第8章 ― 静かなる供述
16時45分。本校舎3階・図書室。
木製のドアが軋む音を立てて閉まると、まどかは槙野理人の正面に座った。
部屋には他に誰もいない。午後の陽はすでに傾き、古びた書架の隙間から伸びる影が、床に長く落ちていた。
「理人くん。…一つ、だけ。ちゃんと答えて」
槙野はまどかの目をまっすぐに見た。少年らしいあどけなさと、冷めた視線が同居している顔。
まどかは、心のどこかでそれを「欺く顔」として見てしまっていた。
「鍵を、私に渡したのはあなただよね」
少しの沈黙。
槙野は、すぐに頷いた。
「うん。俺だよ」
「なぜ?」
「理由があった。それだけじゃ、だめか?」
「だめだよ」
まどかは鋭く返した。
「なぜ、“第四準備室”を開けさせたの?」
槙野は、少しだけ口元を引き結び、それから視線を窓の外に向けた。
「俺の叔父さんが、昔この学校にいたんだ。教員だったって。で、昔の構造図を見せてくれたことがある。
第四準備室の裏に、誰も知らない“空間”があるって――そう聞いてた」
「……」
「それを確かめたかった。けど、自分じゃやれなかった。だから、あんたに任せた」
まどかは眉を寄せた。
「わたしが使われたってこと?」
「使ったんじゃない。ただ……君なら、中を見てくれると思っただけ」
「つまり、自分で入るのは怖かった。でも真相には触れたかった。わたしに、危ない橋を渡らせて、遠巻きに“事実”を知ろうとした。そういうこと?」
「……うん」
それは告白だったが、同時に自己弁護でもなかった。
彼の声には後悔も、弁明も、感情が希薄だった。
「理人くん。……あなた、何かを知ってるよね。事件に直接関わっていなくても、何か、誰かの行動を見ていた。違う?」
「……」
沈黙。だが、その沈黙が返答そのものだった。
「三隅先生じゃないのね。鍵の件でもうわかった。けど、それなら……本当の“犯人”は誰?」
まどかの問いかけに、槙野はひとつ、小さく笑った。
「犯人、って……そんなに簡単なものじゃないと思うよ」
「どういう意味?」
「人が死んだ理由を、“一人の人間の責任”にするのって、楽だよね。
でも、この校舎の中で“何かが狂った”としたら……それは誰のせいでもない。
ただ、“仕組み”が動き出しただけだよ」
彼の声が、ふいに低くなった。
「君はさ。鍵を渡された時、疑わなかった? “なぜ、私に?”って」
「……最初は、ただ頼られたと思った。でも今は違う。
あれは、わたしが“選ばれた”んじゃない。“切り離された”んだと思ってる」
まどかの中で何かがつながり始めていた。
槙野は立ち上がり、書架の奥を見やった。そこに、ひとつの小さな扉がある。古い職員用の裏導線。鍵はかかっていない。
「行くの?」
「行かないと、“最後の場所”にはたどり着けないから」
「そこに、答えがあるの?」
槙野は振り返らなかった。だが、歩き出すその背中が、まどかに告げていた。
――ここから先は、もう“真実”だけしか残らない。
───
17時10分。本校舎地下・旧備品庫跡。
ほこりとカビの匂いが鼻を突いた。裸電球がぼんやりと足元を照らす。
まどかが懐中電灯で照らした先に、金属の扉があった。小さく「管理室」と刻まれたその扉の前に、誰かが立っている。
それは――三隅教員だった。
「来ましたね」
「……ここが、最初から最後まで、事件の中心だった。違いますか?」
三隅は答えず、ただゆっくりと扉を開けた。
そこには古びた機械と、記録が残るファイル。そして、赤茶けた血痕。
「これは……?」
「君たちが見つけた遺体は、“演出”されたものです。
最初の犠牲者はここで、意図的に“時間差”で殺され、別の場所に運ばれました」
「……やっぱり。じゃあ、あなたが」
「違います。私は“遺体を運んだ”だけです。殺したのは……」
三隅が、机の上の古い出席簿を差し出す。
開かれたページに、かすれた名前が見える。
槙野一成――