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戸惑いと混乱って何だ?


 何を言っても無駄だと判断したのだろう。マリアンとコニー、それからロバートは無言のまま一礼し立ち去ろうとしたが、ふとコニーが振り返りアレンに厳しい視線を投げ掛けた。


 「アレン坊ちゃま、こんなに焦れったい思いをするのはもう沢山ですからね」

 「わ、わかっている……」

 「わたくしだけではありませんわ。王太子殿下をはじめ、此度のことに関わり協力し見守り続けた多くの人々の総意でございます。あ、そうそう、お嬢様?」


 こちらを向いたコニーはにっこり笑ったが目だけは厳しいままだ。怖い、なんか怖い。


 「何か?」

 「農夫達が林檎の収穫を手伝って欲しいと、そう申しておりましたわ」

 「私でお役に立てるなら……」

 

 もちろん人手はいくらでも欲しい時期だ。だけどいくら手慣れた私でもわざわざそんな依頼をするほど人手不足には見えなかったけれど?


 それなのにどうして?と瞬く私に、コニーは今度こそ目元まで和らげて笑い掛けた。


 「そして来年の春にはまた摘花を、そして秋には収穫を。毎年毎年共に作業に加わって欲しいそうです。断っておきますが、いくら農夫だとはいえ彼等も身の程は弁えております。それでもすっかりお嬢様を崇拝しておりまして、どうしてもお伝え願いたいと懇願されましたの」

 「…………はぁ」


 そうか、そうだよね。農夫達には驚かれたが私は一応伯爵令嬢で王太子妃私室付き女官。その私に農作業の手伝いなんて本来ならば申し出る筈がない。お咎めを受ける覚悟で申し出たのだから、プロの目は田舎仕込の手際のよさに『コイツは使えるぞ!』と直感したのだろう。


 そういうことかと納得している私にコニーは言葉を続けた。


 「さすがに断れませんでした。だって彼等もまたアレン坊ちゃまの幸せを願う者達なのですからね」


 ん?農作業の人員確保とアレンの幸せにどんな関係があるのかな?所有している果樹園の順調な運営が巡り巡ってアレンの利益になるからってことだろうか?


 そうは思ったものの確証はなくうやむやな愛想笑いを返すしかない。するとコニーは一転してその場の空気が凍りつくような冷ややかな声でアレンに話しかけた。


 「ご覧なさい、この通りでございますわ。正面からぶち当たらなければ伝わらない相手もいる。砕け散るのを恐れていては何も始まりません。どうかそれを肝に銘じられますように」


 そう言ったコニーはまだ何か言いたそうだったが、ロバートに促されて渋々出て行った。私、何かコニーを明王化させてしまうような失言をしただろうか?手伝いには行くって答えた時は笑顔だったはすなんだけど、ざっと思い返しても全くそれらしいことは思い当たらない。


 「場所を移そう」


 そう言われた私はコニーの明王化については一時保留を決め、ミロを抱いたアレンと共に書斎に移動した。初めて入るこの部屋はそんなに大きくはないが、いかにもアレンらしい落ち着いた調度品で揃えられた居心地の良い空間だ。ソファの足元にはミロの為の膝掛けを入れたバスケットが置いてある。書斎に入るなりアレンの腕から飛び降りて当然のようにここに入ったのだから、ミロは頻繁にここに入れて貰っているのだろう。


 私とアレンはミロを挟むようにソファに並んで腰を降ろした。ミロは早速ぺろちぺろちと背中や尻尾を舐めている。この場所が気に入っているらしく見るからにご機嫌だ。その満ち足りた様子はいくら見ていても見飽きないくらい、眺めているだけで幸せになる。


 「…………リコ」


 遠慮がちに呼ばれて顔を上げるとアレンが困ったように眉間を寄せている。それもそうか。話がしたいと呼び出したのに、私ったらミロに夢中なんだもの。


 「ごめんなさい……やっぱりミロはマリアンに預けましょうか?」

 「だ、大丈夫だっ!こ、こんなに寛いでいるのに追い出すなんて、ミロが可哀想だ。そっ、そうだよなミロ?」


 何故か大慌てのアレンの問いかけをミロは完全無視で毛繕いを続行している。確かにこんなに上機嫌なミロを移動させるのも可哀想だ。それならと私は座り直し身体をアレンに向けた。


 「それで?聞いて欲しい話って何かしら?」

 「すまなかった……」


 私がわざわざそっちを向いたというのに、今度はアレンが屈み込んでミロに手を伸ばして撫で始めた。


 気持ちはわかる。どうして猫を撫でるのか?そこに猫がいるからだ。でもこうなっちゃうんだもの、やっぱりミロには退場してもらった方が良くないか?


