第三話:狩るべき獣
翌朝、俺は村を歩いた。
まだ体は万全ではないが、軽い運動くらいなら問題ない。むしろ、こうして歩いている方が体の調子も良くなる気がした。
村の様子を改めて見ると、確かに小さい。
家の数は十数軒ほどで、畑が点在している。奥には牧草地もあり、ヤギのような生き物が草を食んでいた。
「ワイルドボアは、どこに現れるんだ?」
「主に村の外れの畑ですね……。朝起きると、畑が荒らされてることが多いんです」
リナが隣で答える。
「昼間に出ることは?」
「ほとんどないです。でも、村のおじさんが森の中でワイルドボアを見かけたって……」
俺は眉をひそめた。
「最近になって、村に降りてくるようになったんだよな?」
「はい……。どうしてでしょう?」
(何か理由があるはずだ)
魔物の生態には、必ず法則がある。
ワイルドボアが本来は森の奥にいたのなら、それが村の近くに現れるのには何らかの要因があるはずだ。
「畑を荒らされる前兆とかは?」
「うーん……。あ、でも、畑の作物が少しずつ食べられてることが多いです!」
「つまり、一度に大量に荒らすんじゃなくて、少しずつ村に近づいているのか?」
「そういうことになりますね……」
少しずつ畑に侵食するように被害が増えている――?
何かがおかしい。
(ワイルドボアは、元々こういう行動をする生き物なのか?)
俺は村の畑を巡りながら、その痕跡を探した。
すると、荒らされた畑の中に、奇妙な痕跡を見つけた。
「これ……何か分かるか?」
「え?」
指さした先には、細長い爪痕のようなものが残っていた。
「ワイルドボアって、こんな爪を持ってるのか?」
「え、違います!ワイルドボアの爪はこんなに細長くないです……!」
(……だとしたら)
「ワイルドボア以外の何かが、畑を荒らしてる可能性があるな」
俺たちはさらに村を巡り、他の村人たちからも話を聞いた。
「この辺りの森には、ワイルドボア以外にどんな魔物がいる?」
「んー、狼みたいなのがいるけど、最近はあまり見ないなぁ」
「じゃあ、この爪痕は?」
「いやぁ……こんな痕、見たことねぇな」
村人たちの答えは曖昧だった。
つまり――
この村の人々は、自分たちの住んでいる場所の「外」をほとんど知らない。
ワイルドボアの被害が増えている原因も、本当にワイルドボアだけなのか、誰も確かめていない。
ただ、「誰かがどうにかしてくれるだろう」と待っているだけ。
(……なるほどな)
ここには**「情報を集め、分析し、共有する仕組み」**がない。
誰もが個人の経験や勘に頼り、確かな事実を知らずにいる。
だからこそ、被害が増えても対策を取れず、ただ「いつか誰かが助けに来るのを待つ」しかないのだ。
……もし、ここに**「情報を蓄積し、活用する組織」**があれば?
ギルドのようなものがあれば――この村は、もっと生きやすくなるんじゃないか?
