第2章 ― 四階の密やかな影
扉を叩く音が、旧校舎の四階に響いた。
「――誰か、いるの?」
神代まどかは図書保管室の扉を叩きながら声を上げた。だが、返事はない。
扉には内側から鍵がかけられていた。金属が噛み合う、あの確かな音を、彼女自身が聞いていた。
だが、室内にいた少年の姿は――もう、どこにもなかった。
彼の逃げ場などないはずだ。部屋の構造は単純だし、窓は外側に鉄格子がはまっている。
それでも、気配は一瞬で消え失せていた。まどかは自分の胸の内に広がる疑問と恐怖を抑えきれず、扉を強く蹴る。
「嘘……でしょ……?」
ガチャン、と金属音がして、外から鍵が開けられた。
驚いて後ずさると、扉が開き、そこから現れたのは――
「神代? なにしてるの、こんなところで」
淡々とした声。
東棟の職員室から来たと思われる女性教員、久我由梨だった。手には職員用の鍵束を持っている。
「……中に、誰かがいたんです。でも、もういなくて……」
「この図書室、今朝私が開けるまで鍵を閉めていたけど?」
「いえ、さっき確かに……」
言葉に詰まる。自分の見たものをどう説明すればいいのか。
久我教員はまどかの顔を一瞥し、「気のせいでしょう」と冷ややかに言い残し、踵を返して去っていった。
後に残されたまどかは、手帳を拾い上げた。
さっき、棚の隙間から覗いていた黒い影とともに落ちていたそれ。表紙には、インクのにじんだ文字でこう書かれていた。
『三月六日:音楽室の椅子が倒れた。誰もいなかった。なのに。』
その瞬間、まどかの背筋に電流のようなものが走った。
「音」で始まる出来事。それは、今朝、自分が階段を上がってきたときに聞いたものと、同じ種類の“不穏”だ。
ふと気がつく。
手帳の裏表紙に、白インクでうっすらと名前が書かれている。
「……三神?」
三神凌真。数年前、この学校に在籍していたという男子生徒の名前だ。だが、彼は――
「確か、もう……死んでいるはずじゃ……?」
渡り廊下を通って、まどかは東棟へと戻る。2階から職員室へ向かう途中、ふと音楽室の前で足を止めた。
扉の隙間から、何かが、見えた。
人の足。倒れている。動かない。
「――っ!」
ドアを開ける。木の床に、血が広がっていた。
そして、そこに倒れていたのは、久我教員だった。
頭部を打ちつけたような形で、ぐったりとしている。
誰が。なぜ。どうやって。
わずか数分前まで、旧校舎にはまどかと久我しかいなかったはず――。
それなのに。
すでに、「最初の死」は、始まっていた。