崖っぷちジョルジュ
妃殿下の執務室に戻り封蝋作業を再開したが、やっぱりノルマは終えられず残業になった。黙々と手を動かす私の横で、やたらとご機嫌な妃殿下が調査書を読み上げている。
「侯爵家の次男ね、ふーん、そう。良いじゃない。ねえ梨子ちゃん?」
「は?何が?」
妃殿下は不満そうに一瞬眉を寄せたが、すぐにまたニマニマっとした笑顔に戻る。理由は知らないけど、さっきからずっとこうでとても気持ち悪い。
「何がって、アレン・ベンフォードよ」
「あぁ、あの近衛騎士様ね。お気に入りなの?」
「うん、良いなあって思う」
「結衣ちゃんて……まぁいいや」
殿下といいアレンといい単なる面食いなのか、それとも顔面と中身が一致しない人が好みなのかな?ギャップ萌え、みたいな?
「それよりも、もう行ったら?殿下とウィル君が待っているでしょう?」
最後の一通の封印を終え伸びをしながらそう言うと、妃殿下は時計を見上げてからこちらを向いた。
「それがね、そろそろでん」「リッコチャーーーン!」
妃殿下の言葉を掻き消すほどのドアの向こうから聞こえた大きな声。この声はもしかして……
「来ちゃったぁ!」
じゃないかと思ったが、バーンとドアを開けたのは笑顔全開の王太子殿下である。
「リコチャンが来てくれないならお兄様が来れば良いんだよなぁ。お兄様ったらどうして今まで気が付かなかったのかな?」
「……というか、どうして気が付いちゃったんですかね?」
「教えてくれたんだ。ね、アレン」
殿下の後ろに控えていたのはアレンとアーネストだ。だが妃殿下はアーネストを完全にスルーし、スキャンするようにアレンの頭から爪先までじっくりと視線を巡らせた。
「合格!」
「でしょう?良いよねアレン。条件もピッタリだし」
親指を立てる妃殿下に殿下が嬉しそうにはしゃいでいる。その後ろでいいねを貰いながらも無表情なアレンと、若干顔色の優れないアーネスト。
なんだこの、カオスな空間は?
「リコチャン、仕事終わった?」
「あ、はい。たった今最後の一通を仕上げたところです」
「じゃあ皆、座ろうか?」
私の業務終了と何の関係がと聞く間も無く、はいそれではとばかりに一同が動き出した。殿下と妃殿下が並んで座り、斜向かいの一人掛けのソファにアレンが、正面にはアーネストがポジションにつくかのように迷いなく腰を下ろしていく。そして呆気に取られる私に向かってアーネストがポンポンと自分の隣を叩いた。どうやら私のポジションはそこらしい。
猛烈に不審がりながら指示通りに座ると、待ち構かまえたように殿下が口を開いた。
「リコチャンさ、あの手紙、自分には無関係だと思ってるだろ?」
「はい。宛名は全く知らないご令嬢でしたから」
「それがさ、関係大有りなんだよ。だからお願い。たまには興味もって!」
そんな馬鹿な。あれがどうなると私に関わるっていうのだ?
「何かの間違いよね?」
世話役のアーネストよ、たまには役目を果たせ!と見上げたものの、アーネストは『あー』と気の抜けた声を出したきり何の言葉もない。
次なる頼みの綱の妃殿下も、キラキラした目で殿下を見つめているだけ。ということはですよ、完全アウェイ……だよね、やっぱり。
「……どういうことか、お聞かせ下さいますか?」
「うわー、リコチャンからの質問てなんか新鮮!よし、じゃ、判明していることぜーんぶ説明してくれるかな、君たち」
ワクワク顔の殿下に促され、アーネストとアレンは居住まいを正した。
「あの手紙の送り主には目星がついていた。ジョルジュ・サカリーという文官だよ」
「ジョルジュってあのジョルジュ?」
「そう、リゼットに返り討ちにされたヤツだ」
「どうしてあのジョルジュがそんなことを?」
「いいね、いいね!リコチャンの疑問文てやっぱり新鮮!」
アーネストと私のやり取りに目を輝かせて口を挿んだ殿下は、『おくちチャックよ?』と囁いた妃殿下が見事に黙らせた。
アーネストの説明によると、ルストッカ庭園で待っていて……という内容の偽ラブレターが発見されたのは三度目。どれも裕福な下級貴族の令嬢宛に送られていた。そして毎度本気にして舞い上がった令嬢が友人達に自慢したり、テンションの上がった親達がお祭り騒ぎをしたりして明るみに出たという。
「聞き込みをしたところ、毎回ルストッカ庭園をウロウロしているジョルジュが目撃されていた。だがそれだけでは身柄を拘束して取り調べをするのは無理があるだろ?何か手掛かりがつかめないかとリゼットに封蝋を見せたってわけだ」
「でも私が言えるのは封蝋は偽物って事だけだし、第一そんな大それたことをする動機なんて、あの人にあるものかしら?」
他人の名を語って令嬢を呼び出すだけでも問題なのに、それが王太子ともなれば完全にアウトだ。この国の王室侮辱罪はわりとやんわりとしたお咎めだけど、それでも貴族の身分は剥奪されるし文官もクビになるのは間違いない。そんなリスクを冒してまで何をしようとしたのだろう?
