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リコチャン オン ザ アレンのお膝


 近衛騎士のガンガン走りったら尋常ではない速さだ。田舎育ちで鍛えた健脚も引きこもりで衰えている今日この頃。瞬発力だけは残っているから一瞬はついていったけれど持久力はてんでない。あっという間にヘロヘロになった私に気が付いたアレンは、ひょいっと抱えあげてまたガンガン走った。


 私、小柄でも華奢でもないのですが、凄いですねぇ近衛騎士って。レンジャー部隊みたいに重りを付けて走る訓練でもしているのかしら?逆に手を引かれた私が足手まといだったみたいで、抱えている方がスピードが出ているもの。


 窓からそれを見ていたらしいロバートがドアを開けて出迎えてくれた。屋敷の中には甘酸っぱくて香ばしい香りが漂っている。仰る通り、アップルパイを焼いているらしい。


 キッチンから顔を出したコニーが目尻を下げて『まあまあ!』と笑い、今の状況のこっ恥ずかしさに気付いた私は一気に赤くなった。


 「アップルパイの香りがして慌てて走ったんだが、リコが足を挫いてはいけないからね」


 足を挫いてはいけないと思うのならガンガン走らなきゃ良いだろう。アップルパイは逃げも隠れもしないし、ロバートとコニーでワンホール食べ切ってしまうとは考えられない。


 「アップルパイは逃げませんし、わたくし達だけじゃとても食べきれませんよ?」


 ほらね、コニーも同感だそうですよ?


 「良いじゃないか。男ってものは愛しい女性のこととなるとちょいとおかしな行動をしてしまうものだよ」

 

 ダンディに断言するロバートさん?アレンがちょいとおかしくなった理由は焼き立てアップルパイで私じゃありませんから。


 っていうか、アレンはいつまで私を抱えているつもりだろう?鍛えられた近衛騎士ともなると、成人女性くらいの負荷は気にならないのかな?


 「そろそろ降ろしてくれない?」


 私は違う意味で気になる。そう、思いっきり恥ずかしいじゃないのよ!


 しかしアレンは何も感じていないのかいたって普通に聞き返してきた。


 「なぜ?」 

 「もう抱えている必要はないでしょう?」


 心配せずとも君の分の焼き立てアップルパイは確保されるだろう、アレンくんよ。


 だがアレンは膨れっ面で拗ねたように『嫌だ』と言った。降ろしたくない?つまりたまたまいい感じのヴァンプアップになっているのに、ウエイトを降ろしては台無しになる……とかそんな理由なのだろうか?


 「私も嫌なんだけど」

 「気のせいだ」


 アレンはクッと口を引き締めた。よっぽどウエイトを手放したくないようだが、実際私は非常に気不味い。何よりもコニーとロバートの生暖かい視線であちこちムズムズする。


 それでも私は単なるウエイトに過ぎずアレンは何とも感じちゃいないのだろう。何食わぬ顔でそのまま歩き出しリビングのソファに腰をおろした。


 リコチャン オン ザ アレンのお膝


 私は首を撚るしかない。座った状態で膝の上にウエイト。これでどんな筋肉が鍛えられるというのだろう? 


 「まあまあ、仲がよろしいのは結構ですが、それじゃアップルパイが召し上がれませんわよ?」


 ワゴンを押してきたコニーに声を掛けられて身の置き所がない私は、一刻も早く安心して身が置けるところに移動しようと身体を捩った。けれどもアレンの腕は緩むことなくしっかりと腰に巻き付き、下ろすつもりはなさそうだ。


 何だろう?ただ座っているようでありながら実はバランスを取るだとか、ひそかに腹筋背筋に力を入れるだとか、そんなトレーニングは続いているのだろうか?でもこのままでは困るだろう。私はここでも食べられるがアレンはかなり厳しい体勢になる。それじゃあ食べた気にもなれないってものだ。


 「ほら、アレン坊っちゃん。お嬢様がお困りですわよ」


 コニーに窘められたアレンはだがしかし


 「ここで食べたら良いじゃないか!」


 と抵抗を止めない。どれだけ強情だ?私を抱えてガンガン走るほど食べたかったコニーの手作りアップルパイ。そのアップルパイよりも筋肉を選ぶと、アレンはそう言うのか。


 「リコが…………く、く、口に入れてくれれば……いい……の……では……ない……か?」


 アレンは自分で言っておきながら顔を赤くして横を向いた。なるほど、そうか。筋トレばかりではなく、コニーとロバートへの仲良しアピールのチャンスとしても活用しようってことね。それなら仕方がない。このポジションでの滞在も甘んじて受け入れなければ。


 何しろこの特殊任務には特別ボーナスがかかっているのだ。


 私はワゴンから皿を取り上げてアップルパイをフォークで切り取った。焼き立てのアップルパイはホカホカと湯気を立てている。このままじゃ火傷をしてしまうだろうと、ふうふうしてからアレンの口元に差し出した。


 ゴクリ……アレンの喉が大きく動く。そんなに食べたいのならここは潔く諦めて普通に食べたら良いのにややこしい人だ。


 あーんと開いた口にアップルパイを入れる。アレンはもぐもぐと味わうように咀嚼してからゆっくり飲み込んだ。何だか涙目になっているのは、懐かしい味に感極まったからだろうか?


