嬢の腕には完膚なきまでに負かされたのだ、今さらどう言ったところで覆るものではない、な……」


 顎髭を撫で、惜しむらく語るレオディヌスの表情に、セリーヌは相変わらず美しく逞しいと、思わず見惚れてしまう。 しかし直後に、隣の自身と変わらぬ背丈のカイレルから、愛を囁かれそうになるのを、少女は問答無用でバッサリ切り捨てた。

 王族に無礼と捉える者もいるが、それ以上にやらかしているせいもあり、セリーヌは気にしていない。 彼女の発言通り、カイレルとは友人関係ではあるものの、ミハイルとの婚約成立後も、度々考えてもらえないかと打診されていた。

 締結後にも関わらず、婚約した令嬢相手にと当時は思っていたが、ここに来て此度の婚約事情をファーレン側でも把握していたのだろうと、セリーヌは察する。 それならばカイレルが何度となく逢瀬を求めてきたことにも、理解できた。

 最初こそのらりくらり躱してきたが、昨年ついに面倒となり、剣で勝負して負ければ考えても良い、そう手紙で伝えたのだ。


「ですが殿下も、随分とお強くなられましたよ。 お父上の域までにはまだまだのようですが」

「私を父上と比較しないでくれ……。 これでも努力しているが、剣だけは絶対に敵わない」

「情けないことを言うでないわ。 しごきが足りぬようなら、帰ってからいくらでも相手になるぞ」

「結構です! そも、こう面と向かって改めての失恋をする私の身にもなってください!?」


 結果については言わずもがな、セリーヌが圧勝している。 だがミハイルと手合わせした時と違い、本気の勝負でカイレルを負かしたのだ。 本人たちはこう語るが、カイレルの腕前はファーレンでも名を響かせるほどの剣技と言われている。 確かに父王と比べれば見劣りするが、それでもペンドリアムで騎士を目指す者ですら、その勇名は届いていた。

 そんな王子を正面から負かしたというセリーヌに注目が集まるが、少女はまるで気にしていない。 扇子を広げ、親子であぁだこうだと言い合う姿を微笑ましそうに見つめていた。


「そうか。 カイレルの婚約者にはならない、それがそなたの答えか」

「えぇ。 不敬ではありますが、我が道は――」

「待て待て、まだ話は終わっておらんぞ」

「えっ」

「あ〜っ、何だ……。 セリーヌよ、お主の気持ちは未だ、揺らいでおらんのだな?」

「そ、それは、どのような意味で……」

「はっきり言わねばならんか? セリーヌよ、儂の妻になる気持ち、変わってはおらぬか?」


 レオディヌスの残念そうでいるのに、どこか諦めたと取れる声色にセリーヌは気になる。 それでもこの思いだけは変わらないと告げようとしたところで、大男が先走るなと止められた。 どうしたものかと顔を見上げると、老王の視線がまっすぐ少女に向けられる。

 そして、問われるセリーヌは自身の胸が一際躍動するのを感じた。 だが勘違いかもしれないとわからない振りをするも、次の言葉で願い続けていた言葉をレオディヌスの口から聞くことになる。

 何を言われたのか一瞬理解できなかったが、それでも返答しなければと声に出そうとするも、セリーヌは驚きすぎて声が出なかった。 失礼ではあるが、首を縦に何度も振ってみせると、レオディヌスの表情がとても柔らかくなる。


「初めて相見えた日から、ここぞとばかりお主は儂の妻になりたいと言っておったな。 当然、それは幼き頃の憧れだと思っていたが、毎年必ず、儂の誕生日にあれほど熱量の高い恋文を贈られては、儂もほとほとどうしたものかと困っていたのだぞ?」

「そ、それは、あの……。 私が、それだけお慕いしているとお伝えしたかったので……」

「年もかなり違う故、どうしてもお主を先に遺して逝く身だ。 それでも、この儂を選ぶか?」

「……赦されるのであれば、私は、貴方様と連れ添いたく思っております」

「そうか。 どうやら覚悟を決めねばならんようだな。 カイレル、異存はあるか?」

「ありまくりですよ。 どうして初恋の人を父上に盗られなければならないのですか……!」

「拗ねるでないわ。 セリーヌが選んだ結果だ、そして儂はそれに誠意を見せるのが筋だ」


 凛々しい口から語られる黒歴史に、セリーヌは頬を染めて羞恥心に襲われる。 同盟締結が叶った日、セリーヌも家族に連れられて式典に参加していた。 そこで初めて見たレオディヌスは今より若々しくあったが、少女の目には本物の王子様だと感じる。

 その際に、ファーレンにペンドリアムから友好の証としてレオディヌスの妻へと話が持ち上がり、幼いセリーヌは場の空気を読まず真っ先に立候補したのだ。 その行動力に誰もが唖然とし、レオディヌスに至っては幼子を人質にするかと王家を威圧していたと聞いている。 家族にやめなさいと言われても止まらず、レオディヌスにアピールしたが、その場で話を流され、いつしかレオディヌスたちがファーレンへ帰国する日になっていた。

