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紙婚リコチャン その2


 「アレン?」


 アレンは目を見開いて私の顔を覗き込みました。


 「リ、リコは……妊婦…………なのか?」

 「そう、私妊婦なんだって」

 「リコが妊婦と言う事は……リコは妊娠中……ということ……か?」 

 「うん、さっきお医者様にご懐妊でございますって言われたから」

 「……………………」


 アレンは真顔で黙り込みました。何やらじっと考え込んでいます。


 「アレン?」

 「リコは懐妊だと医師が診断したんだよな?」

 「診断ってお医者様しかしないんじゃないの?」

 「リコ……つまり君のお腹には……いるんだよな?」

 「……?」

 「リコ?懐妊だと言われたってことはだぞ?リコのお腹には……いる、という事なんじゃないのか?」

 「ん?」


 私はそろりと視線を下に下ろしました。丸まって眠るミロの体温でぬくぬくしているお腹。その中に……


 「赤ちゃんがいる……ってこと?」

 「そうだ……リコの大好物だろう?」


 私は条件反射のように首を上下に振りました。


 「それに……ただの赤ん坊じゃない。俺とリコの初めての赤ん坊……じゃないかと思うんだが?」

 「アレンと私の………………赤ちゃんっ!」


 思わず飛び上がるように立ち上がった膝から滑り落ちたミロが『シャーっ!』と抗議の声を上げて逃げて行きます。残された私はもて余した両手を何気なく下っ腹に当ててみました。


 「ホントに赤ちゃんが居るのかな?」


 思わずそんな言葉がこぼれます。だって見下ろしたお腹に何ら変化は感じられないのです。けれどもアレンはまた私をアヒルちゃんにしながら笑って言いました。


 「今はまだわからないが妊婦のお腹は徐々に大きくなるものだろう?懐妊と言われたのなら確かなんじゃないか?」

 「……そうね……そうだわ。私のお腹には…………私達の赤ちゃんが居るんだわ!」


 アレンはアヒルちゃんのままそう叫んだ私にキツツキのようにデコチューを繰り返し、はっと気が付いたように慌てて私を座らせました。


 「まさかとは思ったが、今になってようやく理解したのか?」

 

 私はてへっと笑いました。何ですかね?自覚もないのに妊娠じゃないかと疑われゴリ押しで妊婦扱いをされたことへの反発心からなのか、はたまたほぼほぼ疑念しかなかったのに懐妊だと断言されたのが予想外過ぎたのか。とにかく私は今の今まで妊娠したことは納得したにも関わらず、それと自分のお腹に私達の赤ちゃんが居るっていう事実がイコールで繋がっていなかったのです。


 アレンはアレンで私があまりにも淡々と報告するせいで『もしかして、自分が考えている妊娠は世間のものとは違うのかも……』とおかしな猜疑心に取り憑かれたみたいです。


 私達の初めての赤ちゃん。可愛いで溢れる私の世界にまた新しい可愛いが追加される。しかもそれはまだ存在すら信じられないくらいなのに、もうあり得ないほど可愛くて愛しくて堪らないのです。なんて凄い破壊力なんでしょう。


 嬉しさで心臓が跳び跳ねるように鼓動しています。少し、いいえ、かなりの息苦さを感じ目を閉じて深呼吸をしていたら、隣から変な声が聞こえてきました。


 「ぐっ……ふふっ……ふえっ……」


 俯いて顔を覆っているアレンは既に泣きじゃくっておりました。そういえばこの人は結婚式でも一人で号泣していましたっけ。


 「アレンってそんなに赤ちゃんが欲しかったの?」


 あまりにも泣くので思わず聞いてみたらアレンは『別に』と首を振りました。


 「リコさえいてくれたら何もいらないと思っていた。思っていたが……こんなに嬉しいなんて……自分でも驚きだ!」


 そう言うなりまた私をアヒルちゃんにしてキツツキ的なデコチューを始めたアレン。


 その一つ一つが心を幸せで満たし胸が一杯になった私は……


 ついでに激しいムカつきを覚え慌ててトイレに駆け込みました。


 こうしてスタートしたのは絵に描いたような悪阻で、確かに私は妊婦だと自覚せざるを得なくなったというわけです。


 結局私はそのまま産休に突入しました。妊娠中期に入り悪阻も落ち着いて来たので一度復帰しようかとも思ったのですが、出勤するなりまたシーリングワックスにやられました。


 治まっていた悪阻がしっかりぶり返し今度は水を飲んでもトイレに駆け込む始末。ちびちび果物の汁を啜るしかできないカブトムシみたいな毎日ですっかりやつれ、医師には安静を命じられました。


 「きっと赤ちゃんの仕業ね……」


 生まれて一月が過ぎたジュディット王女殿下をお忍びで見せに来てくれた妃殿下は、そう断言しました。


 「梨子ちゃんは自分の丈夫さを過信し過ぎなのよ。あれじゃ赤ちゃんが危機感を覚えるのも当然でしょう?だから寝込ませたのね。そうじゃないと絶対にウロウロするもの」


 揺り籠で眠るジュディット殿下……ジュディちゃんを夢中で眺めていた私は大きな溜息をつきました。


 確かに復帰しようとした時は予定日ギリギリまで働く気満々でしたし、あの時期は妃殿下の産休を控え私室付女官一同は多忙を極めておりました。そんな中にいたら、私も多少の無理は気にせずに仕事をしていたことでしょう。


