第5章 ― 十二時四十分の沈黙
時計の針が、12時20分を指していた。
神代まどかは西棟を出て中央階段を上り、四階に足を踏み入れる。
長く薄暗い廊下。教室のドアはどこも開け放たれ、誰もいないはずの空間に漂う木材と埃の匂い。
この階は、旧校舎の中でも特に痛みが激しい。歩けば床がたわみ、時おりきしむ音が背中を刺す。
(ここに何かがある。そんな気がする……)
まどかは一室一室、素早く中を確認していく。
古い家庭科室、理科準備室、書道室。どの部屋も既に物は取り払われていて、今はほとんど空っぽだった。
だが、そのとき。――一つのドアが“施錠されている”ことに気づいた。
第四準備室。旧校舎の中でも使われなくなって久しい物置のような部屋だ。
鍵穴には埃が詰まっていたはずなのに、磨かれたように光っている。
試しにドアノブを回すと、内側から鍵がかかっていることが分かる。
(誰かが、今ここにいる……?)
まどかはポケットからスマホを取り出し、今の時間を確認した。12時28分。
(あと12分……。この部屋で、何かが起こる?)
彼女は決意し、階段を駆け下りると、真っ直ぐに職員室のある東棟へと向かった。
───
東棟、一階。職員室。
古びた掲示板、割れかけたアクリル板の下に、かつての鍵保管ロッカーがある。
幸いにも、電源が落ちているため暗証番号の入力は不要だった。
時間をかけて中を探る。やがて、**「第4準備室」**と書かれた札のついた鍵を発見した。
(間に合うか……?)
再び中央校舎の階段を駆け上がる。今は3階、そして4階へ。
12時35分。あと5分しかない。
───
第四準備室。まどかは震える手で鍵を差し込む。回る。解錠された。
ギィ、と音を立てて開けたその部屋には――
人がいた。
椅子に腰掛けた、小嶋つばさだった。生徒会書記で、物静かな文学少女。
だが、その目は空ろで、口を動かすことなくまどかを見返す。
「つばさ……? どうしてここに……?」
まどかが近づこうとしたその瞬間、部屋の奥で「カチ」と音が鳴った。
反射的に後ろへ跳ぶ。間に合わない。床の下で、何かが爆ぜたような衝撃が広がる。
とっさに伏せたまどかの耳に、鈍い音が響く。木製の床が破れたような音。椅子が倒れる音。
やがて、静寂が戻る。
まどかがゆっくりと顔を上げたとき、小嶋つばさは――倒れていた。
首から血が流れ、床下から突き出した細い鋼線が、喉元を貫通していた。
(……殺されてる……!)
それは間違いなく、「事故」に見せかけるために設置された仕掛けだった。
床下に組まれた機械仕掛けが、定時に針状の鋼線を突き上げるようになっていたのだ。
つばさの椅子の位置を正確に計算し、時間差で作動するように。
この学校には、“事故”という名の殺人が潜んでいる。
そして、時間差で作動する仕掛けを仕込んだのは――明らかに“ここに詳しい者”だ。
───
13時5分。
パトカーのサイレンが、遠くから近づいてきた。
第一の事件と、今の死で、ようやく大人たちはこの旧校舎を“事件現場”として扱い始める。
警察官たちが一斉に入ってくる中、まどかは音楽室の仕掛けと、物置の装置、そして今の殺人を語る。
だが――確実な証拠は、まだ見つかっていない。
そして、まどかの脳裏にはある疑念が芽生えていた。
(おかしい……なんで、椅子の位置まで分かったの? つばさは、誰に座らされたの……?)
その疑問は、まどかの視線の先に立つ一人の人物へと向かう。
三隅教員。
彼は、表情を変えぬまま、まどかの話を聞いていた。
(この中に……犯人がいる)
だが、それはまだ“見えていない”。
そして、すべての記憶が揃ったとき――
まどか自身が、自分にとって最も恐ろしい記憶を思い出すことになる。