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伸び代を把握していた梨子ちゃん


 この世界に存在する言葉のほとんど大部分が知らないものであるだろうに、ウィリアム王子は『臆病者』というワードにいたく興味を惹かれたらしい。可愛いおめめをぱちくりとしながら『なんだそれは』とでも尋ねるように妃殿下をじっと見ている。


 「そうよウィル。梨子ちゃんは情けない臆病者なの」

 「ちょっと、変なこと吹き込まないでよ」

 「あーら、どこが変なのよ?そのものズバリだけど?」


 冷たく言い放った妃殿下は、不思議そうに見上げる王子に優しく微笑んだ。


 「お洒落しないのも引き籠もっているのも恋愛からの敵前逃亡でしょ?梨子ちゃんは尻込みしてるのよ。精一杯頑張っても誰にも愛して貰えなかったらどうしよう……ってね。だから田舎育ちを言い訳にして、女子力のギアをローのまんまほったらかしているのよ。こんな私を好きになる人なんていないからって口実のためにね」

 「ぎあ?」

 

 と首を傾げたのは王子じゃなくて殿下だ。だけど妃殿下は一切気にする様子もなく完全に無視している。何故ってそれは、今こそ梨子ちゃんをこき下ろしてやらなければという、甚だ迷惑な使命感に取り憑かれているからじゃなかろうか?


 この手の嫌な予感が外れないのって何故だろう?その爛々と輝く瞳とやる気漲る上気した顔を見る限り、残念ながらしっかり該当しているらしい。


 「女子力なんて初めからないもの」


 『そうね、梨子ちゃんに女子力を求めても無駄だったわよね』等とは多分言っては貰えないだろうが一応言い訳をしてみたら、『ハァ~?』とあからさまに馬鹿にした返事が返ってきた。こんな『ハァ~?』はアメリカのホームドラマに出てくるハイティーンの女の子くらいしか言わないと思う。


 ムカつく。正直ちょっと疚しさを感じているから余計にイラっとする。


 「何言ってんのよ。パッとしないだのなんだのごちゃごちゃ口答えばっかりしているけど、本当はわかってるんでしょ?自分のポテンシャルがなかなかの高さだって」

 「…………そんな、ことは……」

 「無いとは言わせないわよ。だから珍しく着飾って見違えるように綺麗になったのに、動揺もせずに淡々としていられたんだものね」


 ワタシにはとんとご縁の無かったドレスアップ。偽装婚約のせいでプロデューサーの言いなりになってみれば、野暮ったかった私がさながらシンデレラのように貴族のお姫様に変身した。けれども私は鏡に映る自分の姿に『これがワタシ……?!』と呟くでも目を見張るでもなく、大変身した現状をきちんと手を入れて貰えばこんなもんだろうなと冷静に眺めていた。


 「あれは自分の伸び代を把握していたからこそよね?知っていながら故意に抑え込んでいたのよ。気恥かしいとか気不味いとかもあるだろうけれど、結局は転生しておきながら箸にも引っ掛からずにスルーされるのが怖いんでしょ?だからわざとモブに徹して存在感を消していたのよね」

 「…………」


 それはつまり妃殿下の言う通りなので私には返す言葉もない。今生こそは幸せになるぞと年相応にアクセル全開で張り切ってもどうにもならなかったら……そんな不安が振り払えず、ついついパッとしないのを良いことに自暴自棄に生きていたのだ。大体前世でもすれ違った人が振り向くレベルの美人だった結衣ちゃんなら抵抗はないのかも知れないけれど、私はそうじゃない。不平不満はあるけれど、黒髪によくよく見ないと黒にしか見えない瞳でまだ良かったのだ。田舎から出ることなく、女の子だからと飾り立てて楽しもうなんて夢にも思わぬ女子力皆無の母に育てられ、垢抜けなくて野暮ったいのは事実だったけれど、それでも大きな目に長い睫毛、スッと通った鼻筋に小さな小鼻、ふっくらした可愛らしい唇を備えた顔面は、転生に気が付いて何年経ってもこっ恥ずかしくて注視できずにいる。パッとしない私でいる方がよっぽど気が楽なのだ。