 『はぁぁぁぁ……』と長い溜息を吐いたアレンが


 「可愛い……」


 と呟いた。何言ってるんだ、このオトコは?


 「いや、美味しい!でしょ?」

 「そ、そうだ!美味しいだ!ちょっと間違えただけだ!」


 間違いを指摘されてきまりが悪いのかアレンは拗ねたように顔を逸らした。それならそうしていて下さい、私もアップルパイをご馳走になりますからね!


 サクリと音を立てたアップルパイからトロンとフィリングが溢れる。私の好きなレーズンが入ったフィリングだ。おまけにシナモンは控え目。ヒャー、これ、今迄食べた中で、ベスト・オブ・アップルパイかも!


 余計な言葉は要らない。このアップルパイに感じた率直な一言だけで良い。好き好き大好き、コニーのアップルパイが大好き!


 「大好き!」

 「ギョッフェ……どぅっほ……ヒッふぅ……」


 あらあら、まただ。アレンが苦しそうにむせている。この体勢は辛いだろうと降りようとしたのだが、苦しさで何かに縋りたいのかアレンが私の背中に腕を回し、ぎゅうぎゅうと締め付けている。そこまでとはよっぽどだ。

 

 多少なりとも苦しさが和らげば、とよいしょと手を伸ばしてアレンの背中を撫でてみる。だがアレンはピキンと身体を硬直させ、それから大慌てで私を下ろすと『水を飲んでくる』と言ってよろよろと立ち上がった。そうだった。私はアレンの懐抱が壊滅的に下手なんだった。


 「お水ならこちらにありますよ?」


 とグラスを差し出したコニーに首を振りふらふら歩いて行っちゃったけれど、放っておいて大丈夫だろうか?しかしコニーとロバートは顔を見合わせて笑いを堪えているだけで、別に心配はしていないようだ。


 「アレン坊っちゃんたら、本当にお嬢様に夢中ですことね」


 コニーに囁きかけられて思わず返事に詰まってしまう。アレンを目で追うコニーとロバートの眼差しは慈しむような優しさに溢れている。けれども二人は私が恥じらって何も言えないのだと思ったらしく、また顔を見合わせて微笑んだ。


 「天真爛漫なユベール坊っちゃんとは違って、アレン坊っちゃんは大人びたお子さまでしてね。いつも周りを気遣って我慢して、子どもらしい我が儘もほとんど聞いた記憶がないくらいなのです」


 甘え上手なユベールと真面目で苦労を背負いがちなアレン、何だか子ども時代の二人が目に浮かぶようだ。それは今でも変わらなくて、ユベールはあの通りマイペースの自由人でアレンは真面目過ぎて妥協できない人で。だから今も自分が犠牲になれば良いと我慢して婚約者の振りをしている。


 「ですからねぇ、旦那様方はアレン坊っちゃんから藪から棒にお嬢様との結婚を許して欲しいと言われて、驚きのあまり腰を抜かすかと思われたそうなのですが、初めての我が儘を聞いてやらぬわけにはいかなかったそうです」


 そう言えば顔合わせの時、最愛の人を見つけたと言われては窘められなくてとか何とか言ってましたっけ。あのドタバタ婚約の言い訳をこの二人にもしっかり浸透させていたとは。アレン両親は実に抜け目ない人達だ。『あぁ……まぁ……そうですか……ねぇ?』なんて口ごもる私とは雲泥の差である。

 

 「アレン坊っちゃんたら随分と強引に話を進められたそうで、さぞかし戸惑われたでしょうに……アレン坊っちゃんの気持ちを受け止めて下さって、本当にありがとうございます」 

 「あぁ……まぁ……ねぇ?」


 お礼を言われるのは凄く心苦しい。コニーとロバートはアレンが心から愛した人を人生のパートナーに迎えるのだと信じ、我が事のように喜んでいるのだ。任務を受けた以上仕方がないのだけれど、遠からず真実を知ることになる二人をどんなに落胆させてしまうだろう。


 二人の気持ちを思うと自然と涙が滲む。私は霞む視界で一人無心にアップルパイを味わった。


 

 

 

 

 

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