 「それにしたって辛かったんだから。しかもその後も色々あって一日中寝てなきゃならなくなったし」


 ようやく悪阻が治まったと喜んだのもつかの間、今度は少量ながら出血があったりお腹が張りやすかったり。一時は早産の兆候がみられるからと安静の前に絶対を付けられてしまうほどで、アレンまでもが心労のあまりゲッソリしてしまったのでした。


 「もう少しの辛抱よ。臨月に入れば動けるようになるからね」


 妃殿下は私の布団をパタパタと整えながらそう言いましたが、ふと手を止めて


 「でもチャリに乗るのはダメよ?」


 と釘を刺しました。そんなことすら注意を受けるだなんてという不満はありますが、実はそこのところはアレンからも厳重注意を受けており、つまり私はさもやらかしそうなニオイをさせるタイプらしいです。


 「ご安心下さいませ。臨月に入ったら常に付き添うようにと旦那様が仰っておいでですからね。もしもの場合は全力で制止いたしますわ」


 丁度そこに入ってきたマリアンが胸を張って宣言し、二人で深く頷き合っていますが全くもって心外です。


 「苦労をかけて申し訳ないけれども、マリアンが側にいてくれて本当に心強いわ。どうかしっかり見張ってちょうだいね」


 ぐずり出したジュディちゃんを抱き上げあやしながらマリアンに言いつけている妃殿下ですが、今ジュディちゃんがお召しのベビードレスは私がお祝いにと送ったものですけれど?医師の言いつけを守りお風呂とトイレ以外ベッドから降りられずに暇を持て余し、一面にこれでもかと小花の刺繍を入れた特別な一品です。それだけではありません。お腹の赤ちゃんの為に用意した布製品全てだけではなくアレンの複数枚のハンカチ、他にも多数の品々に刺繍を施したのです。上手だけれどものすごい時間がかかる私の刺繍の数々は、いかに私が医師の言いつけを守りじっとしていたかの動かぬ証拠ではありませんか。


 ここまで素直で従順な私を誰も評価してくれないとは理不尽な話です。ムスッとした私でしたが妃殿下は心得たとばかりにご機嫌になったジュディちゃんを膝に乗せました。こんな事をされたら私のご機嫌も直らぬわけがなく、というかハートは萌えではち切れんばかりです。ウィルきゅんはパパにそっくりですが、ジュディちゃんは完全にママ。ついこの間生まれたばかりの赤ちゃんだけど、将来は妃殿下と同レベルの女神様級美女になること請け合いの美しい赤ちゃんです。あぁ可愛い。筆舌に尽くし難い可愛らしさでございます。


 ジュディちゃんは黒目がちな瞳で私を見つめ、ふいっと虫笑いを浮かべました。


 「くぅ……」


 愛し過ぎて胸が苦しい。悶絶している私の様子を見た妃殿下が静かにベッドの縁に腰を下ろしました。


 「どっちかしらね?アレンは何か言っているの?」

 「どっちも良いって!」


 『まぁ!』と目を丸くした妃殿下はカラカラ笑いました。


 『どっちでも良い』と言う旦那様はいても『どっちも良い』と言う旦那様は珍しいですものね。


 「素敵な旦那様ね」

 

 微笑む妃殿下に私は胸を張りました。


 「そうなの、とっても素敵な旦那様なのよ」

 

 たった一文字、されど一文字。『どちらが生まれてもそれぞれ色々な楽しみがあるからどっちも良いな』と言われた時、私は心底アレンと結婚して良かったと思ったのでした。

 

 妃殿下はポワンと欠伸をし始めたジュディちゃんを抱き上げ優しく揺すりました。ウィルきゅんが赤ちゃんの頃も目にしていたはずなのに、今の私はそんな仕草を見る度に胸がくすぐったくなるのは何故でしょう?これって私にもしっかり母性が芽生えてきているからじゃないかしら?


 なんていう柔らかな心持ちでお腹を撫でていたにも関わらず、妃殿下ってばしつこいのです。


 「だったら尚の事赤ちゃんを無事に迎えれるようにしないとだめよ?いいわね?」


 結局そこに戻るのかとうんざりはしたものの、妃殿下が、それに同感だとばかりに大きく頷いているマリアンが私とお腹の赤ちゃんを心から心配してくれているのは疑いようもなく、私は素直に『絶対にチャリには乗らない』と誓いました。いや、誓わなくても乗らないんたけどな。


 にも関わらず私の誓いを信じる者は皆無でした。結局私は産気付くその時まで、見守りを厳命されたマリアンに監視の目を光らされていたのでありました。




 


 

 


 


 

 

 


 


 


 


 


 

 


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