第6章 ― 過去を映すガラス
13時12分。
旧校舎前の中庭。風に揺れる枯葉が一枚、ひらりと地面に落ちる。
警察の到着と同時に、この校舎の空気は一変していた。
灰色のスーツに身を包んだ男が、濃紺の警官に囲まれながら現れる。
その視線は、まるで何かを“読む”ように、校舎の壁を見つめていた。
「県警捜査一課、白石光一です。現場責任者、どなた?」
教師の一人が前に出て名乗り、校舎内の状況を説明し始める。
まどかは、その少し後ろに立っていた。
口を挟まず、ただ周囲を静かに見回していた。彼女の視線は絶えず動いている。
誰がどこにいて、何をして、どんな顔をしているか――その全てを、焼き付けるように。
(わたしが、確かめなくちゃいけない)
───
13時35分。第四準備室。
室内は警察によって封鎖され、鑑識班が慎重に調査を進めていた。
床下から突き出た鋼線。折れた椅子。死体の姿勢。
どれもが、“偶然”では説明できない精密さを持っていた。
「椅子の位置、誤差ないな……。狙い通りだ」
白石は腰をかがめ、床下に伸びる仕掛けを観察していた。
機械は古いゼンマイ式タイマーと、バネ仕掛けの突き上げ装置で構成されていた。
物置などにある廃棄器具を組み合わせた、自作トラップ。
「これは……素人仕事じゃない。誰か、相当詳しいな。しかも……ここを知ってる」
白石は立ち上がり、まどかの方を振り返った。
「君、この準備室にはよく来てた?」
「いえ、存在すら知らなかったです。……でも、鍵が新しく磨かれていたから」
「なるほど。君の気づき、助かってるよ」
まどかは無言でうなずいた。
───
14時05分。東棟・音楽室。
音楽室のピアノには、黒い布がかけられていた。
その手前で、警官たちが一人の生徒に事情聴取を行っていた。
「名前は?」
「**槙野理人**です。3年、B組」
「第四準備室の被害者、小嶋つばささんとは?」
「同じクラスです。……あまり、話したことはなかったです」
槙野の視線は、微妙に揺れていた。
まどかは部屋の外から、彼の様子をじっと見つめていた。
(槙野……嘘はついてない。でも、何かを隠してる)
彼は、つばさと直接的な関わりはなかった。だが一度だけ、
まどかは二人が言葉を交わしているのを廊下で見たことがある。
(そのとき、つばさは泣いてた……槙野は、何を言ったの?)
だが今、そのやり取りを覚えているのは、まどかだけだ。
───
14時30分。職員室。
白石は、数枚の資料と旧校舎の見取り図を机に並べていた。
「旧校舎の構造が、ややこしいな……。中央四階建てに、東西棟がそれぞれ。二階渡り廊下で接続」
隣の刑事が指を差す。
「最初の遺体があったのは西棟二階の旧物置。次が中央四階の第四準備室。
共通してるのは、“教室じゃない”“目立たない”“鍵が必要”」
「あと、“どちらも人がほぼ立ち入らない場所”だ」
白石は、机の上の地図をじっと見つめる。
「これ……誰か、初めから構造を把握してた人物だな。しかも、今も学校関係者だ」
まどかは、廊下の陰でその会話を聞いていた。
(構造を知ってる人……教師、あるいは整備担当……)
そして、彼女の頭に、一人の名前が浮かんだ。
三隅教員。
この旧校舎の維持管理に詳しく、生徒にもほとんど関わらない。
彼の言動には、これまで一貫して“ズレ”があった。
だがその“ズレ”は、感情ではなく、何かを先読みしているような冷静さだった。
「三隅先生は……何かを知ってる。たぶん……最初から」
───
15時10分。西棟一階。学食跡。
生徒たちの休憩場所だった学食も、今は廃墟のようだ。
まどかはその奥の、倉庫につながる扉を開ける。
そこは、第一の事件現場。
照明が点かない暗闇の中、彼女は床を見下ろす。
(第一の犠牲者、伊東優羽。首に深い切り傷。物陰に倒れていた)
血痕は既に警察によって記録されている。まどかはしゃがみ込んで、その高さを確認した。
(高さは……ちょうど、机の上くらい?)
そのとき、床下から小さな“軋み”が響いた。
誰かが、下の通気口に触れたかのような微細な音。
(まさか……まだ、仕掛けが?)
彼女が手を伸ばしかけたその瞬間――背後で誰かが囁いた。
「……危ないよ、まどかさん」
振り返ると、三隅教員が立っていた。
その目には、何の感情もなかった。