表情ってナニ?
「私と騎士様はこれといった接点がありませんし、実際三年も関わることなく過ごしてきたんです。毎日会う人に誤解されるのは嫌ですが、騎士様のような関わりのない人ならどうでも良いので、どうぞお気になさらずに」
ホントそれだ。もし今この時も誤解したまま詰られているのならいざ知らず、そうじゃないのならそれで良いのでは?
「またこれだ。俺が誤解を事実だとして触れ回ったかも知れないんだぞ?」
「そんな事をなさいますかねぇ?かなり正義感がお強そうですけれど?」
堅物の雰囲気漂う真面目さんにしか見えないアレンが、『聞いてくれよ』とか言いながらあることないこと言い触らす?待って待って、想像しただけで可笑しくてツボっちゃうんだけど!
「何故ニヤケるんだっ!」
「あ、いえ……」
慌てうつむき落ち着こうとしたが、余計に笑いが込み上げてきて肩の震えが止まらない。アレンは私が笑う理由に見当がつかず、だけど自分の何かを笑われているのを感じてイラついたのだろう。しかめられた目が冷たく光り、こめかみの辺りに『ピキッ!』という文字が浮かんで見える。
ピキッてるとかもう本当にヤメて!爆笑しちゃうから。で、止まらなくなるから!
私は深呼吸を繰り返しどうにか真顔を取り戻した。それでもうつむいたまま握り合わせた手に視線をロックしておく。アレンの顔を見たら危険だ。一気に爆笑に突入しかねない。これはもう、意識を逸らすために話題を変えるしかない。
とは言えこの状況で適当な話題なんて思い浮かぶはずもなく、仕方なくどうでも良いと言った元の話題に戻るしかなさそうだ。
私はちょっとでも油断したらニマっとしそうになる顔にぐっと力を込めながら、ぎこちなく尋ねた。
「騎士様はどんな誤解をされていらしたのですか?」
「え?……あぁ、そうだな。その話だった」
私の突然の方針転換にきょとんとしたらしいアレンだが、どうやら気が変わらぬうちにと考えたらしい。『行こう』と一言告げて歩き出し、しばらく進んだ所で口を開いた。
「実を言うと……君に謝罪する気は一切無かったんだ」
「はぁ……そうですか」
じゃあなんで謝る気になったのか?ちょっと気になったものの、相変わらず事務的な感情のこもらぬ私の返事にアレンは脚を止め天を仰いだ。
また説教を喰らいそうなので『それで?』と続きを催促してみる。アレンはチラリと私を見て、それからまた歩き出した。
「君を誤解していたというのは……アレは……あの程度の事、君なら屁とも思わないのではと……というのもあの時の君の話は実に論理的で説得力があったが……何しろ内容が……」
あー、年若いデビューしたての貴族令嬢が口にするには、かなり刺激的な内容でしたものね。
「えぇと、となると誤解というのは、私が純真無垢な振りをしつつ実は奔放で尻軽な娘だと思われたと?それで軽蔑していたからあの対応になった……」
「そういうことだ」
なるほど。そういうことになるのはもっともだ。それこそ私の暇疵である。だから仕方がないとは思うけれど、それよりもどうしてだろう?
「ですが、何故誤解だと気づかれたんですか?私は何一つ弁明していませんけれど?」
「奔放な尻軽娘が三年も夜会に出ないなど、考えられないじゃないか!」
「あー、それで」
夜会は奔放な尻軽娘のフィールドですものね。
「ジョルジュに同情はしないが、君があんな目に遭ったのも身から出た錆だと決めつけていた。だから君を案じる気持ちも全く起きなかったんだ。君は深く傷付いていただろうに、ずっと誤解したまま蔑んでいたなんて。本当に申し訳なかった」
「あのですね、私の心は全くもって無傷なのでお気遣いなく。それと尻軽については誤解だとわかって頂いたのでそれで良いです」
「どうしてそうあっさりと受け流すんだ!三年も悪し様に思われていたんだぞ?」
謝罪謝罪と言いながら、結局説教ばかりしているのを、アレンはいい加減に自覚してくれないだろうか?
