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早く帰りたいな


 良く晴れた六月の第二日曜日、当初の予定通り私達は晴れの日を迎えた。


 お式の間、聖堂のあちらこちから絶え間なく聞こえて来たすすり泣き。縁起でもないが実際葬儀レベルに涙を流す参列者の数に司祭様は訝しそうなお顔をされていて、気が付かぬふりをしながらも私は非情に肩身が狭かった。


 それだけじゃない。『フグぅっ…………』という押し殺した声に隣を見上げると、礼装用の騎士服姿のアレンが、勲章を何個もくっつけている屈強で精悍なエリート近衛騎士のアレンまでもが滝のように涙を流している。そして私は見るからにひいている司祭様に愛想笑いを向けるしかなかった。


 結婚式なのにまるで私のお咎め集会……女子力のなさと無気力さはこんなにも罪深いのか?『一生嫁に行けないかとどれだけ心配したことか』という心の声が飛んでくる矢のようにチクチク私を突き刺して、申し訳無いったらない。


 そんな中で意表を突いてケロッとしていたのは遠路はるばる領地からやってきた母で、『半信半疑だったけど、リゼット・コンスタンスったら本当にお嫁に行けるのねぇ……』などとほざき、この結婚の功労者を自負する伯母にめちゃくちゃ窘められていた。当然だ。


 今日の母は凄く綺麗だ。服装なんて実用性第一、必要ないからとお化粧すらしているんだかいないんだかわからず、私とそっくりの直毛の黒髪をひっつめているだけの母。なんだかんだ言って、私のこの女子力のなさはこの人の遺伝子のせいなんだろうなと思わざるを得ない母。その母が王都の淑女に引けを取らないどころか、すれ違った人が振り向いて二度見するくらいのオーラを放っている。


 「見てご覧なさいな、ちゃんと着飾ればこんなに美人さんなのよ!」


 カタログから適当に選んだワンピースを何処かにポイっとされて、伯母と元お洒落番長である従姉セレクトの衣装一式を身に纏い、デキるベーゼン侯爵家のメイド諸君のヘアメイクで仕上げられた母は、何時ぞや聞いたのと同じことを伯母に言われていた。結局私は今生のこの母の娘で、転生者だからといって遠慮も躊躇も不要だったのだ。躊躇うことなんかない。早くも溺愛モード全開のアレンの愛情を受け止めれば良いのだ。


 ……とわかっていてもそう簡単なものではなくて。


 何しろアレンの愛は重い。重すぎる。両肩にのしかかった愛の重さで地面に足がめり込みそうだ。


 式を終え披露宴会場であるベンフォード侯爵本邸に向かう馬車に揺られている今も、隣に座るアレンは愛を囁やきまくっている。元々アレンは向かい側に座っていた。しかしあまりにも凝視されていたたまれなくなりそっぽを向いたら、すかさず横に移動して例によってアヒルちゃんにされてしまい、そして現在進行中である。


 アレンはアヒルちゃんにも躊躇なく愛を囁く。ひっきりなしに囁く。絶え間なく続く愛の囁きはまるで読経だ。よくそんなに囁くことがあるなと感心すらさせられる。


 「あぁ、なんて美しいんだ……」


 うっとりと目を潤ませながらそう言ったアレンはチュっと音を立てて額にキスをした。どうやらこの男、デコチュー大好きさんらしく、愛の囁やきに自ら合いの手を入れるようにデコチューをしてくる。『リコの愛らしい額にはキスをせずにはいられない』なんて言っているが、愛らしい額ってどんなだ?おでこに愛らしいも何もあるのか?


 アレンはわかっているのだろうか?花嫁さんなんて美しいのが当たり前でこれが普通だってことを。この加工にどれだけの人手と手間と時間が掛かっていることか。何しろ作業開始は夜明け前だったんだから少しくらい誉めて貰えないと関係者の皆さまに申し訳が立たないが、それでもここまでしつこく繰り返さなくて良い。もうお腹一杯だ。


 「見とれるのは良いけれど中身は変わらないってことは肝に命じてちょうだいね。アレンも認めてたじゃないの。私は魔法が掛かっているだけのパッとしない地味で野暮ったい女なんだから」