 思わず不味いと目を逸らすことしかできず、そんなことをしたら全肯定しているも同然。わかっているけれどこの状況でしらばっくれられるほどのメンタルの強さは持ち合わせていない。視界の端に妃殿下の『ほーら見ろ!』という勝ち誇った顔がちらついて見えている。


 「お生憎様。女子力を封印したところで梨子ちゃんは無自覚に光り始めちゃったのよ。それでアレンは沼っちゃいましたから!」

 「ぬま?」


 またしても殿下を完全に無視した妃殿下は、顎をツンとそびやかして冷ややかな目を私に向けた。


 「アレン、ちょいちょい言ってるでしょ?一瞬で恋に落ちたって」

 「……そうだけど」

 「落ちたどころじゃない、梨子沼にハマってズブズブで身動き取れなくなってるんだからね。初めにここに駆け込んで来た時に、誰かが宝石の輝きに気が付いたらと思うと不安で気が狂いそうだ……そう言っていたけれど、あの焦燥っぷりなら絶対に本心よね」

 「そうそう、目なんか血走って、アレン怖かったよねー」


二人はウンウンと頷きあっているけれど、でも私は異議を唱えたい。その輝きっていうのは頭の上でギラギラしている付加価値という名のミラーボールによるものだ。だけどアレンの本心を見抜いていないこの二人が認めることは絶対にないだろう。言い返しても無駄だなとしか思えないので何も言わないけれど、ムスッとするという無言の抗議だけはしておく。


 「ニッコニコよー!」

 

 キャハハと笑う王子がすかさず注意喚起を促してきた。そうだった、今は卑怯な二人のせいで膨れっ面すら赦されない状況だ。顔で笑って心で泣いてとは言うが、今はさしずめ心でブチギレて……という心情だ。


 動け表情筋!と念じて無理くり口角を引き上げたもののやっぱり不自然だったようで。王子は顔をしかめて『こあーい』と妃殿下にしがみついた。偽装婚約だと思っていたら事件自体が偽装みたいなもので踏んだり蹴ったりだったのに、王子にまで怖がられるという泣きっ面に蜂までプラスされてしまうとは。


 「帰ります!」


 部屋に帰ってふて寝しよう。どうせ何を言っても否定されるのだ。これ以上反論したって意味なんかない。おまけについうっかり怒りの火山を大噴火させ、そのせいで王子に顔を見ただけで泣かれてしまうようなトラウマを持たれたら、私、多分廃人になると思う。だからもう二人の勘違いなんて放置して部屋に帰ろう。


 踵を返しツカツカと歩き出した私を殿下が『待ってよ!』と呼び止めた。


 「これ以上まだ何かあります?」


 うんざりしながら振り向いた私が目にしたのはニヨニヨと笑う殿下だ。ニヨニヨ~ニヨニヨ~と生暖かく笑えるところを見ると、まだまだ何かあるらしい。それも殿下にとっちゃ面白くて堪らないなにかが。


 「一つ忘れてない?」

 「……ん?」

 「梨子ちゃん、倉庫に行くって誰かに言った?」

 「……言ってませんけど?」

 「しかも普段は行かない倉庫だよ。じゃあどうしてアレン達が駆けつけたのかな?」

 「…………あ」


 言われてみれば確かにそうだ。


 執務室で残業していたのは私一人。在庫が少ないのに気が付いて外に出たけれど、警備の騎士には『ちょっと出てきます』としか言わなかった。しかも初めに行った倉庫には荷物が無くて、いつもは行かない倉庫に行き更にジョルジュに連れられて今まで立ち入ったことがない4階に居た。


 それなのに第三近衛騎士団の皆さんが討ち入り状態でなだれ込んで来たのは何故だ?