再度脚を止め厳しい目付きで見下ろすアレンを不満を全面に押し出しつつ見上げると、ちょっと怯んだのか目元がピクっと動いた。
「でもその間私と騎士様の直接の関わりなんてなかったでしょ?」
「…………そ、そうだが……」
「それならその三年も無かったも同然ではありませんか!」
「そう……とも言えるのか?」
よし、攻めるぞ!とこっそり拳を握り、私は視線をライムグリーンの瞳に定めた。
パッとしない私だが瞳の色が暗いせいで眼力だけは抜群らしい。上目遣いの可愛らしさは期待できないが、目で訴えることに関してはこの瞳が有利に働く。妃殿下のポジティブ表現によると、猫のアイキャッチみたいにお星さまが瞬いて惹き込まれるのだそうだ。
そして目を見開いたアレンはまんまと固まった。
「そうですわ。ほんの些細な誤解なのです。わかってくれればそれでと申し上げているだけなのに、騎士様は何が気に入らないのですか?謝意は十分伝わりましたし、もう嫌悪感丸出しな態度を取られることもないのでしょう?だったらもう良いと思うのは当然で、それ以上申しあげる事なんかないではありませんか。なのにどうして一々声を荒らげてお説教をなさるの?そちらの方がよっぽど不愉快だわ。それともナニかしら?生理的に私がお嫌いでイライラなさるのかしら?けれども三年も接点が無かったのです。調書の作成が終わればもうお目に掛かる機会もないでしょうし、ここはちょっと我慢して穏やかに済ませたらいかが?」
「君は…………やはり相当危なっかしいな」
「おぉん?」
どうしてここで振り出しに戻るのっ!随分としつこいね、この人は。
「私ほど恙無く穏やかな代わり映えのない毎日を過ごしている人間は、そうそういないと思いますよ。ですからどうぞお構いなく」
「だからそういうところだって言うんだ」
「もう煩いなぁ、どこに文句があるんですか!」
「さっきも言ったじゃないか。君のその表情だ。自分じゃ全く気がついかないままやっているだろう!」
は?のおくちのまま声も出せず、今度は私が固まった。
表情ってナニ?なんの事?
「表情ってナニ?」
金縛りを強引に解くように無理矢理声を出して尋ねると、アレンは額に手を当て大きく息を吸いながら天井を見上げ、それから苦々しい顔を私に向けた。
「あまりにも斑があり過ぎるんだ」
「しつこいですね。だからムラってナニ?」
「もういいっ!」
額に当てられたアレンの手が移動し口元を覆う。それからプイと横を向いてまたスタスタと歩き出し、あとは一切口を開こうとはしなかった。
騎士棟の応接室に通された私に座って待つようにと手短に言い残し、アレンはさっさと出ていった。必要な書類でも取りに行ったのかと思っていたら、入って来たのはショートカットが凛々しい女性騎士のお姉様である。この素晴らし過ぎる神スタイルで騎士服とは実にけしからん!危うく飲みかけの紅茶を吹き出すところだったではないか!
「意味わかんないんだけど、アレンが調書を作れって言うなり慌てて出て行っちゃったの。だから私が話を聞かせてもらうわ。本当にごめんなさいね」
「いえ、全く構いませんから」
ここでも何かにつけてお説教されまくるのかと身構えていたのだ。しかし相手が麗しいお姉様にチェンジとは万々歳である。私は今日一の笑顔で答えた。
ブリジットと名乗ったお姉様は気だるげに脚を組み、ちょっぴりハスキーな声で質問をしてくる。これがまたやたらと耳障りが良くて、フワフワとした夢心地になり時間が経つのも忘れてしまう。まるで乙姫様のようだ。前髪をかきあげながらゆったりと質問をするお姉様。私はどっぷりお姉様の世界に浸かり、証言を終え調書に署名を記した頃にはもう窓の外は真っ暗だった。
「ご協力に感謝します。じゃあ行きましょうか」
「え?行くってどこに?」
「妃殿下の執務室にお送りするわね」
私は全力で両手を振った。引きこもりでも流石に城の中で迷子にならない程度の自信はある。一人で帰れるのだからお姉様の手を煩わせるなんてとんでもない。
しかしお姉様は顎先に指を添え、アンニュイに首を傾けた。
「アレンの指示なのよ。危なっかしいから必ず送り届けろってね」
「……またそれですか」
ホントにしつこいな、あの人。
「まぁ、アレンの考えている事もわかる気もするけど」
フフっとお姉様が笑いを漏らすそのお姿は猛烈にセクシーだ。なんか鼻の奥深くがムズムズしてきちゃうわぁ。
いや、萌えている場合ではない。今『アレンの考えている事も』という聞き捨てならない発言があったではないか。
「私、そんなに思慮分別が皆無な人間に見えますかね?ここに来るまでも散々お説教されたんですけど?」
「うーん、そうね。そういう意味じゃないのは断言するけれど、じゃあどんな意味かってことはアレンを問い詰めた方が良さそうよ?」
そう言うなりパチンとウインクを決めるお姉様。危なっかしいだけじゃなくお姉様の仰ることも理解不能だったが、こんな魅惑の一撃を喰らって私の思考能力が無事でいられるはずがない。
私は鼻の奥の違和感を気にしつつお姉様の後を追った。