 「何を言うんだ。地味で野暮ったくてもリコは美しいのに。世界で一つだけの俺の輝く宝石だ」


 アレンはふっと口元を緩めまた額にキスを繰り返す。もうおでこに塗った白粉は全部アレンのお腹の中に消えちゃったかも知れない。


 「……どうした?」


 ふと考え込んだ私を見てアレンはやっとほっぺを挟んでいた手を離した。


 「久し振りに母に会って思い出したんだけど……」


 あれはまだ、自分が転生したなんて夢にも思っていなかった幼い頃の事だ。


 屋敷の裏庭で(と言っても都会と違い塀に囲まれているわけではなく、どこまでが裏庭なのかわからないようなものなのだが)蟻の巣を眺めていた私は、何処からかひょっこりと現れたイノシシと出会し目が合った。田舎とはいえイノシシと遭遇したのは初めてで、ただイノシシがここまで来るなんて珍しいなぁと眺めていたのが悪かったのか、そのイノシシは私を目掛けて凄い勢いで突進してきた。


 恐怖で動けなくなった小さな私。するとそこにひらりと躍り出た母が怯むこと無く手にしていた箒を構え、至近距離まで引き寄せてから眉間を一突きしイノシシを撃退した。


 鋭い眼差しで逃げていくイノシシを睨みつけていた母。子どもながらに『お母様って野暮ったい』と思っていた私の目に映るその横顔は、冷ややかで、けれども眩いほどに輝いていて、小さな私はあまりの美しさに瞬きすら忘れて魅入っていた……


 「……ってことがあったのを思い出してね。そういえばそんな時の母って凛として纏う空気が一変するの。アブに噛まれて暴れた馬に跳ねられそうになった私に飛びついて間一髪難を逃れた時でしょ、登っていた木の枝が折れて落ちた私を駆け寄って受け止めた時でしょ?今にも口に入れようとしていたすっごく美味しそうだけれど猛毒の木の実を叩き落とした時もだったし……」

 

 その他にも両手で有り余るエピソードがどんどん出てくる私を、アレンは『待て待て待て!』と頭を抱えながら止めた。


 「一体何度死にかけているんだ!?俺の記憶が確かなら、リコは開国から続く由緒あるルイゾン伯爵家の一人娘なんだぞ?」

 「んー、それ多分逆よ。開国のどさくさ紛れだから爵位を貰えただけだと思うけど?ルイゾン伯爵家は歴史の長さしか取り柄のない呑気な田舎貴族だもの。じゃなきゃ私が林檎の摘花作業なんてしないでしょう?あ、そう言えば摘花といえば林檎畑で」「あー、もういい!」


 アレンは大慌てで私を抱き寄せた。


 「リコにとっては懐かしい思い出に過ぎないのだろうが、俺の身にもなってくれ。寿命が縮まりそうだ!」

 「そうかな?」


 首を傾げそうになった私はまたほっぺを挟まれてアヒルちゃんに逆戻りで、できたのは瞬きだけだ。アレンはこくこくと頷くとまたしても私の額に、しかも左右真ん中と三ヶ所にキスをした。


 「そ、それはそうとねっ!!」


 このままではおでこだけがピカピカ光だしてしまうかも知れないと本気で心配になってきた私は、慌てて話の軌道修正に乗り出した。即ち話を元に戻したのだ。


 「アレンは『リコは宝石だ』って言うけれど私は肯定できずにいたの。だけど箒を片手に仁王立ちしていた母の横顔を思い出したら、何だか腑に落ちた気がするのよね。普段の母は地味で野暮ったい田舎のおかみさんよ。でもなんの変哲もないつまらない石ころのようで、時に目が眩むほど煌めくことを私は知っている。アレンが言うように私が宝石だとしたら、それはきっと母から受け継いだものなんだと思う」


 アレンの返事は言葉でも額へのキスでもなく情熱的な口づけで、這う這うの体でどうにか逃れたのは丁度馬車が止まりドアが開かれた時だった。


 せ、セーフだと思う。うん、多分そう思いたい……


 アレンの手を取って馬車を降りた私は先回りしていたベーゼン侯爵邸のデキるメイド諸君に出迎えられた。披露パーティのドレスへのお召し替えに連行する為である。


 「お任せ下さい。本日はご要望通りのふんわりくるくる二割増しカールで仕上げますわ!」


 胸を張って宣言したメイド諸君にアレンは満足そうに頷き、それからまた私の額に、しかも恥じらいもなく極々自然に当たり前にキスをしてから『またあとで』と囁いた。


 メイド諸君は一斉に『キャーっ!』と黄色い歓声を上げ、私は入れる穴さえ見つかったら直ぐにも飛び込みたい気分だ。それなのに早朝からの疲れがどっと出てげんなりした顔をしている私に、アレンは『なにか?』と言うように不思議そうに首を捻った。一切悪びれていないし、何ならげんなりの原因の半分はアレンでできているとも思っていない。


 首など一生捻れないように、お前もアヒルちゃんにしてやろーか?