 ただしアレンは私とは違い、ミロに気を取られて他のことが全部お留守になったりはしないらしい。真面目な横顔は可愛いミロを見つめながらも真剣で、じっと考え込んだ後思い切ったように口を開いた。


 「自分でもどうかしていると思う。でも……こんなに欲しくて堪らないと思ったのは初めてで、冷静でなんかいられなかった」


 顔を上げたアレンは徐ろに私の左手を取り無くなった指輪を探すかのように薬指を撫で、やがて深い溜め息を吐きながら手を離した。


 「ブリジットにリコを預けすぐさま執務室に戻りリコと結婚させて欲しいと願い出た俺は、殿下に胸ぐらを捕まれて締め上げられた」

 

 今まで手を出すだなんて一度たりとも無かった殿下が?と思わず口がポカンと開いたが、それもそうだ。あの能天気な殿下ですらいきなり何を言い出すのかと驚き思わず激昂したのだろう。だってアレンはついさっきまで毬栗みたいにトゲトゲしていたんだから。


 それでも殿下は落ち着きを取り戻しアレンの申し出に耳を傾けたらしい。


 「『結婚させるのは簡単だ』と殿下は言われた。『ほら、縁談が来たよ』と差し出せばリコは絶対に断ったりしないって。だが心まで望むなら容易くはいかない。言われるままに結婚したとしてもリコはいつまでも俺を義務として夫になった相手としてしか見てくれないだろうとね。かといって正攻法で告白したところで、どうしたわけかあの娘は冷めきっていて絶望的に当事者意識が欠けている。受け入れはしても永遠に他人事で心を開くことなんかない。それでも良いのかと詰め寄られたら……やっぱり俺はリコの心も欲しいと思わずにいられなかった」

 「だからってあんな馬鹿馬鹿しい作戦に乗らなくても……」

 「そうだよな……」


 アレンは自分をせせら笑うかのように乾いた笑いを溢した。


 「殿下は既に作戦ありきになっておられてどちらか一つを選ぶしか無かったし、俺は焦っていた」

 「焦った?」


 顔を上げたアレンはぼんやり前を見つめ、それからゆっくりと視線を私に移した。


 「余裕なんてどこにもなくて……とにかくリコを誰にも奪われないようにしなければと切羽詰まっていた。どうしてもリコが欲しかった。その為ならどんなやり方だって構わないと思った……でも、一番大事なリコの気持ちを置き去りにしてしまったね」

 「私の気持ち以前に……わからないのよ。どうして私みたいなパッとしない女に拘るの?」


 背中を撫でるアレンの手がピタリと止まり、ミロが不満そうに見上げている。『ニャッ!』と短く催促されてアレンはまたゆっくりとミロの背中を撫で始めた。


 「自分に付加価値があるのはわかってる。だけどそんなものアレンには必要ないんだって言われたわ。だったら私と結婚する理由なんて何もないでしょう?それなのにどうして?」

 「リコを愛しているからだ」

 

 顔を上げじっと私を見つめるアレンの瞳は、何故か怯えるように小刻みに揺れていた。


 「こんなことを言っても信じられないだろうね」

 「お察しのとおりよ」


 冷たく言い放った私の返事にアレンが僅かに表情を緩めた。それは瞬きしていたら見逃してしまうくらいほんの僅かな一瞬の変化だったが、柔らかく包み込まれるような優しい微笑みで、私を酷く混乱させるものだった。


 不本意に心地よさを覚えてしまったのを悟られたくなくて私は慌てて視線を逸らした。そしてアレンもまた俯いてミロの背中を撫で始めた。


 「リコに初めて会った時、それまで経験したことがない程の戸惑いと混乱を覚えた」

 「は?」


 あの時アレンはジョルジュをバッサバッサとなで斬りにしまくった私を呆然と眺めていた。一目惚れなんてあり得ないのは自覚している。だけど、戸惑いと混乱って何だ?私の記憶が確かなら私はこの人からしつこく結婚して欲しいと言い寄られている最中の筈なんだけど、その私のファーストインプレッションが戸惑いと混乱?


 これで釈然としないと思わない方が無理だと思うけれど、正直だと言えばその通りなのかも知れない。アレン自身も申し訳なさは感じているらしく何だか気まずそうに見える。


 「正直なところ、リコの容姿に何かを思うことは無かった。リコが現れた時はどこにでもいるようなごく普通の若い令嬢だという認識しかなくて……ただ何か相当腹に据えかねたらしいことは察したが」

 

 さすがに言い辛い話だったのかアレンは今度こそ紛れもなく気まずい顔をしている。けれどもわざわざ失礼な事を言うアレンなら信用しても良いのでは?私の頭をふとそんな考えが過った。


 「えぇ、だから出ていったんだもの」

 「ジョルジュと対峙するのを黙って見ていたのは、リコには助けなんかいらないと感じたからだ。でもそれだけじゃない……いや、むしろそれよりも…俺は……俺は、我を忘れて身動きすらできなくなっていた」

 「……は?」


 動けない?なんで?


 私は視線を上に向け考えを巡らせてから首を傾げた。


 「怒っていた私が怖かった……とか?」


 アレンは目を見開いて私を見つめ、それからニヤリと意地悪く口角を引き上げた。

 

 「かなりのご立腹だというのは伝わってきたが、あんなのは子猫の威嚇みたいなものだ」

 「それならどうしてよ?」

 「リコが……リコが眩しかったから……」


 そう言うとアレンは手を伸ばし動かしては可哀想だと言っていたはずのミロを抱き上げた。当のミロは別に構わなかったらしく膝の上でくるりと丸くなる。アレンは幻でも見ているようなぼんやりとした目付きでミロの耳の後ろを指先でくすぐった。


 「突然出てきたリコに何を感じたかは言った通りだ。けれども近づいてくるリコは一歩脚を踏み出す毎に光を纏い始めた。柔らかな陽射しのような優しいものじゃない。もっと無機質で冷ややかで鋭く、それでいて目が眩むような力強い光……まるで宝石だ……俺はそう思った……」

 「…………」


 黙ってアレンを見つめる私の顔は、不審な表情そのものに違いないだろうと思う。


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

 

 

 

 


 


 

 

 

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