あなたの名前はジョルジュなんですもの
やっぱりなぁ。一応確認してみたけれど、この流れで勘違いでしたてへっ!という結末にはならないよね。となるとここは穏便に多少なりとも出来るであろうジョルジュの傷を抉らぬように冷静に収めなければならない、と考える優しさ溢れる私を誰も知らない。偏に残念だがどうもジョルジュは放っておけない何かがあるので仕方がないのだろう。
私は自動音声の如く淡々と切り出した。
「折角ですがお断りします」
「なぜだ?」
「私にはあなたと結婚する理由がないので」
「だが僕にはあるぞ?」
「どんな?」
「僕は八しか見ない男とは違う。お前の二に惚れた。お前とは気が合うし気取らずに本当の自分をさらけ出せる安心感がある」
それは三年前に思いっきり本性をさらけ出し済みだからじゃないのだろうか?とは思うが本人に言うのも憚られる。何たって今回は穏便に、が目標である。
「気が合うと言うよりは話が弾むとは思います。ですが私はあなたに惚れてはいませんので結婚する理由がないんですよ」
「それは心配ないぞ!」
ここまで無表情を貫いてきたが、胸を張るジョルジュに思わず顔をしかめた。ここで過ごした三年の歳月は、ジョルジュを人間的に相当成長させたらしく三年前ほどのクズではなくなっている。多分元々ジョルジュは素直な性格で、それ故あんまり回りくどくものを考えずに突っ走るから色々問題があったのだろう。惜しむらくはその素直さがよりおかしな方角を目指してすくすく育ったことだけど。
ストンと隣に腰を下ろしたジョルジュが笑顔を弾けさせた。垂れ目がチャームポイントな少年ぽい可愛い笑顔は良いのだが、背凭れに乗せた右腕はいただけない。それから私のひっつめ髪から解れ顔の横に掛かる髪を耳に掛けるのもよろしくない。わたくしごときがなんだが、嫌な意味でちょっとゾワゾワするじゃないか。
「昨日までの僕はお前のことなんか忘れていた。でも今日ここで同じ時を過ごし、気が付けばお前に惚れていた」
「それは光栄です。でも私は違いますよ?」
「多少の時間差はあるだろうさ。でも僕は惚れた。それならお前だって近々惚れるだろ?」
「…………」
そうじゃないかとは思ったが、やっぱりジョルジュはジョルジュだ。この空に突き抜けるような楽天的な性格だから、こんなところで三年も耐えられたんだと思う。ちょっと尊敬したい気持ちにすらなるが、先ずはぺしゃんと潰さずに流れを変えなくてはならない。
「申し訳ありませんが無理です。どれだけ時間が過ぎようと私があなたに惚れることはないです」
「ズバリ言いきるのは何でだ?」
「タイプじゃないので」
「僕もだ。その女としての無気力さ。端から投げ出し努力すらしない無精な感じ。僕はお前みたいなマナースレスレで許される範囲に入っていれば良しと開き直る女より、着飾ることをイキイキと楽しむ溌剌とした可愛らしい女の子が好みだ」
ジョルジュめ、遠慮の欠片もなくディスってくれる。しかも一々ごもっともだから一言一言が胸に突き刺さるではないか!
私は思いっきりむくれたが、その膨れたほっぺをジョルジュの指がするんと撫でた。言うこととやることがずれまくりってことはどちらかをひっくり返す何かがあるわけで。
「それでも僕はお前に惚れた。だからお前も気に病まなくていい」
やっぱりそっちか……ということを優しい笑顔で言われた私は脱力するしかない。ジョルジュは想像以上の手強さだ。何を言ってもそっち寄りに解釈して言い返してくる。話が通じない人って本当に実在するんだな。
多分どんなに諭そうともジョルジュは理解しないだろう。全く別の方向からのアプローチをするしかないと思う。何かないか?ジョルジュがそれじゃ仕方がないよねと納得するような、どうにもできない何か……
アレだ!
頭に浮かんだのは私の睡眠不足の元凶だ。命を削って取り組んだ刺繍に、死すら覚悟しなきゃダメかなと泣きそうになったものだが、私、頑張って良かった!