 「大体さ、アレンは何しに倉庫に行ったと思う?」

 「…………さぁ?」

 「さぁって……リコチャンを救い出すためだろ?」


 言われてみればいきなり現れたアレンはそんな感じではあった。


 「アレン、どうしてももう一度リコチャンと話がしたいってアンジーの執務室を訪ねていったんだ。だけど何処かに行ったと聞いてあちこち探したけれどどこにも居ないってパニックになっちゃってさ。よりによってリコチャンだろ?行き先なんて限られているのに見当たらないもんだから心配するのもわからなくはないけど、とてもじゃないけど放っておける状態じゃなくて、第三近衛騎士団総出で捜索したんだよ?」

 「うわ、なんて迷惑な!」

 「だってリコチャンは特殊任務の囮だもん。れっきとした警備対象なんだから、問題無しだって!」

 「でっち上げだったくせに……」

 「だからそれはゴメンて。とにかくさ、第三近衛騎士団が総力を上げて捜索に当たり、倉庫番からリコチャンとジョルジュが口論していたっていう情報を得たってわけ。しかも倉庫番はリコチャン達が倉庫を出て行くのは確認していない。となればジョルジュが担当している四階にいるんじゃないかって話になったんだけど、そうなりゃ尋常じゃない状況だって思うのが普通の感覚だろ?実際ジョルジュは逆恨みと受け取れる発言をしていたんだからね」

 「それ、三年も前の話ですよ?そして私がジョルジュと会ったのはあれ以来初めてで、今まで極々平穏無事に過ごして参りましたが?」

 

 殿下がプッと吹き出した。そしてムッとする私をよそに『ブリジット~』とドアの向こうに呼び掛けた。


 顔を出したブリジットおねえたまに殿下は肩を竦めて苦笑いをして見せた。


 「減らず口ってホントに減らないんだなって感心しちゃったよ。アレンが言わんとした事がわかった気がする。だけどこんなリコチャン、アレンが見たらまた大騒ぎだ。なんたってウィルにまで本気でヤキモチやくんだからさ。ってわけで、連れてってくれる?」

 「承知いたしました」


 ブリジットおねえたまは恭しく一礼しているが、そんなの私は何も聞いてない。連れてってどういうことよ?


 「ほーらウィル、梨子ちゃんにバイバイね」


 明らかに承服しかねますという表情の私なのに、妃殿下は王子を使って強制終了しようとしている。どこまで卑怯なのだ。


 「やーよー」


 途端におくちをへの字にしてべそをかく私の天使が尊い。しかしだ。


 「梨子ちゃんは大事なご用があるの。頑張ってって応援しましょうね」


 と優しく諭された王子はグッと唇を引き締めこくんと頷き、


 「がんばえー!」


 とちっちゃなオテテをフリフリした。やはりこの天使は未来の国王。求められた役割はきっちりと熟すアカンボである。


 こうなれば私は大人しく連れて行かれるしかないのだが、せめて行き先くらいは教えてくれても良くはないか?


 「しっかり話をしてらっしゃい」

 「なんの事?」


 妃殿下は意味ありげな含み笑いを浮かべた。


 「作戦に乗ったアレンが悪くないとは言わないし、梨子ちゃんが怒るのは当たり前だと思う。でもね、アレンにはアレンの事情があるの。大事なことを何も言わずにいたアレンも悪いけれど、先入観でコチコチになっている梨子ちゃんも良くないわよ?婚約を解消するにしろしないにしろ、どっちにしてももう一度アレンときちんと話し合うべきね」

 「事情もなにも、偽装婚約なんだから解消以前の問題だけど?」

 「「「……………………」」」


 どういうわけか、大人三人が揃って口ごもり目を逸らした。


 「ナニ?」

 「な、なんでもないわよっ。ほ、ほら、アレンが待っているから早く行って!」

 「何で今さらアレンに会わなきゃならないのよ?」

 「それは…………ほら、別れ話って双方納得しないと良くないって言うじゃない?結婚するのかしないのか話し合って結論を出さないと、いつまでもグダグタしちゃうわよ?実際アレンは諦めがつかないでいるんだし」

 「偽装婚約なのに結婚するのかしないのかじゃないったら」

 「「「………………」」」


 大人三人はまた揃って口ごもり目を逸らした。


 「だからナニ?」

 「な、なんでもないわよっ。ブリジット、この減らず口をさっさと連れて行ってちょうだい!」


 妃殿下は王子の腕を握り『梨子ちゃんいってらっしゃ~い』などと言いながらブンブン振った。そして空気を読める未来の国王は『らっちゃい!』とニコニコ笑っている。この笑顔を前に『いやいやおかしいってば』と再度ゴリゴリ反論するなんて、どうしてできようか?


 私はブリジットおねえたまに連れられて、渋々アレンの元に向かった。

 


 


 



 

 


 



 



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