ここまで粘った意味がない
「もう解決済みの案件なのに、私が偽装婚約させられた理由って何だったんですかねぇ?」
不思議そうに首を傾げると二人が同時にヒッと息を飲んだ。一瞬薄目を開けて私を見た王子は、眉間を寄せてぎゅっと目を閉じ現実逃避するように指しゃぶりに没頭している。保身のためなら両親すら見捨てるアカンボである。
「あ、あのね梨子ちゃん……私達、本当に悪気はなかったの」
「そうなんだよ信じてっ!僕らはアレンとリコチャンに幸せになって欲しかっただけで」
「ほうほう、架空の囮捜査をすると幸せになれるんですか!初耳ですねぇ」
「だって……」
ついに開き直ったのか、殿下が不満げに口をへの字にした。
「どうせリコチャンはアレンが正面からアタックしても『スン!』ってするだろ!」
「……は?」
「アレンは純粋にリコチャンが好きで結婚したいって望んでるのに、リコチャンはそんなのどうでも良いけど僕らの手前断るのも煩わしいから結婚しちゃえばいいや、くらいにしか思わないじゃないか!」
じゃないかと決め付けられるのはどうかと思うが多分その通りだったろうな、とも思う。アレンは私には分不相応も良いところの立派な男性だもの。断る理由は何もない。だけど純粋に好きってところは違うのに、私ばかりが責められるのはモヤモヤする。
「あのね、私達どうしても梨子ちゃんを放っておけなかったのよ。だって、自分の結婚なのにどうにもこうにも白けてて投げやりなんですもの。自分の結婚相手なんて似たり寄ったりだから、誰でも良いと思ってるじゃない!」
言わせて頂けば私にも最低ラインというものはあるし、例えばジョルジュは合格ライン未達だ。私に縁談を進めてくる人なら、少なくとも下衆の極みみたいな男は除外していると信じられるからこその『誰でも良い』なんだけど。
「そこまでは酷くないし。一応の基準くらいある、私は皆さんを信頼しているだけよ」
「でも無気力なのは事実でしょ?」
「そうだけど……」
「私は……私達はね、梨子ちゃんには幸せになって欲しいのよ。じゃなきゃここまで粘った意味がないじゃないの!」
そうかな?粘ったからには何がなんでも恋愛結婚させてやる!っていう意地じゃない?としか考えられなかったけれど、言ったら怒られそうだ。だがしかし、言わなきゃ言わないで怒らなくてもしつこく迫られるのは変わらないらしい。
「アレンはね、梨子ちゃんが好きだから結婚させて欲しいって望んだ初めての人なのよ」
「それ、いい話っぽいけどよくよく吟味すると実は結構悲しいんですけど」
「凄い力で引き寄せられてあっという間に恋に落ちていたんですって」
「どうして胡散臭いと思わないの?あっという間過ぎるでしょ?」
「そんなことない、アレンは真剣だったんだから」
「真剣なのは私にじゃないの、王太子夫妻が目をかけていて名門侯爵家がバックに付いている女官だっていう肩書きによ。私の付加価値に対してだから」
「決めつけるのはおかしいでしょ?アレンは梨子ちゃんが好きだって言ってるの!」
「だってアレンが付加価値抜きに私を好きになるなんてあり得ないもの!」
「梨子ちゃんはあり得ないほど酷くないでしょ?」
「ちょっと考えたらわかるじゃない。優良物件の札を付けているような人がこんなパッとしない地味な女を好きになるのはおかしいってば」
「パッとしないのも地味なのも、開き直ってオンナを放棄している梨子ちゃんが悪いの」
「放っといて、私はそれで構わないんだから」
「そうはいきません。私には梨子ちゃんをお里のご両親から預かった責任があるの。それに雅人叔父さんが夢に出てきて、梨子の花嫁姿が見たいって泣くんだの」
雅人叔父さんて、それ、前世のパパじゃん……
「そこまで責任背負うことないでしょう?もっと気楽に考えてよ」
「梨子ちゃんの人生がかかっているのに気楽になんて考えられるもんですか!絶対に好きな人と幸せにならなきゃだめ!」
「ほらまたそうやって価値観を押し付けるんだから」
「仕方がないじゃない。梨子ちゃんたら投げやりなんだもの」
「…………」
「ほらね、ほらほら、反論できないでしょ?」
「だーかーら!そのオンナを放棄して投げやりになっている私を、あの札付き優良物件が好きになるなんて、あり得ないんだってば!」
「それがあり得たんだよねー」
水掛け論がやいやいとヒートアップした私達を宥めるように殿下が口を挟んだ。私と妃殿下は揃ってギロンと睨んだが、殿下は想定済みだったのか妃殿下の腕から王子を取り上げて抱っこした。我が子を盾にするとは卑怯だが、空気を読んだ王子がパチリと目を開けて笑いかけてくるので恐い顔もできない。完全に奴の思うつぼである。
「でも、リコチャンてそんなだろ?正面からぶち当たっても本気にしてくれないし、気持ちを伝えようとすればするほど如何わしいって警戒するじゃないか。先ずは素直にアレンの気持ちを受け止めてもらわなきゃ話にならない。だから方法を考えたんだ」
「方法……?」
「そ、で計画を立てた」