「ジョルジュは今崖っぷち……というか崖から落ちて突き出た枝にぶら下がっているだけ、という状況だ」
「まぁ!何かやらかしたの?」
「三年前にな!」
突然アレンが口を挟み沈黙が漂った。
「……えーと、それに関しては処分は一切下らなかったと聞いていますが?」
「だが社交界からは爪弾きだ。あの女好きにとっては死活問題だったんだろうな」
「はぁ。そういうものなんですかねぇ?」
あれが常套手段なら、夜会っていうきっかけを無くして途方に暮れちゃったのかもね。きっとこれ、パターン化してるんだろうなぁって感じだったし。
「それだけじゃない、ジョルジュには結婚を急がなければならない事情がある。それも相手が誰でも良いと言うわけではない」
誰でも良いと言うわけではないのは相手も同様では?誰でも良いと言うわけではないクラスの女性なら、そちらの方こそジョルジュは論外だろう。それでもやっぱりジョルジュが誰でもOKと言えない理由は、年子の弟さんの存在らしい。
兄とは真逆で真面目な弟さんは領地を任され熱心に経営に励んでいる。既に結婚しており夫婦仲は良好。長男長女に続き半年前には次男も生まれ、貴族として理想の家族構成を実現化されたそうだ。
黒歴史のせいで社交界から閉め出され、相変わらずうだつの上がらない平文官の長男と、所帯を持ったしっかり者の弟。二人の差が広がるにつけ、周囲はどちらが当主に相応しいかと考え始めた。というか、ハッキリ宣言していないだけで結論は出ているんだけど。
「弟嫁よりも格上の嫁が唯一の切り札ってことですかね?それはまだ理解できるとしても、どうしてリスクが有りすぎる偽のラブレターなんか出したんでしょうか?」
「それは…………ジョルジュだからじゃないか?」
アレンがぽそりと呟くとアーネストが呼応するように深く頷く。そして二人は顔を見合せてため息をついた。
ジョルジュって自信有りすぎっぽいもんね。それになんかこう……所謂おたんちんの匂いがしますもの。それも結構プンプンと。
ジョルジュの狙いは待ちくたびれた令嬢に偶然を装って近付き、声を掛けて口説くことだったのではないか?と聞かされ、『とみて捜査中』という注釈付きながら私は思いっきり納得した。
いかにもジョルジュが思い付きそうなアホっぽい計画ではないか。しかも王太子の名を騙るという、大胆に見えてその実何も考えていないやけっぱち感。この同窓生二人のトホホな様子を見るからに、当時から見ているこっちが恥ずかしくなるっていう、共感性羞恥心を大いに刺激してくれちゃう人物だったのだろう。
「同じような手紙は報告が上がっている限りではこれらを含めて五通。初めの二通は封蝋がなくただの悪戯だと相手にされなかった」
「それで手紙を本物っぽくする為に封蝋を……」
封蝋を利用するとは。赦せん!なんたる冒涜……
思わずギギギッと噛み締めた奥歯が音を立てる。
「梨子ちゃんにとってこんなに耐え難いことは無いわよね……」
声を振るわせた妃殿下が手で顔を覆って俯くとその肩を殿下が抱き寄せた。そしてアレンとアーネストが返事を催促するかのように私を見つめている。
こんなに耐え難いことは……無いのかなぁ?なんてことをしてくれるんだとは思うしジョルジュ赦すまじって感じだけど、同情した妃殿下に泣かれるほどの心痛とは違うのだが?
ちょっと違うと言いたいがアレンとアーネストからの『肯定しておけ』という無言の圧が物凄く強い。『そうでもないですよ?』なんて答えたらこのアウェイな空間から無事脱出することは不可能なのではなかろうか?
いや、絶対に不可能だ。
私は不本意ながら『はい』と答えた。