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リコチャンとお兄様


 就業中にも関わらず私が廊下を歩いているのは珍しい。執務室を出るのはほぼ女官居室と食堂往復に限定だから。しかも今向かっているのは、関わりがないと言い切れちゃうくらいの王太子殿下の執務室なのだ。

 

 突然呼び出されたものの何の用事か見当もつかないまま、首を捻りながらたどり着いた王太子殿下の執務室。入り口で待っていたのは王太子殿下付き近衛騎士のアーネスト・マクレガン。王太子妃私室付き女官のくせに王城スタッフの中でもほんの一握りしかいない、私の数少ない知人の一人である。どうして知り合ったかというとこれぞ正真正銘の縁故だ。例の伯母の夫の姉の息子……とはどういう間柄になるのか知らないが、とにかく私とは血縁は無いが伯母の甥であり、私の面倒を見てやって欲しいと頼まれた気の毒な人である。ちなみに丁度良い!という理由で件のテビュタントのパートナーにもさせられた。


 という過去を持つ既婚者の、もうすぐパパになるぞっていう遠縁のお兄ちゃんですからね!


 「ねぇ、用件って何?」


 あまりにも心当たりが無さすぎて気味が悪い。事情を知ってはいないかと尋ねたが、アーネストはヒラヒラと手を振った。


 ちっ、使えぬ縁者め。


 「ちょっとした協力だよ」


 それでも一言だけ耳打ちしてくれたから赦してやろうと思うけど、協力ってなんだ?この城の全女官の中でも私の右に出る使えない人物はいないのだが?なぜ私が?


 通された執務室の窓辺に背を預け、顎に指を添えながら書類に目を通していた王太子殿下が気配に気付いてこちらを向いた。銀髪がサラリと揺れサファイアのような瞳が輝くそのお姿の向こうに、幻の白薔薇が浮かんで見える。


 うーん、今日もばっちり目の保養をさせて頂きました!


 ということでこれにて失礼したいんだよなぁ、と思いつつ、私はスカートを摘んで膝を折った。


 「リゼット・コンスタンス・るぃ」「リコチャン!元気そうだねっ!」


 名乗り終わらぬうちに駆け寄ってきた殿下が、私の両手を持ってブンブン振っている。


 と、ここでリコチャンについて説明しよう。


 優秀有能なアンジェリーヌも、王太子妃になりたての頃はかなりテンパッていたらしい。


 そんな中で私の呼び方をオン・オフで切り替える余裕がなく、早々にリゼット・コンスタンスを放棄。リゼット・コンスタンスだからリコで、チャンは故郷の女性の名に付ける呼称だと適当な理由を捏造した。


 必要とあらば手段を選ばぬオンナである。


 実際リゼット・コンスタンスは仰々しく呼び辛らかったのだろう。皆さんからも『リコチャン』と呼ばれるようになった。


 というわけで、職場のリコチャンはまぁ良いのかな?と思うけれど、嬉しそうにブンブン手を振っている未来の国王はどうなのだろう?


 「リコチャンたら全然会いに来てくれないんだもんなぁ。アンジーやウィルだけずるいよ」

 

 ずるいと言われても私はアンジーことアンジェリーナ王太子妃私室付き女官だ。妃殿下の執務室が職場なのだから毎日会うのは不可抗力だ。そしてウィルことウィリアム王子殿下は私の癒し成分なので、定期的に補給する必要がある。だから会いに行っていますが、それがなにか?


 「ゴブサタイタシマシテモウシワケゴザイマセン」

 「棒読みーっ、あからさまに棒読みーっ。リコチャンひどーい。お兄様泣いちゃうぞ!」

 

 目の保養オンリーで失礼したかった理由はこれだ。あの完全無欠の女神様、アンジェリーナ妃殿下の愛する人は見た目はパーフェクトだし仕事もできる。だけどこの通り言葉にし辛い何かがあるのだ。妃殿下曰く、そこが可愛らしくて胸キュンポイントなのですと。全く理解できないけれど。


 一応時と場合は見極めるらしく頭の回転も早いからオソソしちゃう心配はないのだが、やっぱり色々不安だよね。

 

 そんな殿下がこのように私を構いたがるのは、愛するアンジーに『妹のような子なのよ』と紹介されたからだ。アンジーの妹は僕の妹。彼女ちゃんの飼い猫に懐いて欲しい彼氏さん的な感じで、お兄様として仲良くしなくちゃと張り切っているのである。


 鬱陶し過ぎて泣ける。


 「殿下、彼女は仕事を中断して参りましたので用件を」


 手慣れた様子のアーネストに促され、殿下は『そうそう、ごめんねっ!』と王子様スマイルを振り撒きながらソファに座るように勧めてきた。言われるままに腰を下ろすとローテーブルに置かれたトレイに一通の開封済みの封書が乗せられている。