それを聞いた途端『計画は全て順調だ』というアレンの言葉が脳裏に浮かび、ゾワッと背中を悪寒が走った。アレってさ、偽ラブレターに関してじゃなくてもしかして全く違う目的の別物だったり……と鳥肌まで立ち始めた私に殿下は満面の笑みを向けた。
「因縁のジョルジュが絡んでるなんて、これはもう偶然じゃなくて運命だよ。神様が利用しろって口実を用意してくれたとしか思えないでしょ?それなら利用させて貰わなくちゃ」
私の結婚に便宜を図ってくれる神様なんているだろうか?このドヤ顔を見るに殿下の脳内では確定なんだろうけれど。
「囮捜査を口実に婚約しちゃえばどんな言動をしてもリコチャンは受け止めてくれる。本気にしてくれるかどうかはアレンの努力次第だけど、アレンは死ぬ気で気持ちを伝えるって言ったよ。望みがあるのなら何だって良いってさ」
「梨子ちゃんも婚約者として過ごしたら絶対にアレンの良さに気が付くって殿下が断言しているし、私もこの人ならと直感したの。だから大急ぎであちこちに協力要請をしたのよね。そうしたら」
妃殿下はそこで深々と溜め息をつき、ほらみろと言うように私を睨みながらまた口を開いた。
「私や殿下だけじゃない。ありとあらゆる梨子ちゃんの関係箇所が梨子ちゃんが行き遅れるんじゃないかとハラハラしてみていて、協力は惜しまないって約束してくれたの」
「え?じゃああの伯母様と伯父様……」
迫真の名演技だと思ったアレは……
「もちろん揃ってノリノリよ。妹夫妻が反対するわけがない。もし反対なんかしようものなら侯爵家の威信にかけてねじ伏せてやるって息巻いていたわ」
仰る通り両親が非の打ち所のない好条件の縁談にケチをつけるなんて考えられないし、侯爵夫人の伯母なら弱小伯爵家をねじ伏せるなんてお茶の子さいさいの朝飯前だ。長いものには巻かれるのをモットーとしている両親は、身内とはいえ決して逆らったりしない。
「女官長も私室付き女官の皆もコレを逃したら絶望しかないって鼻息を荒くしていたし、実家の両親も全面バックアップを約束してくれたわ。梨子ちゃんの為ならって、今年のお母様の誕生祝いの夜会は例年の三倍の規模にしたのよ」
「うー、いくら公爵家でも随分盛大なんだなぁと思ったら……」
ぐぬぬと歯を食いしばる私だが、妃殿下は当たり前だと言わんばかりだ。
「やると決めたら徹底的にがボードリエ公爵家の家訓なの。だから自ずと規模拡大になったわけ」
なんだそれ、有力公爵家の家訓としては恐ろしすぎる。それにやると決めないで欲しかったなぁとも猛烈に思います。
「それにお父様がどうしてもアレンを自分の目で見極めたいって言い張ってね。でもアレンになら安心してリコチャンを託せるって大喜びだったのよ」
ほぼ赤の他人と変わらない、遠縁どころじゃない縁の薄さの私を案じて下さるのはありがたいが、勝手に判断して託せるとか喜ばないで欲しい。
「婚期を逃すんじゃないかって周りを心配されていたのは申し訳なかったけれどね。だけどアレン側はどうなのよ?そんな乱暴な計画に手を貸すなんて思えないけど?」
「それがさぁリコチャン……」
殿下は首をひねり不思議そうに目を瞬いた。
「アレンってどうも女性に興味を持たないんだよね……って違うよ!男性にしか興味が持てないわけじゃないから。そうじゃなくて、しっくりこないっていうかこれじゃない感じっていうかそんな違和感があって、無理してまで一緒に居たくないんだって言ってたらしい」
「あらまぁ……」
思わず表情が抜け落ちた。始めからしっくりきてこれだって感じるような相手なんて、運命の人じゃあるまいし見つけられたら奇跡みたいなものじゃない?アレンって常識的な人だと思っていたけれど、青い鳥を探して現実を受け入れられない夢見がちなタイプだったのか!
殿下も口には出さないけど心に思うことがあるらしい。どんどん表情が渋くなっていく。
「この人ならって女性に巡り会うまで結婚する気は無さそうだけど、そんな人が都合良く見つかるのか?っていうか、そこは目を瞑ったり折り合いをつけたりしながら妥協点を探して、そうやって共に過ごしていく中でしっくり来るようになるもんだろ?」
「…………まぁそうですねぇ」
「僕だって、数えきれないくらい激昂したアンジーに殴られて、こんな細腕なのにすっごい痛いし殴っちゃヤダ!殴らないでよ!って思うけど、それでもアンジーを心から愛している」
「妃殿下が激昂するなんてよっぽどですから、殴られて済んだだけでも感謝してください。それ以前に激昂されるような言動を慎みましょうね」
「だけどアレンは頑固でさ。絶対にいるって言い張るんだ。しかも一度はどこかで会ったのにその時は気づけなかった、そんな気がするから探したいんだってさ」
殿下め、聞かなかったことにしやがったな。そしてアレン、ややこしいことを言うくせに青い鳥は見逃しちゃったんだ。しかもそんな気がするっていう不確定さ、他人事ながら現実を見るべきじゃありませんかねと助言の一つもしてやりたい。
モヤモヤとした考えに気を取られていた私は、急に煌めきだした殿下のザ・王子様な碧眼に見つめられいるのに気付きコクリと喉を鳴らした。