第7章 ― 幻の仕掛け
15時12分。西棟1階・学食跡。
まどかは、通気口に手を伸ばしかけた姿勢のまま、三隅教員と向き合っていた。
学内でも物静かで目立たないこの中年男性教師が、いつのまにか真後ろに立っていたことに、彼女は軽く震えた。
「ここはまだ調査中ですよ、危ないから近づかない方がいい」
三隅は冷静な声でそう言った。
彼の眼差しは、まどかの動作に一点の疑念も持たず、ただ状況を淡々と説明しているように見えた。
まどかは立ち上がり、距離を少し取った。
「先生……この通気口の下、何か知ってるんじゃないですか?」
「知っているというより……覚えているだけですよ」
三隅はゆっくりとした口調で言葉をつないだ。
「20年ほど前、この校舎が現役だったころは、ここは一時的に“避難経路”として通気口が広げられていた時期がありました。今は塞がれているはずですが」
(20年前……?)
「つまり……下に空間があると?」
「ええ。だが今は塞がれている。誰かが最近こじ開けたとすれば話は別ですが……」
まどかは視線を下げた。古びたグリルの隙間に、ほんの僅かな土埃の“新しさ”を見た。
(つい最近、誰かがここに触れてる……)
───
15時40分。本校舎2階・渡り廊下。
夕方に差しかかり、廊下に射し込む光は赤みを帯びていた。
まどかは中央校舎の2階を西から東へ歩いていた。足音が木の床に吸い込まれるように響く。
(通気口の空間……使えるとしたら、内部を移動する手段。通路として利用されていたなら、死体の“移動”にも使えるかもしれない)
今、警察が注目しているのは“仕掛け”による殺害。
だが、まどかにはひとつの仮説があった。
(この事件……殺害“時刻”が操作されている)
──実際に人が死んだ時刻と、発見された状態が一致しない。
その“差”が意味するものは、時間差殺害──あるいは、遺体の搬送。
(第一の現場は西棟の倉庫、第二は中央棟四階の準備室。どちらも物陰で、発見が遅れた。
もし“どちらか”が他の場所で殺されて運ばれたのだとしたら……)
渡り廊下の中心に立ち、まどかは振り返った。
西棟の窓から見える陽射しの角度。風の流れ。扉の擦れる音。
(もし通気口の下に、通路が残っていたなら。
そしてそれを知っていた人物が、2人の遺体を“演出”したなら――)
風が強まり、木枠の窓がきしんだ。
まどかは唇を噛んだまま、歩みを止めた。
───
16時10分。東棟2階・音楽準備室。
小さな部屋に、再び全校の関係者が集められていた。
白石刑事が、椅子に腰掛けたまま話す。
「これまでの調査で判明したのは、2つの殺人現場に仕掛けが使われていたということ。
だが“仕掛けを作れること”と“実際にそれを使ったこと”は別の話です」
部屋に緊張が走る。
「今回、我々が注目しているのは“物理的にその場にいなかった”ことを証明できない人間。
つまりアリバイが不完全な者、あるいは時間差で殺害可能な“仕掛け”を知る者」
白石は、資料を一枚掲げた。旧校舎の見取り図だ。
「この中に通気口が張り巡らされた地下構造が存在する。
これは公式記録には残っていないが、かつての避難用トンネル跡として存在していたものだ」
ざわつきが広がった。
「そして、その経路の存在を知っていたのが……管理を担当していた三隅教員だった」
皆の視線が一斉に三隅に注がれた。
だが彼は微笑むように、口を開いた。
「私は構造を知っていた。それは認めます。だが、殺害に使われたとは断言できないでしょう? 通気口に何か“落ちていた”というわけでもない」
「そうですね。しかし、一つだけ奇妙な点がある」
白石は言った。
「あなたは、生徒に“第四準備室の鍵”を渡していた」
部屋に沈黙が落ちた。
「まどかさん。君に聞きたい。あの準備室、誰が開けた?」
まどかは答えようと口を開きかけたが、寸前で止まった。
何かが、心の中で引っかかっていた。
(準備室に入る前、私は確かに鍵を手にしていた。だが……それ、渡したのは……三隅先生“じゃない”)
──違う。
(わたしが鍵を手にしたのは、あのとき……)
彼女の頭に、突然ひとつの“映像”がよみがえった。
あの日、図書室の隅で、そっと渡された銀色の鍵。
その相手は――
槙野理人。
まどかの背筋が凍った。
(槙野……あなた、何を知ってるの?)