「どうしても無理なんです。だってあなたの名前はジョルジュなんですもの」
さも残念そうに言うとジョルジュが鳩のように首を傾げた。
「何故だ?ジョルジュのどこがいけない?」
「素敵な名前だとは思いますよ。でもイニシャルがAじゃないでしょう?私、イニシャルがAの男性としか結婚できません」
「おかしなことを。さてはインチキ占い師に何か言われたんだろう」
「違いますよ。嫁入り道具のリネンを婚約者のAで刺繍してあるんです!」
普通ならそれがどうしたとかだからなんだとか言い返されるのがオチだ。だけど私はジョルジュの単細胞ともいえる純粋さに賭けてみることにした。
「嫁入り道具のリネン?テーブルクロスやらピローケースやら何やらかんやらイニシャルを刺繍して仕立てるアレか?」
「はい、それですそれ!」
ジョルジュは心底不思議そうに考え込んでいる。よし、多分イケる。私は密かに拳を握り気合いを入れてから高速で首を何度も縦に振った。
「取り消しになるのがわかっているのにですよ?私を婚約させた人達ったら嫁入り道具のリネンの刺繍を強要したんです」
私は自然と涙目になった。絶対に不要であるリネンを作れと強要された日々。アレはもう、思い出すのもつらくてたまらなくなる悪夢だ。妃殿下達はとんだトラウマを作ってくれたものである。
「私の婚約者はお貴族様のお坊っちゃまなんです」
「お前もそうだろ?伯爵家の一人娘じゃなかったか?」
「そうなんですけど、私は貴族っていうよりも村長さんちの子みたいなもので。でも婚約者は名門貴族のご子息なんです。だから家格に相応しい高価な花嫁衣裳を仕立てなきゃいけないんだって周りが煩くて。しかもそれだけじゃないんです。リネンもきっちり用意するように言われて……酷いと思いませんか?使うことなんかないって判っているのに無理強いしたんですよ?」
男性のジョルジュには理解できない愚痴かもなぁと思ったが、予想に反して露骨に不愉快な顔をしている。これならイケる。私は目元を抑えたハンカチを握った手に視線を落とし、グチグチと話を続けた。
「私、刺繍は得意ではありますが、人よりも作業に時間がかかるんです。だから連日睡眠不足になりながら仕上げたのに、婚約が取り消しになったからって無駄にするなんて到底できません。そうでしょう?」
眉間にくっきり皺を寄せたジョルジュが深く頷いた。大丈夫、風向きは完全に私の背中を押している。
「だから私、あのリネンを活用するためにどうしてもイニシャルがAの人としか結婚できないんですよ」
『フム』と言って腕を組み考え込んだジョルジュ。『そんなもの、使い回すかよ普通?!』ってドヤさせるのが当然な話なのに、思いっきり納得するって凄いではないか!私の勘は間違ってはいなかった。やっぱりこの人は只者ではない。世界にただ一人のアホの子ジョルジュなのである。
「義妹は菓子作りは上手いが刺繍が苦手なんだ」
「そうですか。それならばリネンを揃えるのに苦労なさったでしょうね?」
「あぁ。嫁入り道具のリネンにはどれもこれも血痕が付いていて、義妹がどれだけ針で指を突き刺したかが一目瞭然だった」
ジョルジュの遠く切ない目は義妹作の血塗れのリネンを見つめているのだろうか?私は封蝋職人と呼ばれるくらいで自分で言うのもなんだが不器用ではない。刺繍で針が指に刺さったことが無い訳じゃないがほんの数回の経験のみだ。それでもわかるわかるとコクコクしておけば、この共感が血迷ったジョルジュを泥沼から引き上げてくれるに違いない。手応えは十分だ。
「嫁入り道具のリネンは骨身を削り心血を注いで作った、文字通りの血と汗と涙の結晶なのです。その入魂の作をいらなくなったからと捨てられますか?私には……そんなこと……とてもできません」
よよよと涙を搾り出しつつジョルジュをそれとなくチラ見する。あとはこの唯一無二のアホの子の判断を待つばかり。そしてジョルジュはというと、深い溜め息と共に天井を見上げた。
「僕ならお前を幸せにしてやる自信があったのに……それでも僕らは結ばれない運命だったようだな」
『ヒャッホーゥ!!』という歓声が頭の中で木霊する。心の赴くままに声を上げられないのが甚だしく残念だ。でもいい。そんなの我慢しちゃう。何たってこのかつてない大ピンチから生還したんだもん!
私は弱々しい微笑みを浮かべつつ立ち上がった。いくらジョルジュがアホの子でも油断は禁物だ。最後まで手抜かりなく完璧に逃げ切らなければならない。
「さようなら。もうお会いすることはないけれど、私、いつまでもあなたの幸せを願っています」
ま、この内容は全部本当だ。苦渋の決断で別れを選んだ女が愛した人に話しているっぽい雰囲気は作ってみたが。
ジョルジュは顔を歪め私の手を握ったが、私は一歩後ろに下った。するりと左手だけが抜け、それでも残った右手を名残惜しそうに握りしめているジョルジュ。さあ最後の総仕上げ、悲恋のヒロインになりきってこの難局を乗り越えろ!
一歩、もう一歩と下がるとジョルジュの手の中から少しずつ私の手が抜けていく。後は人差し指から薬指までの第二関節から先を残すばかり。よしここで一気に引き抜いて、振り返らずにトンズラだ!と気合いを入れたその時……
バドーンっ!!
轟音を立てて破壊するくらいの勢いで吹き飛ぶようにドアが開き、
「リコーーーっ!」
という叫び声が耳を劈いた。




