第二話:村での暮らし
目覚めてから三日が経った。
最初は立ち上がることすらままならなかったが、少しずつ体の感覚を取り戻し、短い距離なら歩けるようになった。頭の傷はまだ完全には癒えていないが、目が回るような痛みはほとんどなくなっていた。
この間、俺を助けてくれたルーデ村の村長夫婦――ガルドとマリアには、世話になりっぱなしだった。
ガルドは寡黙で厳しそうな男だったが、必要な世話はきちんとしてくれる。
一方、マリアはよく笑う気さくな女性で、俺のことを本当の息子のように気にかけてくれた。
そして、最初に声をかけてくれた娘――リナ。
リナは俺と同じくらいの年齢で、村では主に家事を手伝いながら、簡単な畑仕事もしているらしい。
村のことを何も知らない俺に、彼女は根気よく色々なことを教えてくれた。
「ここには何人くらい住んでるんだ?」
「今は……三十人くらいですね」
リナが指を折って数えながら答えた。
「前はもっと人がいたんですけど、みんな町に出たり、魔物が怖くて村を離れたりして……」
そう言う彼女の表情には、わずかな寂しさが滲んでいた。
「魔物が出るのか?」
「はい。でも最近は特にひどくて……畑を荒らされることが増えてるんです」
リナが目を伏せる。
「もうすぐ収穫の時期なのに、ワイルドボアが畑を荒らしてしまうんです。お父さんたちが追い払おうとしても、逆に襲われそうになるから……」
「ワイルドボア?」
「イノシシみたいな魔物ですよ。大きくて、すごい勢いで突進してくるんです」
彼女の言葉を聞いて、俺は思わず額に手を当てた。
(魔物……か)
そう、ここは異世界なんだ。魔法や魔物が存在する世界。
俺がいた場所とは、まったく違う理で動く世界。
……いや、そもそも俺がいた場所とはどこだった?
考え込んでしまいそうになり、軽く頭を振る。今はそのことより、目の前の話だ。
「ワイルドボアって、どれくらいの大きさなんだ?」
「うーん……」
リナは手振りで説明しながら答えた。
「普通のイノシシよりずっと大きいですよ。大きいものだと馬くらいあるって……。」
「馬並みのイノシシか……そりゃ、畑が荒らされるのも納得だな」
そんな魔物が頻繁に出没するなら、村人たちが怯えるのも当然だ。
「でも、どうしてそんなに頻繁に出るんだ?」
「それが……分からないんです」
リナの表情が曇る。
「昔から山にはいたんですけど、村の近くまで降りてくることはなかったんです。でも、最近になって急に……」
(最近になって?)
何か理由があるのか?
気になったが、今の俺に分かることではなかった。
「で、そのワイルドボアをどうにかする方法は?」
「えっと……運が良ければ冒険者や狩人が来てくれるんですけど……でも、いつ来るか分からなくて」
「なるほどな……」
俺は腕を組んで考える。
(つまり、この村には自力で魔物を倒せる人間がいない……)
だから、たまたま通りかかった冒険者や狩人に頼るしかない。でも、それがいつになるか分からない以上、畑を荒らされ続けるのは避けられない。
――待つしかない、か。
妙な違和感を覚えた。
俺の知る限り、普通は危険に対処する仕組みがあるはずだ。
たとえば、ギルドのようなものが。
「ギルドに依頼すればいいんじゃないか?」
何気なく言った言葉に、リナがキョトンとする。
「ギルド……?」
「……ああ、いや」
俺はそこで言葉を切った。
そうか――この世界には、ギルドがないのか?
俺は何かを知っている気がする。だけど、それがどこから来る知識なのか、分からない。ただ、「ギルド」というものがあれば、この問題は解決するかもしれない……そんな確信だけが残った。
「……アルクさん?」
「いや、何でもない」
今の俺に、何かを変えられるわけじゃない。
でも、このまま村人たちがただ**「誰かが来てくれる」**のを待ち続けるのは――何か、違う気がする。
「リナ、ワイルドボアのこと、もう少し詳しく教えてくれないか?」
「え?」
「生態とか、いつ出るのかとか……そういうのを知れば、何か対策が立てられるかもしれない」
「でも、危ないですよ?」
「分かってる。でも、考えなしに待つよりはマシだろ?」
リナは驚いたように俺を見た。
少しの間、彼女は迷ったようだったが――やがて、小さく頷く。
「……分かりました」
こうして俺は、この世界の仕組みを知るための最初の一歩を踏み出した。