大ウケリコチャン
夫婦はベンフォード侯爵家に家令とメイド長として長らく仕え、後進に役目を譲った後は別荘番としてこの地でゆったりと過ごしているのだそうだ。アレンだけではなくユベールのこともお腹にいる時から知っていて、だからつい坊っちゃんと呼んじゃうらしい。
「アレン坊っちゃんがこんなお可愛らしいお嬢様をお連れになるなんて。わたくし胸が一杯ですわ」
夫人のコニーがそう言えば、夫のロバートもうんうんと頷きながら嬉しそうに微笑む。祝婚約!と書かれた横断幕でも掲げそうな二人の様子に私の胸はチクチクしちゃうが、アレンは得意気に私の肩を抱いた。
演技の実力は認めるが、この夫婦に対して罪悪感というものは感じないものだろうか?すっごい糠喜びさせてるけど?
コニーは馬に水をやると厩舎に向かうアレンを微笑みながら見送り、嬉しそうに口を開いた。
「ユベール坊っちゃんの結婚はお早かったでございましょう?」
「そうなんですか!」
初めて聞く話しに目を丸くした私を、二人は意外そうに眺めている。
「ご存知ありませんでしたか?」
「え……えぇ、何しろ急にまとまった縁談だったものですから……」
苦し紛れにそう言うとロバートはなるほどなと言うように頷いた。うー、何か騙しているみたいで罪悪感が沸いてくるんだけれど。
ユベールはアレンよりも二つ歳上で、ブリジットおねえたまはアカデミーでアレンやアーネストのクラスメイトだったんだって。二人は結婚して八年、一男二女の三人の子どもがいるそうだ。うっわー、あの神ボディで三児のママさんって……尊敬と崇拝でブリジットおねえたまの信者になってしまいそうですっ。
「けれどもアレン坊っちゃんときたらもう。仕事熱心は結構ですが、一向に結婚相手を探す素振りもないんですもの。散々気を揉まされましたのよ」
「何の話だ?」
戻ってきたアレンが首を傾げるとコニーとロバートは顔を見合せてにんまりと笑った。
「アレン坊っちゃんがいつまでも独り身で、どうしたものかと思っていたという話ですわ」
余計なお世話だと怒りそうなものだけれどアレンは任務に忠実だ。溺愛していますと言わんばかりに私の肩を抱き寄せ、更にこなれた感じでさらっとこめかみにキスする念押し付きである。
「これまではどんな女性にも心を動かされることなんかなかった。けれどもリコは違ったんだ。凄い力で惹き付けられて、気付けば恋に落ちていた。リコはわたしが見つけたわたしだけの宝石だ」
よくもまぁ、いけしゃあしゃあと幼少の砌からお世話になった方々に適当なことを言えたもんだ。この恩知らずめ。
しかもこの恩知らずは、見せ付けるように一掬いした私の髪にちゅーなんかしやがった。ほらほらこんなの獲ってきましたよっ!て見せにくる猫みたいな心理を演出しているのだろうか?マニアックも過ぎると理解がついていけない。
すっかり信じて祝賀ムードの夫婦がかえすがえすもお気の毒だ。真相を知って気落ちしないと良いけれどと心配になってくる。
「お腹がお空きになったでしょう?林檎園にピクニックのご用意ができていますよ」
きっとコニーはアレンのことなら何でも知ってるような人なのだ。だってピクニックと聞くなりアレンは嬉しそうに目を輝かせたんだもの。
「ピクニック!そりゃあ良いな!行こう、リコ」
私の手を取って走り出したアレンは、いつになく子どもっぽい。いかん、本来の冷静でグチグチ説教ばかりタレているアレンとのギャップの激しさのせいか、なんか可愛いく感じてしまうじゃないか。
重そうに垂れた林檎の木の枝をいくつも潜り抜け、辿り着いた一番大きな林檎の木の下の下にはマットが敷かれバスケットが乗せてある。そんなに長い距離じゃないのに私の心臓はバックバクだ。この程度の運動で動悸とは情けない。ついでに頬まで火照っている。脱いだ帽子でパタパタ扇ぐが頬が帯びた熱はなかなか静まってくれない。
何たることだ。転生して自覚した限りでも半分の年齢まで若返ったのに。やっぱり十代はフットワークが軽いねえ、なんて調子に乗っていたツケがまわってきたのかな?