 諦められなかったセリーヌは、不敬と分かった上で、毎年誕生日に手紙を出すと宣言し、それを有言実行してしまう。 だが年月を経たことで贈りこそしたが、叶わないと少女もいつしか現実を受け入れることにした。 それなのに、この場で願い続けていた夢が叶うなど、流石のセリーヌも予想していない。


「へ、陛下こそ、私のような小娘で、よろしいのですか? 私は、剣を尊ぶ令嬢らしくない女なのですよ?」

「なればこそだ。 儂の妻となる者が武に通ずるのであれば、願ってもいないこと。 先の妻もそうであったのだぞ?」

「そ、それは、ですが……」

「どうした? お主の夢が叶うのだぞ? 騎士を目指すならば勝利を手にしなくてどうする? いつしかお主の文を毎年楽しみにしていた儂の想い、無碍にするつもりか?」

「――っ、そ、それは」

「いくらか衰えたが、儂とて男だ。 お主のように可憐で美しい女子から求愛されれば、気持ちとて舞い上がるのだぞ。 立場故に返信はできなかったが、こうして想いを伝えられる。 それとも、この儂の想いをお主は認めてはくれぬのか?」


 思わず後ずさるセリーヌだったが、逃さないとばかりにレオディヌスは間合いを埋め、手を掴んでくる。 一回り以上大きく、無骨で硬い掌はセリーヌの華奢な手を優しく包み、離そうとしなかった。

 触れられている事実に顔を真っ赤にし、加えて老王がこれまで見せたことのない、王ではなく男としての側面に少女はどう反応すべきか分からなくなる。 その姿を楽しんでいるように見えるレオディヌスの言葉に、嘘偽りなどなかった。

 膝をつき、少女と視線の高さを合わせ、銀髪を靡かせる筋骨逞しくも凛々しい男を前に、セリーヌの思考は許容量を超える。 それでも、今伝えなくてはダメだということだけは分かり、自身を落ち着かせつつ少女は意を決した。


「……ずっと、ずっと貴方様だけをお慕いしておりました。 レオディヌス様」

「知っておる。 セリーヌ、こんな年寄りでも良いというなら、儂の花嫁になるか?」

「――なり、ます。 ならせてください! 私は、ずっとそうなりたかった!」

「……そうか。 ならば!」

「きゃっ!?」

「先の妻を慮って再婚はしなかったが、気が変わった! セリーヌ、お主を儂の二人目の妻にしよう! 覚悟しておけよ、年老いたといえどまだまだ若い者には負けんぞ?」

「レオ、ディヌス、様……」

「巫山戯るなぁぁぁぁぁ〜〜〜!?!?」


 震えてしまう声に情けなくなりながら、セリーヌは想いの丈を爆発させる。 ずっと抑えていた気持ちを、レオディヌスは柔らかくも気高く、凛と受け止めてくれた。 同時に向けられる問いに対して、望んでいた未来を手にしたいと告げた瞬間、少女の体が浮かび上がる。

 レオディヌスの太い腕が腰に回され、あっという間に胸の中に抱かれる形で、セリーヌは愛しい初恋を実らせることになった。 年老いたなどと言っても、未だに筋肉隆々とする老王の大柄な姿に少女はときめきだけが胸を締め付ける。

 ふと見れば、傍らのカイレルも渋々といった様子で、受け入れる旨を示した。 学園の生徒・関係者も、あまりの展開に祝辞を告げればいいのかどうか迷い、誰かが声を出そうとした時である。

 ホール入口から野太い声がけたたましく上がり、ブチ破るように現れたのは完全武装した一人の老剣士だった。 突然すぎる登場に誰もが騒然としつつ、セリーヌはレオディヌスに抱かれながらよく知るその顔に挨拶をする。


「あら、お祖父様」

「何だ、いきなり。 騒がしいぞ」

「騒がしいもクソもあるかぁ! クソ王太子共を捕縛する準備を整え来てみれば、愛しい孫娘を誑かす変態に出くわすとはなぁ!」

「誰が変態だ、誰が。 あくまで合意の上だ、儂も長年悩んだ末に覚悟を決めたのだ。 邪魔をするな、アレン」

「黙れぇ!? おのれぇ、レオディヌス! 私の可愛いセリーヌを籠絡するなど、不届き千万! お前にその子の春を散らされるくらいなら、私が散らしてくれるわぁ!!」

「サラリととんでもないことを吐かすな。 セリーヌの純潔は儂が責任を以ていただくとしよう。 耄碌した老人はさっさと隠居しろ」

「耄碌したのは貴様の方よ! 積年の恨み、ここで晴らしてくれるわぁ!!」

「あらあら、お祖父様ったら相変わらずお元気ですわね」

「元気すぎるのもどうかと思うがな。 セリーヌ、離れるではないぞ」

「もちろんですわ、レオディヌス様!」


 血走った眼でレオディヌスを睨む老剣士を、セリーヌはいつものように呼ぶ。 アウディアの先代当主であり、王家の剣として現役で活躍する生ける伝説であるアレン・アウディアの登場だが、装いが殺気に満ち満ち過ぎていた。