「アルクさん……?」
リナが心配そうに俺を覗き込む。
「どうしたんですか?」
「いや……考え事をしてた」
俺はもう一度、畑を見渡した。
「ワイルドボアの生態を知るために、まずは調査しよう。夜にどう動くのか、実際に見てみるのが一番確実だ」
「え!? でも、危ないですよ!」
「だからこそ、ちゃんと準備してやる」
俺は周囲を見渡し、使えそうなものを探す。
「この村に、狩りに使えるような道具はあるか?」
「えっと……罠とかですか?」
「ああ。たとえば、動物を捕まえるための仕掛けとか」
リナはしばらく考え込み、首をかしげた。
「うちの村には狩人がいないので、専用の道具はほとんどないと思います。でも、おじさんたちがたまに使ってる足くくり罠ならあるかもしれません」
「足くくり罠……か」
イノシシを捕らえるのに使われる、ワイヤーを使った罠だ。
獲物が足を踏み込むと締まり、動きを封じる仕組みになっている。
ワイルドボアの動きを制限できれば、討伐の可能性がぐっと高まる。
「それ、見せてもらえるか?」
「はい!村の倉庫にあると思います!」
その日の夕方、俺は村の倉庫で足くくり罠を確認した。
作りはシンプルだったが、長年使われているせいか、どこか古びている。
「この罠を仕掛ければ……ワイルドボアを捕まえられるかな?」
リナが不安そうに呟く。
「やってみないと分からないな」
俺は罠を慎重に手に取った。
ワイヤーの強度はそこそこありそうだが、ワイルドボアのような巨大な魔物相手では、十分とは言えないかもしれない。
だが、まずは試してみるしかない。
「今日はここまでにして、明日の朝からワイルドボアの移動経路を調べよう」
「はい!」
翌朝。
俺はリナと村の外れに向かった。
ワイルドボアの移動経路を特定するためだ。
畑の被害がひどい場所を重点的に調べる。
「見てくれ、ここ」
俺は地面に残るくっきりとした足跡を指さした。
「蹄の跡が深く残ってるな……」
「ワイルドボアのものですか?」
「間違いない。しかも、ここに来たばかりじゃない。何度も同じ場所を通ってる跡がある」
さらに、近くの木の幹を触ると、粗い削れ跡が残っていた。
「……こすり跡?」
「ワイルドボアは体を木にこすりつける習性がある。ここで皮膚の汚れを落としたり、匂いをつけて縄張りを主張したりしてるんだろう」
リナが驚いた顔をする。
「そんなことまで分かるんですか?」
「痕跡を見れば、ある程度はな」
さらに地面を見ると、泥が掘り返されている場所がいくつかある。
「新しい掘り返し跡……だな」
イノシシ科の動物は地面を掘り返して餌を探す習性がある。
つまり、この周辺にワイルドボアが頻繁に来ている証拠だ。
「ここに罠を仕掛けるのがベストだな」
俺は倉庫から借りてきた足くくり罠を取り出し、慎重に地面に仕掛けた。
ワイルドボアが餌につられて足を踏み入れたら、ワイヤーが締まり、動きを封じる作戦だ。
「これで捕まえられるといいですね!」
「……さて、どうなるか」
夜。
村の見張り台から、俺は罠を仕掛けた畑を見張っていた。
しばらくすると、闇の中から巨大な影が現れる。
(来たか……!)
ワイルドボアは警戒する様子もなく、畑の作物に近づく。
そして――
ガシャン!
仕掛けた足くくり罠が作動した。
ワイルドボアの動きが一瞬止まる。
だが、次の瞬間――
「グオォォォォォ!」
ワイルドボアが暴れ始めた。
凄まじい力で地面を引きずり、罠のワイヤーが軋む。
(まずい……!)
次の瞬間、ワイヤーが引きちぎれた。
「ウソ……!」
リナが息をのむ。
ワイルドボアは自由を取り戻すと、そのまま暴走し、近くの木に向かって突進した。
ドォン!
木が激しく揺れる。
しかし、ワイルドボアは怯む様子もなく、数回体をぶつけた後、森の中へと姿を消した。
「逃げられた……」
俺は息を吐きながら、残骸となった罠を見下ろした。
やはり、通常のイノシシ用の罠では、ワイルドボアの怪力には耐えられない。
強度を上げるか、別の方法を考える必要がある。
「でも……アルクさん!」
リナが俺の袖を引く。
「ワイルドボア、木に何度もぶつかってましたよね?」
「ああ……あれは何だったんだ?」
「分かりません。でも……」
俺はしばらく考えた後、あることに気づく。
(もしかして、ワイルドボアは直進する習性があるのか?)
さっきの行動は、単なる暴れ方ではない。
あいつは突進する際、方向を変えようとはしていなかった。
「……リナ、やっぱりこの村に落とし穴を掘るための道具はないか?」
「え? ありますよ。畑の整備に使うシャベルとか……」
俺は小さく笑った。
「……次は、落とし穴だな」