一方のアレンは息切れ一つなくご機嫌でバスケットの中身を広げている。やはり近衛騎士、日頃の鍛練の賜物なのだろう。ポットからグラスにハーブ水を注ぎ、『ほら』なんて言いながら爽やかスマイルで差し出す余裕ぶりだ。ただの木漏れ日も美形が浴びるととんでもないキラッキラのエフェクト効果を生みだし、眩し過ぎて目がしょぼしょぼする。思わず俯いた横顔に髪がはらりとかかった。
「珍しいね」
アレンの指が優しく髪を耳に掛ける。『え?』と瞬いた私をアレンはことんと首を傾げて見つめた。
「髪を下ろしているのは初めて見た」
「あぁ、今日は帽子を被るように言われたから」
いつものひっつめ髪だと帽子が被り辛いから今日はさらさらストレート……つまりブラッシングしてオイルで艶を出しておしまいの手抜きである。しかしよっぽどレア感を覚えたのかアレンは手を伸ばしすっと指を滑らせた。
「こうしているのも良いな」
「え?そうかな?」
あら驚いた!てっきりふわふわくるくるの一択だと思っておりましたわ。でもまぁ、手櫛がスルスル通る髪質は数少ないお気に入りポイントの一つだから、その良さを理解してくれたのは素直に嬉しい。思わずにやけてしまう。
「今日は良く笑うね」
いや、みっともなくにやけただけだ。そんな良いものじゃない。
「アレンこそ、今日は随分ご機嫌ね」
「……当たり前だろう」
アレンは気まずそうにふっと横を向いた。近衛騎士は毎日激務でお疲れなのに、特殊任務のせいで偽装婚約までさせられていい加減ストレスもマックスなのだろう。しかも拘りが強すぎて自分で自分の首を絞めているし。だからこうやって一日のんびり過ごすのはアレンの為にも良かったのかも知れない。
アレンがいそいそと開けたバスケットの中にはサンドイッチにフライドチキン、ハム、塊のチーズと苺が入っていた。アレンがナイフで器用にチーズをスライスして皿に乗せてくれたので、お返しに苺をハートの飾り切りにしたら、こんな些細な加工に目を丸くして驚いている。あまりに食い付いているので切り方を教えたが、チーズのスライスは何の苦もなくするくせに苺に関してはセンス0らしい。指だけじゃなく手首までベタベタにして頑張ってみても一つも上手く切れなかった。
がっかりしているのに悪いとは思ったがあまりにもおかしくて大ウケしてしまい、腹を立てたアレンに潰れた苺を口に放り込まれた。そんな悪戯もまた面白くてたまらずケラケラ笑ってしまったのだけれど。すると益々腹を立てたアレンが両手にサンドイッチを持ってやけ食いし始め、いつもの品の良さとの落差にツボった私の爆笑はなかなか止まらなかった。
お弁当を平らげた私達は林檎園の中を散歩した。更に奥まで進んで行くと農夫達が摘花作業をしている。初めて見たアレンが興味津々なので、それならと手伝いを申し出たら農夫達は明らかに渋々同意してくれた。
お気持ちはわかりますよ?でも大丈夫、実はリコチャンは凄腕の持ち主ですからね。
「まとまって咲いている房の中心の大きい花を残して摘み取るのよ」
アレンに説明しながらてきぱきと花を摘み取る私を見て、農夫達が呆気に取られた。
「あいやぁ、お貴族様のお嬢さんとは思えねぇ手さばきでごぜぇますだなぁ!」
「そうでしょう?私、領地にいた頃は貴重な戦力だったんだから。摘花だけじゃなくて、摘果もできるわよ?」
「あいやぁ、驚いた。こんなお嬢さんは初めてでごぜぇますだ!こーんなに筋が良いのならお城で働くなんてもったいないこって」
そう言う農夫は大真面目なのでお世辞抜きなんだろう。本気でヘッドハンティングを持ちかけそうな口振りである。
「残念だが、リコが農婦になりたいと言っても王太子妃殿下がお許しにならないだろうな。リコは妃殿下の元でお仕えしている女官だからね」
アレンの言葉に農夫達は目を白黒させている。バッチリ林檎園に馴染んでいる私が城勤めと聞いても、まさか妃殿下直属の女官だとは思ってもみなかったんだろう。
「あいやぁ、始めっからここで育った娘っ子みたいだけんどなぁ!」
貴族令嬢に向かってとんでもない言葉だが、これは農夫なりの心からの称賛だ。『ありがとう、嬉しいわ』と笑う私を見たアレンも優しく微笑んでいる。
アレンは堅物だけど、こういうことに目くじらを立てたりせずに、一緒に笑い合える人だ。同じ価値観を持ち同じ視点でものを見てくれている、そう思えるのが何だか嬉しい。
摘んだ花が籠一杯になり、私達はお礼を言って屋敷に戻ることにした。
「いんや、お礼を申し上げるのはワシラの方で。坊っちゃん、あんた様、いい嫁様を見つけなさいましたなぁ」
農夫達は感心しきりのようだが、アレンの嫁に林檎の木の管理スキルは不要だ。だがアレンはとりあえず褒められるのなら何でも良いのか鼻高々である。リコは宝石説をここでもぶちかまし、農夫達も思いっきり納得している。だよね、プロ並みに林檎の摘花をする貴族令嬢がいるなんて、考えたことすらないだろうし。彼らから見た私は滅多にお目にかかれない珍品で、宝石並の希少価値がありそうだもの。
屋敷に戻る道すがら、私とアレンは自然と指を絡めて歩いていた。いつもなら『さぁどうぞご覧下さい』という気合いと共に手を繋ぐのだけれど、どちらからともなく極自然に。
どんな形で終結するかは知らないけれど、囮捜査はもうすぐ終わる。そうしたらまた私は執務室に引きこもって、アレンと顔を合わせることもほとんどなくなるのだろう。色々な我慢をしながら任務だからと耐えているアレンには悔しいから言えないけれど、まるで仲良くなれた友達が遠くに行っちゃうようでちょっぴり淋しい。いつかまた会うことがあっても、アレンは元のイチャモンつけてお説教ばっかりする、感じの悪いヤツに戻っているのかな?それでこそアレンという感じもするけれどね。
「良い香りがするな?きっとコニーがアップルパイを焼いているぞ!」
そう言うなりぼんやり考え込んでいた私の手を引いて、いきなりアレンがガンガン走り出した。