 敵意を真っ向から向けられているレオディヌスは気にした様子もなく、長年の宿敵かつ強敵の登場には少し驚かされているように見える。 ただ直後に祖父からとんでもない発言を聞かされ、流石のセリーヌもそれはちょっと、祖父への気持ちが少し遠ざかりそうだった。

 だがそれも、レオディヌスが悠然と責任を持って娶るという発言を前に、少女は愛しい老王の胸に頭を預ける。 その仕草が限界を超えさせたのか、愛剣片手に飛びかかってきた。

 その後、暴れ回る祖父を取り押さえるように、後から現れた近衛騎士や衛兵たちで会場内は騒然となる。 無事取り押さえた後、ついでにミハイルたちも拘束されたまま王宮へと連行されていったのであった。



 顛末として、ミハイルは王太子の資格を剥奪され、一から再教育を施されることになった。 同じく関与していた取り巻きの令息たちは、全員が問答無用で貴族籍を抹消され、ペンドリアム王家が管理する厳寒の地にある炭鉱で働かされることになる。 そしてアンナという令嬢は特に悪質であり、罪の意識がまるでないとして処刑されたとセリーヌは聞かされた。

 自業自得とはいえ、彼らの末路については少女も思うところはある。 それでも本人たちが行動を起こしたが故に生じた結果だと割り切ることにした。 そもそも、そんな連中拘っている余裕などセリーヌにはない。


「はぁ、レオディヌス様と結ばれると思いましたのに、お祖父様が認めてくださらないなんて、予想していませんでしたわ……」

「仕方があるまい、あいつとは因縁があり過ぎるからな。 溺愛しているお主を手放す方針はないとは思っていたがな」


 事件から三日ほど経ったある日、セリーヌはアウディア家の屋敷にてレオディヌスを招き、庭にある東屋でお茶を楽しんでいた。 年の差もあるが、一国の王と未婚の公爵令嬢の婚約ともなると、そう易々と締結できるものではない。

 もちろんそれらについて、ファーレン側でレオディヌスは問題ないよう進めていたが、ペンドリアム側で最大の障害となったのは、セリーヌの祖父だった。 ペンドリアムの王家としても、ファーレンと今後も友好関係を築けるのならばと乗り気なのだが、一向にアレンだけが孫娘の祝辞を認められずにいる。

 これには陛下方のみならず、セリーヌの家族も諦めろと一丸となって説得を続けていた。 当人たちが出るのも手だが、レオディヌスを前にすれば祖父は武力行使も辞さない。 故に、その息子であるカイレルが父の縁談をまとめるべく動かされるという、何とも悲しい構図が生まれていたのだった。


「それで、あいつが認めなかったら儂との婚姻は諦めるか?」

「まさか。 いざとなれば出奔いたしますわ。 レオディヌス様のお気持ち、もう二度と逃したくありませんもの」

「はっはっはっ! こう熱烈に求められるとは、儂もまだまだモテるのだな! セリーヌ、お主には色々と期待しておるぞ」

「えぇ、騎士としてもお役に立ってみせます」

「そして儂の無聊を慰めてくれるな」

「……もちろんです、叶うならば貴方様のお子も宿してみせますわ」

「それは願ってもいないことだ。 だがあまり煽るでない、制御できる自信がないぞ?」


 年若い黒髪の令嬢は、目の前の銀髪が風に揺れて靡く妙齢の男性に見惚れる。 例え身内が認めなくても、覚悟は決まっていると告げればレオディヌスも不適な笑みを浮かべていた。 着実に仲を深め、誰にも邪魔させないとばかり愛を育み始めていることに、セリーヌは舞い上がるような気持ちでいる。

 きっとこの先どんなことがあってもこの人だけを愛することに変わらないと、そう断言することができた。 自分の全てを奪ってくれる日が来るのを待ちながら、伸ばされた大きな手を握り、そして握り返してくれた。

 屋敷の方で何やら騒ぎが大きくなっているのを聞こえないフリをして、セリーヌはレオディヌスと静かに語らう。 その後、色々と問題は発生こそしたが、無事ファーレンへと輿入れを済ませ、少女は名実ともに全て老王のものとなった。



 その後、ファーレンでは偉大なる武王を支えた年若い乙女が剣を取り、自ら先陣を切って戦場を王と共に駆け抜ける様が後世に語り継がれるのだった。

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