 「これは?」

 「送ったはずのない手紙を受け取った者がいてね。現在調査中なのだが……」


 やればできる殿下は王太子モードで封書を手に取り差し出してきたが、受け取りもしないまま私は首を傾げた。


 「偽物ですけど?」

 「はやっ!まだ何にも言ってないのにっ!」


 折角の切り替えを台無しにされ殿下が不服そうに文句を言うが、私の知ったことではない。とにかくこれは王太子印璽が押されたもの……のように見えるけれど、偽物なのだ。


 「ほら、ここ。煤がついていますもん」

 「煤?うん、付いてるね」

 「だから偽物です」

 「待って待って!それだけ?それだけなのっ?お兄様、リコチャンが使うと思って虫眼鏡とか虫眼鏡とか虫眼鏡とか用意したんだけど!」


 確かにトレイの隣には大中小の虫眼鏡が並んでいる。だけどこれはそんなのいらないくらい一目瞭然。


 「王室の封蝋に煤は付きません」

 「は?」

 「封蝋に使用する蝋は芯があるものとないものの二種類があるんです。煤が付いたのは芯入りの蝋を使ったせいです。蝋燭と同じように芯に火をつけ溶けた蝋を直接垂らすんですが、こうやって煤が付いてしまうんです。王室で使われるのは芯がない蝋で、専用のスプーンに入れキャンドルで温めて溶かします。手間が掛かりますが煤で汚れることはありません」


 間違いない。何を隠そう王室で使用している封蝋用品は、全部私が選んで仕入れているのだから。本来女官の仕事じゃないのだが、あれこれ小うるさい注文を付けていたもので『じゃあ自分でやれ!』って丸投げされちゃったのだわよね。


 じーっと封蝋を見ながらこくりと頷いた殿下だが、首をひねり私に視線を向けた。


 「だけどこれ、王太子印璽だよね?」

 「さぁ?それはわたくしにはなんとも。日々どれだけの封蝋された書簡が送られるでしょうか?そこから型を取って模造品を作るのは、腕の良い細工師なら可能なのではないかと思いますが」


 補佐官達がざわめいたが、殿下は右手を上げてそれを制し厳しい顔で黙って私を見つめた。


 「この封書に関しては偽物だと言い切れますが……そもそも封蝋は未開封の証でしかないと認識した方が良いと思います」

 「なにを言うのだ!」


 一人の補佐官が激昂して大声を出し睨み付けて来たが、ノーリアクションの私がちらりと冷たい視線を送ると口を閉ざした。


 「お気持ちはわかりますが、こうして持ち出されるはずのない王太子印璽が押されているのです。この機会に認識を改められるべきかとお思いになりませんか?」

 「そ、それなら封蝋は無用長物だと」「なにを仰るのですっ!」


 思わず被せて叫んじゃったので、補佐官がヒュっと小さな悲鳴を上げてたたらを踏んだ。


 あ……と思ったが、先に同じ内容で怒鳴りつけたのはそちらなので無かったことにしよう。こほんと咳払いをして仕切り直し、お行儀良く膝の上で手を重ねて補佐官に問いかけた。


 「封蝋のない封筒なんて味付けの無いステーキのようなものですわ。そうではございませんか?」

 「ステーキ?」

 「えぇ。塩も胡椒もふらずに焼いた肉をソースをかけずに食べたらどうでしょうか?どんな高級肉だとしても物足りなくはないですか?」

 「確かになぁ」


 ポワンと浮かんできたのか、殿下は空を見つめながら顔をしかめている。補佐官も認めるように渋々と頷いた。


 「もしも封筒が糊で貼られているだけなら、やはり物足りなく感じるのではありませんか?このコイン一枚ほどの大きさの封蝋がどれだけの付加価値を生み出すことか。華やかさ、威厳、格調、優雅さ……他にも沢山の効果をもたらすのです。封蝋、それは芸術です。視覚的効果として絶対に必要不可欠なのです!」


 私の力説に一同が唖然としている。ここは大きく頷いて肯定して頂きたいところだが、ついてくるのには高難度だったかな?


 微妙な沈黙が執務室を包んでしまったので、仕方がない。責任を取って話題を変えてみよう。


 「どうやら正式な書状ではないようですね?」


 正式な書簡ならエンブレムの透かしが入った用紙が使われる。こちらも偽造できなくはないけれど大掛かりな設備が必要になり、偽物の印璽よりも難しいのではないかと思う。だがこれはどこにでも売られているようなありふれた封筒だった。


 「すっごいプライベートな内容なんだよね。ほら、僕もプライベートなのは普通のレターセットを使うだろ?で、これもそうなの」


 ほらと言われても知らんが、妃殿下もプライベートなお手紙ならその時々の気分で自由にレターセットを選ばれる。


 して、すっごいプライベートな内容?それ、絶対に関わりたく無いやつだ。


 それなのに詳細は聞くまいと心に誓った私が止める間も無く、殿下は目を見張る手早さで封書から中身を取り出して突きだした。

 

 輝くばかりの、だけどほの暗さをたたえた王子様スマイルの殿下が憎い。仕方無しに手を伸ばす私の顔は、思いっきりどんよりしているだろう。




 


 


 


 


 


 

 


 

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