 けれども今日はおめでたい晴れの日だ。黒い感情を押し込めながら首を振って微笑んだ、脳内アラサーの大人な自分を褒めてあげたい。


 「何でもない……支度をしてくるわね」

 「あぁ、行っておいで」

 「ねぇアレン……」


 踵を返そうとしたアレンの袖口を摘み見上げると、アレンは時間が止まってしまったかのように固まった。何だかこれ、見覚えがある気がするがまあいいか。私は背伸びをしてアレンの耳に顔を寄せた。


 「早く帰りたいな。私達の家に……」


 疲れた私を癒やしてくれるのはミロだ。あのもふもふのお腹に顔を埋め思いっ切り吸い込みたい。膝の上でフミフミしながらゴロゴロと鳴り続ける喉の音を聞きたい。猫が、ミロネッコ成分が足りない。早くミロを補充したい。


 帰りたい、私とアレンとそしてミロの家に。


 「……………………」


 アレンは何も答えない。アレンだってミロが足りないよね?早くミロに会いたいよね?


 それとも呆れたかしら?


 自分の婚礼なのに帰りたいなんてやる気が無さ過ぎた?考えてみればそうかも知れない。武官だもの、今日一日くらい女子力を振り絞れないのか!と根性の無さにイラっとしたかも……


 私の胸がいい加減不安で一杯になった頃、固まっていたアレンがようやくパッチンと重々しい瞬きをした。

 

 「家に……帰りたい?」

 

 まさかそう言ったのかと確認されているのかと思ったら、アレンは返事は求めていないらしい。見る見る顔を、いや首や耳までを真っ赤に染めるとゴクリと喉を動かした。真っ赤になって言葉を失くすなんて、本気で怒らせちゃったのかな?


 「アレン?……ホンゲェっ!」


 身体が浮いたと思ったらアレンはもう私を肩に担いでいて、馬車の扉に手を掛けていた。


 「馬車を出せ!別邸に戻る!」

 「え?だってこれから披露パーティが」

 「勝手にやらせておけば良い。さぁ帰ろう!」

 「待って待って!新郎新婦抜きの披露パーティなんて聞いたことないわよ!」

 「パーティなんか、料理と酒を出して音楽を流しておけばいい。さぁ帰ろう!」

 

 やっぱりアレンもミロが足りないらしく、担がれた私が何を言っても『さぁ帰ろう!』しか返って来ない。


 「どうしましょう!アレン様の理性が崩壊してしまわれたわ!」


 と半泣きでオロオロするばかりの青い顔のメイド諸君に制御できるはずもない。花嫁衣装着用だというのに脚をバタバタして大暴れの抵抗も虚しく、ミロ不足のアレンは暴れる私を担いだまま馬車に乗り込もうとしていた。


 もう主役不在の披露パーティもやむなし!と諦めかけたその時、運良く到着したのがアレンの同僚第三近衛騎士団御一行様で。アレンは3人がかりで羽交い締めにされ、私はやっと地に脚が着いた。


 「気持ちはわかるがまだ昼間だろう!」

 

 顔を引きつらせたアーネストに謎の文句を言われたアレンは


 「既に対策済みに決まっているだろう!鎧戸もカーテンも厳重なものに総交換したんだ!」


 と喚き散らしている。


 ん?アレンは勘違いしているみたいね。


 「猫は夜行性じゃないわよ?」

 「は?」


 羽交い締めを振り解こうと暴れていたアレンはピタッと動きを止めた。


 「それに日向ぼっこが大好きだから暗くしたら可哀想よ?」

 「「「は?」」」


 今度は騎士団員御一行も揃って口を開けている。


 ワタクシ、なにかおかしなことを言ったでしょうか?


 見に覚えはないが何かやらかしたのは間違い無さそうだ。


 「…………リゼットは苦労しそうだと思ったが、アレン、お前も色々大変そうだな」


 アレンに声を掛けたアーネストが心底気の毒そうな顔なのは心外だ。けれどもアレンは気にする素振りもなく、むしろ誇らしげに胸を張って私に歩み寄った。


 「俺はそんなリコに夢中なんだ」


 そしてアヒルちゃんになった私のおでこには、何度も何度もアレンのキスが落ちてきたのだった。



 


 


 


 

 


 




 

 


 




 



 



 

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